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妻に去られた男が娘にも去られた話 第4話

 中庭の賑わいを他人事のように聞き流しながら、ダユーはドゥーべサーに髪を梳かせていた。主の機嫌がよくないので表には出せなかったが、年若い侍女には主に従って華やかな王城の地へ赴くことが嬉しくてならなかった。生まれ育った地を離れることに対する想いを主従は共有していなかった。ドゥーべサーは主の御気色を損ねぬよう浮かれた気分を抑えているつもりでいたが、疾うに彼女の気分は主の気分を害していた。そうと気づかぬドゥーべサーは、心の中で鼻歌を歌いながら主の豊かな黒髪を飾る細帯を手に取った。そ

    • 妻に去られた男が娘にも去られた話 第3話

       森や林が黄金色に輝く季節は短い。乾燥なった穀物は倉に納められ、向こう一年の人々の命をつなぐ糧となる。熟し切って自然に枝から離れた林檎の実は、晩秋の冷気に晒されて更に甘さを増す。雪が降り始めると、潰されて絞られ、樽の中で醸されてゆく。橅や楢の森で樹々の落とした堅果を食べて肥え太った豚は、屠られて塩漬けにされたり燻されるなどして冬の間の人々の体を養い支える。樹々を飾る黄金色の葉がすべて枝を離れる頃、半島に新年が訪れる。他国での十一月の一日に当たる。  大晦日が近づくと、人々は大

      • 妻に去られた男が娘にも去られた話 第2話

         濃い空色の長衣に流れる豊かな黒髪を、乳母のアインダールが丁寧に梳る。腰に余るその髪に、長衣と同じ色の地に金の組紐模様を織り込んだ細帯を巻き付けてゆく。巻き終わると、アインダールは磨き上げられた青銅の手鏡を主に差し出した。「ご覧あそばせ。如何でございましょう」  手塩にかけて育て上げた養い君を盛装させ、満足げなアインダールに対して、ダユーの態度はそっけないものだった。 「いらぬ。そなたの手が整えたものに、何の不具合があろうぞ」 「恐れ入りまする」  何と言われようとも、アイン

        • 妻に去られた男が娘にも去られた話 第1話

          (あらすじ)  とある帝国の辺境伯領。14歳になるダユーは新たに領主となったエベルの娘。新領主を信任するために皇帝が訪れ、歓迎の宴や鷹狩りが催される。その喧騒の中で、ダユーは帝国による支配を重苦しく感じている。7歳の時に生母と不可解な別れ方をした彼女の心は深い憂愁に閉ざされていた。  皇帝に見初められたダユーは心ならずも宮廷に出仕することになる。娘の出立を前にして父が語る若き日の従軍譚によって、ダユーは生母が常世の国の龍女であることを知る。出立の日、彼女は龍となった母によって

        妻に去られた男が娘にも去られた話 第4話

          青い鳥のロベール・ソース煮

           梅雨の時分に彩りを添える花といえば先ず挙げられるのは紫陽花だろう。光沢のある深緑の葉陰に咲く純白の梔子の花も捨てがたい。その花から放たれる甘やかな香りは群芳に抽んでているが、我が庭の非時香果こと蜜柑の花の香りもなかなかに捨てがたいものがある。今朝のような五月雨の上がった朝には窓を開けると爽やかな香りが静かに流れてくる。梔子よりも花も香りもささやかではあるが、この王朝人の心を捕らえた嘉樹を今、常世の虫が訪れている。花の蜜を吸うのは元より、葉に卵を産み付けていても諾とする。少し

          青い鳥のロベール・ソース煮

          HAPPINESS

          『宇宙戦艦ヤマト2199』という素晴らしいアニメーション作品の、本編終了後の世界に想いを巡らせているうちに、頭の中で形を成したものが当作品です。  戦争は、交戦中よりも戦後処理の方が何倍も困難であるといいます。その困難をささやかな一個人である若き戦術長の心情に仮託して書いてみました。  原作の設定等と異なる点があるとしたら、それは筆者の理解力の乏しさによるものであって、原作への敬意の乏しさによるものではありません。また、筆者の原作に対する距離の取り方から言えば、当作品は二次創

          青虫事件

           ある一冊の薄い本との出会いからこの小品が生まれました。その本は井上雄彦原作の『slam dunk』の同人誌でした。その頃はまだ井上雄彦先生も『slam dunk』も同人誌も如何なるものかは知りませんでしたが、その薄い本の中に描かれている、思わず微笑んでしまうような明るく穏やかでたわいない世界は、今に至るまで筆者の宝物の一つとなっています。  この小品は、その薄い本に捧げる筆者のオマージュです。    染井吉野が散り透くと、街に若葉の大群が押し寄せて来た。  白い蝶が飛び

          妻に去られた男が娘にも去られた話 【後編】

          第三段  森や林が黄金色に輝く季節は短い。乾燥なった穀物は倉に納められ、向こう一年の人々の命をつなぐ糧となる。熟し切って自然に枝から離れた林檎の実は、晩秋の冷気に晒されて更に甘さを増す。雪が降り始めると、潰されて絞られ、樽の中で醸されてゆく。橅や楢の森で樹々の落とした堅果を食べて肥え太った豚は、屠られて塩漬けにされたり燻されるなどして冬の間の人々の体を養い支える。樹々を飾る黄金色の葉がすべて枝を離れる頃、半島に新年が訪れる。他国での十一月の一日に当たる。  大晦日が近づくと、

          妻に去られた男が娘にも去られた話 【後編】

          妻に去られた男が娘にも去られた話 【前編】

          第一段  潮の香りが漂う窓辺で年の離れた女が二人、見るからに質の良い亜麻布に刺繍を施していた。二人のうち、若年の方はこの土地を治める辺境伯の娘で十四歳になるダユー、年配の方はダユーの侍女で乳母でもあるアインダール。  針仕事に倦んだダユーは手を止め、窓の外に目を遣った。そこには彼女と父エベルの目の色さながらの海が広がり、はるか沖で空と交わっていた。荒れやすい海も今日は凪ぎ、夏の終わりの陽射しを浴びた海面は、どこまでも穏やかである。数艘の舟が網を打つ上には、海鳥の群れが風に代わ

          妻に去られた男が娘にも去られた話 【前編】

          花茨作品集

          はじめに 扁桃体と方向定位連合野を鎮めるようなものを書いていきたいと思っています。 下線部をクリックすると作品ページへ移動します 西北辺境異類婚姻譚始末【前編】 西北辺境異類婚姻譚始末【後編】 青虫事件 美し時 青い鳥のロベール・ソース煮

          花茨作品集