【映画感想文】2024年上半期ドキュメンタリー映画4本
日本映画はドキュメンタリー映画がいい。
私感であるので、日本映画はドキュメンタリー映画が好きだ、と言い替えた方がいいかもしれない。
当然ながら、インタビュー集や過去の映像や写真を継ぎはぎしたものではなく、「いま」を映し出しているものに魅かれる。その時その場にいなければ撮れない画や聞けない言葉を引き出し、監督の視点を通して投げかけられる。観ている間はもちろんのこと、終映後にもじわじわ尾を引いて問われている自分と向き合うことになる。
そんな秀逸な作品、2024年上半期に公開された4本を紹介したい。
【戦雲】【生きて、生きて、生きろ。】【骨を掘る男】【正義の行方】
命が軽く扱われる昨今、そんなのありかよー!許せねぇー!と声高にではなく、日本特有の控えめさで、静けさで、そして、しつこさで追いかける。ざわざわと観てる側が動かされる。底に流れる理不尽さへの怒りが伝染する。
オキナワとフクシマ。戦争と原発事故。人災とトラウマ。死者と生者。正義と面子《めんつ》。あなたとわたし。
ルポルタージュとは異なる表現。より詳細に知ろうとするなら、データや歴史的背景や問題となる法体系など克明に記された活字を読むに限る。しかし、良質の映像からは活字では測り知れない、音、匂い、現場の風景、そして何よりひとの表情《かお》が迫ってくる。
『戦雲《いくさふむ》』。これまでの作品と違って拳を上げての闘いや衝突のシーンはほぼなく、ヒーローを追いかけてもいない。なので、物足りなさを感じる人も多いかもしれない。そう三上智恵監督はインタビューで語っている。が、私には直接的な暴力のシーンがなくても、これは許しがたい国家暴力の実態を肉薄した作品として腹の底に落ち入った。観る側の私の変化も大きく影響する。同じような風景、同じような人々に接する時間があったからだ。南西諸島軍事要塞化が進む、奄美の離島に娘と3年間暮らした。この映画のひとたちの顔は、「こんな何もないところによく来たねー」と呟いた人たちに似ている。都会で生き抜くためのものは確かに足りなかった。それは経済力と呼ぶもの。だけれど、暮らしの豊かさはここそこ、どこにでもあった。その温もりが懐かしい。だから余計に泣けた。彼らの生活が脅かされている「いま」を悲しみ、「我が国の平和」のためだとのたまわる為政者に憤り、そんな状況をゆるしてしまっているわが身に忸怩《じくじ》たる思いがする。
「今からでも遅くはない。共に目撃者になり、今という歴史を背負う当時者になってほしい。」という監督の言葉を受け止め、暗がりの2時間を過ごした。昨今の映画では珍しく、クレジットタイトルが流れたあと、映画館に拍手が沸き起った。その意味するところに賛同しながら、私は手を叩けなかった。島を離れて4年。片腕をもがれるような痛みを伴う映画だった。
『生きて、生きて、生きろ。』も、同じように私自身の過去の傷が疼《うず》く場面が多かった。クレジットタイトルが終わり、館内の明かりがつくかと思いきや、最後の最後にある人の横顔が映る。映画の作品としては一筋の光が射す希望と思える瞬間だった。しかし、いまの私には自分自身の経験からの「後悔」を想起させられ重かった。
震災と原発事故から13年、福島で、こころの病が多発。その喪失と絶望の中にある人々とともに生きる医療従事者たちの記録を、伴走者として撮り続けた島田陽磨監督。
人間によって傷つけられた人たちが、人間によって回復していく。そこにリアリティを持たせてくれた映像は、一方で、救いの人間にたどりつかなかった無数の人たちの存在を無視してもいなかった。途上で生を終えた人たち、その傍にいた私のような後悔の念を抱く者への労《いたわ》りだろうか。良質なドキュメンタリー映画の真骨頂をみる思いがした。
『骨を掘る男』。前の2本のような直接的な痛みを伴うことはなく、ある意味客観的に見ることができた。とはいえ、根底での問いかけは、やはり私の経験したことに通じていて興味深い。
奥間勝也監督は沖縄戦で大叔母を亡くした戦没遺族であるが、自身が生まれる遥か以前のことで、大叔母に会ったことはない。果たして出逢ったことのない人の死を悼むことができるのか?という問いから、40年間見も知らぬ人たちの遺骨を探しガマを掘り続けている男を追う。(彼、具志堅隆松さんは”ガマを掘る”男であって、”骨を掘る”男というのは日本語としてもおかしい。おかしいけれど、観終わったあと、まさしく「骨を掘る男」だと納得させられる秀逸なタイトルだ)。そして、「平和の礎」に刻銘された24万の名を読み上げる行為に意味付けをする。
彼と似た経験というのは、私は戦没者遺族ではないが、さらなる真相究明が望まれる、朝鮮半島の済州島で起きた凄惨な史実、「済州4・3」と呼ばれる”事件”の被害者遺族であるという点だ。虐殺されたのは大叔父、父方祖母の弟で、監督と同じく、生前の大叔父を私は知らない。しかし、重ねて私も祖母への思慕は深い。犠牲者の名が判明したのはつい最近のことで、済州4.3平和公園の慰霊碑に刻印されたその名前に手を重ね、祈りを捧げたのは私ではなく、私の娘で、昨年晩秋のことであった。
出逢ったことのない人の死を悼むことができるのか? そもそもその「死を悼む」とはなんぞや。しかも、その死は、生を全うした先の死ではなく、「国家繁栄」のための暴力のもと、突如奪われた命がもたらした死である。慰霊とはなんぞや。どうしたらその霊が慰められるのか。
”行動的慰霊”という語を造り出した骨を掘る男は言う。「戦没者への最大の慰霊は二度と戦争を起こさせないこと」だと。そう、二度と戦争が“起きない”ことを願うのではなく、起こさせない。それができるのは行動によってのみ。祈りという思いだけでは届かない、能動的なわたしたちの行為そのものにかかっている。そう問う映画だった。
『正義の行方』は、”方法”としての「インタビュー集」ドキュメンタリー作品に対する私の苦手意識を見事に覆してくれた。それが”目的”として上手く成り立っていれば、ここまで画面に惹きつけられるのかという思いだ。158分という尺がちっとも長く感じられない。
冤罪事件であることが濃厚な「飯塚事件」。犯人とされた人は死刑確定からわずか2年で執行され、もうこの世にはいない、真実は闇の中である。
事件の関係者ら(捜査担当警察官、取材報道・調査報道記者、被告弁護士、死刑執行された遺族)のインタビューの間に、当時のニュース映像や事件現場の森や周辺風景をスタイリッシュに撮った映像が挟み込まれる。個々が思う「真実」が語られ、観てる側はミステリーを読みとく探偵の気分にもなるが、何かの寓話かとも思わされる。
木寺一孝監督の「冤罪かどうか、真相はどうかというよりも、事件に引きずられた葛藤、みたいなことを当事者で描きたい」という意図通り、カメラの前で、ここまで本音を語る、語ろうとする人たちを引き出す手腕に圧倒された。ただし、事件の被害者である女児の遺族、最終的に新たな死を生むことになる判決をくだした裁判官の葛藤は露《あら》わにされない。監督のインタビュー記事を読むと、事件そのものを掘り下げるためには目撃証言者や検察官や裁判官にもカメラを向けなければならないが、そうなると『裁判の行方』になってしまい泥沼にはまる恐れがあるので外したと答えているので、意図してのことのようだ。
だが、被害者遺族の無念や苦痛は想像に難くないが、果たして裁判官には葛藤のかの字でも存在したのだろうか、死刑執行命令を出した法務大臣はどうだったろうというところが映画と離れて非常に気になった。
それは、弁護士の兄から聞いた話が頭をよぎるせいもある。
「今日どこで何をしたか、身内以外の3人に証明してもらえるか?」
そんな無茶な。そう、そんな無茶なことで私もあなたもある日突然容疑をかけられるかもしれない。それでもやってなければ罪を被せられることはないだろう。と思いたい気持ちはわかる。しかし転がる石が加速してどうにもとめられなくなることもないことはない。事実、ここに、あった。
司法の矛盾(およそ100年も”引き継がれて”いる再審法の問題など)についても映画をきっかけに広く知られることを望む。
斜に構えて探偵を気取ってはいられない。自分が映画で証言する彼らの誰かだったとしたら? 近くにいた一人だったとしたら? 何ができたろう、何をしなかったろう。題名が指す「正義の行方」が気になると同時に、死刑制度が存置するこのクニで、命の重さの不平等についても考えさせられる映画であった。
優れたドキュメンタリー映画は、自分と実質的なつながりがないように思える内容だとしても、必ずそこに「わたし」を観ることができる。
本来なら1本ずつ丁寧に紹介したいところだが、まとめて書いたのは、昨今の短期間上映という映画館事情を鑑みてのこと。気付いたら終わっていたということもあろうけれど、やはり映画は映画館で観ることを勧めたい。
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