どしゃぶり☆プリン(2)「アンパンマン」

「僕の顔をお食べ」
 アンパンマンが困ってる子(主にお腹がすいた子)に対する施し。そもそも1976年に刊行された絵本「あんぱんまん」では、顔の総面積の半分まで齧らせるなど当たり前。子供に完全に頭を食われて、頭部が消え去った状態で飛行することすらあったらしい。アニメ版ではすこし分け与える程度だが、異質な設定であることは確か。
 元々、異質だったとは不覚。いじるとすれば、場面は夕暮れ。ズラリとならぶ子供たち。浮浪者も混じっている。ひたすら「頭」を分け与える。誰一人お礼を口にすることなく、受け取っては齧り、立ち去る。無表情の面々と、無表情のアンパンマンと、新しい顔を渡すジャムおじさん。
 とうとうと流れる川には、食べ残しと思われるカケラが浮かんでいる。しばらくして在庫がきれると、アンパンマンが「店じまい」と発し、踵をかえす。その背に向って「お腹がすいたよ、飢えて死んでしまうよ」と、姿が消えるまで叫んでいる子供と浮浪者たち。
 家。顔が濡れると力がでないので、頭を外した状態で風呂に入る。身体は濡れてよいのか。などと指摘してはいけない。無粋である。一方、バタ子とジャムおじさんがパン工場で新しい顔をひたすら仕込んでいる。
 怖い。やはり、適度に分け与えるぐらいで調度いい。

「アンパンチ」
 片腕を後ろに引いて力を溜め、そこから渾身のパンチを放つ。吹き飛ぶバイキンマン。しかし、暴力で悪を排除するという話ではないそうだ。アンパンマンとバイキンマンの闘いは、良い心と悪い心の象徴である。悪い心を自身のアンパンチで制御しながら、バランスを保つ人間そのものを表しているという。深い。単にバイオレンスの度合いを高めて、そのやり過ぎ具合で読者を笑わせようなど、軽佻浮薄、笑止千万、俗悪、下品、筆舌につくし難き下種の極み。陰と陽、バイキンマンとアンパンマン、やなせたかし恐るべし。この私がいじってよい作品ではない。

 アンパンマンをいじる。大体は、エロ、バイオレンス、アメコミヒーロー風にアレンジする。まさに、軽佻浮薄、笑止千万、俗悪、下品、筆舌につくし難き下種の極み。原作、アニメこそ至高。人の作品をいじっている場合ではない。自分にとっての「アンパンマン」をつくるべきだ。
 2回目にしてその存在意義が疑われる「どしゃぶり☆プリン」だが、9月末までつづく予定。故に、テーマについては慎重に選ぶべし。しかし、次回は1週間後である。そんな反省もどこ吹く風、喉元過ぎれば熱さを忘れ、ネタに困れば女子供でもいじる。無頼派。私は。まて。無頼派と、自称した時点で「無頼派」という言葉に頼っている。語るに落ちる。
 もはや閉口。心の平衡感覚は創作によって乱れ、創作によって整えられ、またそれを踏みにじる。傷心を癒すため、アンパンマンに頭のカケラを分けてもらい、悪文を書きそうになったらアンパンチで空の彼方に吹き飛ばしてもらいたい。

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