青い鳥のロベール・ソース煮

 梅雨の時分に彩りを添える花といえば先ず挙げられるのは紫陽花だろう。光沢のある深緑の葉陰に咲く純白の梔子の花も捨てがたい。その花から放たれる甘やかな香りは群芳に抽んでているが、我が庭の非時香果ときじくのかぐのこのみこと蜜柑の花の香りもなかなかに捨てがたいものがある。今朝のような五月雨の上がった朝には窓を開けると爽やかな香りが静かに流れてくる。梔子よりも花も香りもささやかではあるが、この王朝人の心を捕らえた嘉樹を今、常世の虫が訪れている。花の蜜を吸うのは元より、葉に卵を産み付けていても諾とする。少しばかりのマーマレードが作れるほどに実が生ればいいのだ。
 
 この時期の湿邪を払う薬用植物は昔なら菖蒲や蓬なのだろうが、私の定番はマーマレードとローズマリーを入れたアイスティーだ。レシピはかつての同居人が作っていたものを踏襲している。居間で薬効あらたかな飲み物で体内に籠った湿気を払いつつ、平安時代の端午の行事の再現動画を観る。端午の節句の起源は、温度湿度共に高くものが腐敗しやすく、体調も崩しやすいこの時期の健康を祈念する行事であったようだ。長い年月の間に様々な尾鰭が付き、しかも我が国では明治になって太陽暦のグレゴリオ暦を導入したために、それまでの太陽太陰暦と季節のずれが生じてしまっている。そのため薄墨色の梅雨空の下を泳いでいたはずの鯉幟が、ゴールデンウィークの晴朗な空に向かって旗めいているというわけだ。旧暦の五月五日は梅雨の最中だったのだ。

 来客を告げるベルが鳴った。傍らで寝ている猫の耳がすばやく反応する。動画を止めて、おもむろに腰を上げる。
美衣みいが子を産んだ」
 顔を合わせるなり他人の家の玄関で奴は言った。一応、竹馬の友と言っておこう。竹馬で遊ぶ子供の姿を見なくなって久しい今、この男にも消えてもらっても一向に差し支えないのだが、こうして忘れた頃にやってくる。天災のようなものだ。
「そうか。わざわざ報告ご苦労。別に頼んだ憶えはないが」
「これがどういうことかわかるか」
「ちびの美衣も成猫おとなになったということだ」
「五匹中三匹が虎縞だった」
「そうか」
「父親は虎千代だ」
「つまらない言いがかりをつけると名誉毀損で訴えるぞ」
「何が言いがかりだ。俺はこの目で見たのだ。虎千代が美衣につきまとっていたのをな。この辺りで虎縞の雄猫は虎千代しかいない」
「言いたいことはそれだけか。虎千代は性成熟する前に去勢している。虎千代の素行を云々する前に、不妊手術も施していない雌猫を放し飼いにしているお前自身の見識を疑うべきだ。飼い主としての己の不手際を棚に上げて人様の休日の楽しみを邪魔しようと言うのなら、虎千代にDNA鑑定を受けさせても構わんぞ。もちろん美衣のDNAも提出してもらうが」
 この男は昔からどこか抜けている。自己複製の本能を猫に自制できるとでも思っていたのだろうか。授乳を終えた美衣には早急に不妊手術を施し、離乳後しばらくして仔猫たちが自立期を迎えたあかつきにはそれぞれの養子先を確保する。それが叶わないなら責任を持って、いや責任を取って仔猫たち養い続ける覚悟をすることがこの男に求められることである。頼りない飼い主を持った猫たちの運命や如何に。
 奴は不満げに帰って行き、私は居間に戻ると愛猫に言った。
「虎千代、付き合う相手は選べ」
 彼は片目を開けるとくるりと輪になって顎を上向かせ、白い顎と腹を見せて私を悩殺した。

 動画を見終えた頃、この日二人目の来訪者を迎えた。造り酒屋に嫁いだ長姉の息子で一人目と同様天災のような男だ。散歩がてら買い物に行こうとしていたのに出鼻を挫かれてしまった。覆いをかけた横長の箱を足下に置いている。箱の中から音がする。中身は間違いなく生き物だ。
「なんの用だ。今から出かけるんだ。用件は手短かに言え」
「なんだよ、せっかく来たのに」
 煮溶けた餅のような締まりのない顔に愛想笑いらしきものを浮かべて媚びている。小遣いの無心だろうか。難関の美大に進み日本画を専攻したまではいいが、卒業後は実家に舞い戻って親の脛を齧りながら無為の日々を送って姉の頭痛の種になっていた男だ。創作に行き詰まって苦悩に身悶えていたのかもしれないが、そんなことは周囲の知ったことではない。定職にも就かず家業の手伝いもせず、かと言って熱心に画業に取り組んでいるようにも見えないと姉は嘆いていた。夫亡き後家業を守り盛り立ててきたどちらかと言えば実業家肌の母と、自称芸術家の息子。働きのない息子は姉にしてみれば不良債権以外の何者でもない。その無為徒食の息子が姉の承諾を得ずして家の金を持ち出すに到って姉の堪忍袋の緒は切れた。姉は息子を家から放逐した。昔で言えば勘当である。幸い働き者の妹娘に良い婿がき来て後顧の憂いがなくなった姉は、すでに息子を産んだことさえ忘れているかもしれない。
 こうして廃嫡された甥がどこでどう暮らしているのか私は一向に知らないし、知ろうとも思わない。にも拘らず彼は来た。得体の知れない物まで持って。
「用件は手短かにと言っただろう。言わないのなら帰れ。邪魔だ」
「ひどいなあ、せっかくバースデープレゼントを持って来たのに」
「誰の」
「叔父さんのに決まってるじゃない」
「今頃になってか」
「だって叔父さん、五月生まれでしょ」
「俺は三月生まれだが」
「あれ、そうだっけ」
「話がそれだけなら、もう帰れ。俺は今から買い物に行くんだ」
「だからバースデープレゼントを持って来たって言ってるじゃない。ほらこれ」
 言うと甥は足下の何やらに目を遣った。
「なんだ」
「なんだと思う」
 嬉しそうに含み笑いをしているが、私は嬉しくない。足下の訳の分からない物を持って早く帰ってほしい。
「さあな。何やら音がしているが」
「開けてびっくり、見てびっくり」
 そう言って覆いの布を取ると、横長のケージの中には大きな青い鳥がいた。孔雀である。
「動物園でもらったんだよね。今、増え過ぎて困ってるらしくて、ただでくれたんだよ」
 それはよかった。懐の寂しいこの男にただほど有難いものはないはずだ。
「ね、きれいでしょ。僕、もう描いちゃったからおじさんにプレゼントしようと思って。庭で放し飼いなんていいんじゃない」
「断る。動物園に返せ」
「だめだよ。増え過ぎて困ってるんだから」
 実家にも持っていけないから、ここへ持ってきたということらしい。ふざけるのも大概にしてほしい。
「勘違いをしているようだから言っておくが、うちは動物愛護センターではない」
「知ってるよ、そんなこと。でもこいつ、広いところじゃないと飼えないんだ」
「広いところじゃないと飼えない?じゃあ、今までどうしてたんだ。お前の部屋もそれなりに広いということになるよな。だったらこれまで通り、お前のところで飼ってやればいいだろう」
「だからこれはプレゼントなんだって」
 そう言うや、甥は孔雀を置いて一目散に走って逃げた。信じられない。玄関先に孔雀を不法投棄された者がかつていただろうか。絵のモチーフとして入手して、描くだけ描いたらもう要らないという訳だ。親の顔が見たいと言いたいところだが、生憎親の顔ならよく知っている。
 狭いケージに閉じ込められて、孔雀はすっかり固まっている。虎千代に知られる前になんとかしなければと思った。まったくとんでもない日曜日だ。

 朝獲れの小鰯を刺身にして醤油で和え、板海苔の千切りを散らす。名付けて『紫の三種和え』などと洒落ていると、突然何かの警報が閑雅な昼餉のひとときを破った。巨人が篳篥を吹いたかのような音だ。音の発生源は明らかに物置小屋である。私はため息まじりに箸を置くと、物置小屋へ向かった。虎千代もついて来る。その間にも大音量の篳篥は奏され続けている。近所迷惑も甚だしい。警察に通報されるかもしれない。
 物置小屋の中では明かり取りの小窓から射しこ込む陽の光を浴びて、青く輝く鳥がすっくと立っていた。目に精気が宿っている。狭いところに閉じ込められ続けているのも可哀想だと思ってケージから出してやったのだ。もちろん足に短めの紐を付けてつなぎ止めてはいた。あとで動物愛護センターに持っていくつもりだったのだが最早一刻の猶予もならない。事態は緊迫している。苦情が来る前になんとかしなければならない。間歇的に篳篥は奏され続けている。私は暴れる鳥を押さえつけると、その細首をへし折った。

 首を落とし、逆さ吊りにして血抜きをしている間に湯を沸かす。落とした首も血を抜く。沸いた湯に鳥を浸けて羽根をむしる。あられもない姿になったところで内臓を抜き大まかに捌く。過去に何度か鶏を捌いた経験が役に立った。
 一段落したところで中断していた昼食に戻る。鮮度が命の紫の三種和えが残念なことになっている。岩清水八幡宮の御加護も及ばなかったようなので、三種和えは煮付けにすることにした。せっかくの昼餉が台なしになったが何程のことがあろう。人生は不測の事態の連続なのだ。少しばかり順調な日々が続いたりすると、すぐにその事を忘れてしまう。浅ましいことだ。今日はその辺りのことを思い出すことができた。まったく素晴らしい日曜日だ。

 孔雀とは目を楽しませてくれる鳥だが舌を楽しませてくれる鳥ではないらしい。調理法について調べた結果、ダッチオーブンで蒸し焼きにするという方法を採用することにした。キャンプ道具の中からダッチオーブンを引っ張り出してきて鳥を焼く。その間にロベール・ソースを作る。
 玉葱のみじん切りをバターで炒め、タラゴンビネガーやら白ワイン、フォン・ド・ボーなどを加えて煮詰めてゆく。但し今回は煮詰め加減はほどほどにしておく。焼き上がった鳥を加えて煮込もうと思っているからだ。

 手洗いに立って台所を離れた時、常世の花の香が漂ってきた。この香を嗅げば昔の人を思い出すというのも宜なるかなである。台所に戻って止めておいたガスコンロに点火し、ソースを焦がさないように再び鍋をかき回す。常世の花の香に誘われて、記憶の海の底から現れ出てきた昔の人その一。
 中学と高校は、地元では進学校として知られた中高一貫の男子校だった。小学生の時には地元のスポーツ少年団で一応サッカーをしていたが、中学の部活でもサッカーを続けるほどの情熱は正直なところなかった。サッカーを始めたのも仲のいい友人に誘われたからに過ぎない。決して嫌いな訳ではなかったが、その友人とも学校が別れたこともあってサッカー以外の何か他のことを始めてみるいい機会のように思えたのだ。
 入学後まもなく開催された部活の紹介で運命の出会いがあり、合唱部に入部した。文化系の部に入る者は激しい運動を好まない者が少なくないが、この合唱部というのがとんでもない体育会系だった。発声を良くするための肉体的鍛錬に毎日多くの時間を費やす事実上の運動部だったのだ。間違って入部してしまった運動嫌いは早々に辞めていった。
 合唱部に入ったのは部活紹介で聴いた合唱もさることながら、テナーのパートリーダーによる独唱に魂を鷲掴みされてしまったからだ。暁の闇間に射し初めた朝影か岩間を漏れ伝う真清水のように青く澄んだ歌声が、私の頭蓋骨を穿って脳内に侵入してきたのだ。その声に聖処女が大天使による受胎告知を受けた時に覚えたであろう戦慄が如何なるものかを私は知った。それほどの深い感銘を受けたのだ。
 この”妙なる歌声の君”は部の内外で一目置かれる存在であった。成績優秀な上に統率力があり、厳しい反面面倒見の良いところもあったので下級生たちにも人気があった。部活帰りにはパートの下級生をお好み焼きを食べに連れて行ってくれたりもした。私はこの時ほど自分の声の高さを有難く思ったことはない。
 パートリーダーはいつもうどん玉だった。しかも必ず餅を入れる。イカ天ことスルメのフライもだ。私もイカ天は入れてもらっていたが、他のパート仲間同様そば玉だったし、それまでお好み焼き屋に行っても自分を含めてほとんどの客が注文していたのはそば玉だった。お好み焼き屋にうどん玉という品書きがあるのは知っていたが、実際に注文している人を見たのはその人が初めてだ。自分だったら周りがそば玉を注文していたら、本心ではうどん玉を食べたいと思っていても周りに合わせてそば玉を注文するだろう。情けないことだ。しかしその人は敢然として己の食べたいものを注文していた。その同調圧力に屈しない毅然とした姿に尊敬と憧憬の念を私は抱いた。
 その人は大学で建築を専攻した。大学院では建築史の研究室に入り、平安時代の建築の研究をしていたが、若くして帰天した。休日の朝、家の近くの河原を散歩していた時に、ゴルフボールが頭に当たって亡くなったのだ。折しも野茨の花の季節で、河原は濃やかな香の立ち籠める別天地であったという。きっと花粉を集める蜜蜂たちが忙しく飛び交っていたであろうし、揚雲雀の囀りも聞こえていたに違いない。悪くない死に方だと思う。生前の本人の希望に従って、その遺骨は粉末にして遺灰と共に川に流されたそうだ。私も死んだらそうしてもらいたい。
 その人の名前は鷺森集眞藍。下の名前は”あづさ”と訓む。なかなか凝っている。それだけでも注目に値するのだが、この人は名前に関するちょっとした武勇伝を持っていた。一年の時、姓名の漢字の画数が多すぎて書くのに時間がかかり過ぎるからと答案用紙の氏名記入欄に平仮名で書いて提出し、物議をかもしたことがあるという。この話は鷺森さんとは同級の先輩から聞いた。周囲の思惑に捕われず、正しいと思ったことは臆することなく主張する鷺森さんらしいエピソードだ。漢字で記名すべしと迫る教師に堂々の反論を試みて、平仮名による記名を認めさせたのだ。 
 鷺森さんの名前は母堂が命名したものだ。古事記にもあるように、子の命名権者は本来産んだ人にある。産室に飾られていた藍色のヒヤシンスくを見て、母堂はその深い藍色から橘諸兄が丹比某たじひのなにがしを言祝いで詠んだ歌を想い出し、我が子の名にしたのだという。これは鷺森さん本人の口から直に聞いたことで、名付けられた方も満更ではないことはポーカーフェイスの下からもじゅうぶん窺えた。ただ、時として一分一秒を争う試験の時に、漢字で記名したら時間を要することだけはいただけなかったようだ。
 私の下の名も鷺森さんほどではないが少しばかり凝っている。そのせいでまともに訓まれたことがない。鷺森さん同様振り仮名が必須の名前なのだ。私の名前を披露する前に、双子の姉の名前を披露しなければならない。姉たちの名は七重と八重だ。それぞれ「ななえ」「やえ」と訓む。娘たちの誕生から四年後に生まれた私に両親は九重という名を与えた。「ななえ」「やえ」とくれば後には当然「ここのえ」と続くものと誰しも思うであろう。だが、考えてみて欲しい。姓ならまだしも下の名で「ここのえ」はないだろう。そう、私の名は九重と書いて「かずしげ」と訓む。この少々風変わりな名前のおかげで、当時の私は先輩のお近づきになれているような妙な特権意識を覚えたものだった。今となっては面映い話だが、憧れの年長者に甘える思春期の少年の心理とはそのようなものなのかもしれない。
 ダイニングルームとの間仕切りになっている書棚の上に平清盛が奉献した厳島神社の模型がある。鷺森さんの作品で、私がねだってもらったものだ。家でくつろいでいると、時として拡散し希薄になった鷺森さんを感じることがある。もしかしたら、有機生命体としての彼を構成していた分子が、自身の作品のあるところに少し多めに漂っているということもあるのでは、と思うことにしている。

 ソースの香が常世の花の香をすっかり駆逐してしまっているが、勢いで昔の人その二。
 上の姉、七重の嫁ぎ先の酒造会社では定期的に『酒蔵コンサート』なるものを開催している。この催しで私はのちに妻となる女性と出会った。彼女はチェンバロ奏者だった。典雅な調べを鑑賞させてもらった後、演者をねぎらう恒例の食事会に私も主催者側の縁者として参列させてもらったことがある。当時はまだ不良債権化していなかった孔雀男も端のほうに席を与えられていた。料理は私が提供した俵物三種をふんだんに使った創作日本料理で、これに卓上の真の主賓である蔵で醸された酒を酌み交わしながら会食は和やかに進んだ。ちなみに私の家は幕藩時代から海産物の加工や卸売りを業としている。
 彼女は私より年は上だったが童顔なので実際の年齢よりも若く見えた。笑うとえくぼができて愛らしい。勿忘草の花のようだった。思わず「かくまでも黒くかなしき色やある」と口ずさみたくなるような深い色を湛えた瞳を見れば、私としては鷺森先輩を思い出さずにはいられなかった。もし、先輩の姉か何かだと紹介されていたら、きっと信じていただろう。つまり二人は目鼻立ちが似ていて、そうした顔は私の好みであったということだ。姉の取り持ちもあって私たちは交際を始め、翌年には結婚していた。
 彼女は子供を欲しがっていた。私としても父親となるのはやぶさかではなかったので協力は惜しまなかったが、彼女の要望には添えないまま月日は流れた。彼女は自身の年齢のこともあって焦っていた。嫁して三年子なきは去るとはその昔、夫側が子を産まぬ妻に離縁を申し渡す際の常套句だったが、妻はこのなんとか大学の一文を逆手に取って去って行った。その際、彼女はちょっとしたフライングをした。
「離婚はしない。君が産む子は僕の子だ。なぜなら君は僕の妻だからだ」
「まるでチャタレイ卿みたいなことを言うのね」
 彼女は自身の腹の子に対する私の父権主張を受け入れようとはしなかった。
「とにかく、君の腹の子の父親は法的には僕だ」
「わかってるの。あなたが嫡出否認の訴えを起こさなかったら、赤の他人があなたの遺産を相続することになるのよ」
「何か問題でも。父性とは本来不確実なものだ」
「あなたって馬鹿なの」
「君に馬鹿呼ばわりされる謂れはない。所詮、男は自分で子供を産めるわけではないのだから、自分の妻妾が産んだ子は自分の子だと思っておくしかないんだ。確か中国の宋の皇帝にもそんな男がいたな。自分が不稔なものだから弟たちの妾で懐妊した者がいると片っ端から召し上げたとかいう。ああ、宋といっても金に逐われて南遷した趙氏の宋ではなくて南北朝の劉宋のほうだ」
「いい加減にしてくれる。あなたの歴史談義に付き合ってられるほど、こっちも暇じゃないのよ。さっさとここに判を捺して」
 妻は離婚届の捺印欄を指で叩いた。彼女が私の父権主張を受け入れないように、私も彼女の離婚請求を受け入れなかった。妻は席を立ち、彼女の筆跡だけが躍る離婚届が残された。
 月満ちて妻は玉のような女の子を産んだ。誠に遺憾ながら、私は周囲の抵抗勢力の前に膝を屈して嫡出否認の訴えを起こしてしまった。何の考えもなくお好み焼きといえばそば玉を注文し続けた男など所詮この程度のものだが、一生の不覚ではある。離婚する時、私は妻の情夫と対面した。そして頭を下げて言った。
「妻と娘は君に進呈する。幾久しくお納め願いたい」

 焼き上がった鳥肉を、ソースの鍋に入れて軽く煮込めば主菜の完成だ。これにアスパラガスの塩茹でとサフランで染めたパエリアを取り合わせる。完璧だ。ワインはカリニャンにしておこう。他にないからだ。
 食卓につく。なかなかの晩餐ではないか。常世の花の香を混じえた夜風も肌に心地よい。虎千代にはいつも通りのキャットフードを与える。おかしなものを食べさせて、腹でも下されたのでは堪らない。下すのであれば自分一人で十分だ。
 こうして見ると良い一日だった。孔雀を口にする機会など一生のうちに一度あるかないかだろう。味については言うことはない。この料理の価値は美味か否かにあるのではなく、食材の希少性にあるからだ。
 一つ問題がある。残りの鳥肉をどうするかだ。廃棄するという選択肢はない。傷んでもいない食材を捨てるのは私の主義に反する。とりあえず小分けにして冷凍しておくことにする。そして、折を見て他の食材としっかり煮込もう。今日の何倍もの時間をかけて。今日の何倍もの香辛料を入れて。   
                              完
 


 

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