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なんだかんだでもう年末

2022年が終わりに近づいている。年末になると一年を振り返りたくなる、なんてことは通常ないタイプの人間なのだが、今年はなんだか特別な年なのだ。一つずつ、少しずつ、振り返る時間があっても良いのかもしれない。

今、ここはスウェーデン。寮の共用キッチンでみんなの話しを聞きながら日本語で文章を書いているのは中々にカオスな状況だと思う。この4ヶ月で私の脳みそはかなり器用になったらしい。こんな芸当が出来る日が来るとは思ってもみなかった。

さて、そういうことは後で書くとして。2022年とはどんな年だったか。

包み隠さず書くのなら。
忙しくて、余裕がなくて、自信もなくて、新しいことをはじめて、新しい人に出会って、新しい世界に飛び込んで、やっぱり自信はないけれど、少し強くなったような気がする。どうだろう。

2022年のはじまり、いよいよ留学に行けそうだということになって。モチベーションもそれなりにあって。三年生からゼミもはじまるし、やる気はあった。きっと良い年になると。

春頃。別に日本のコロナ政策に文句を言う気はないけれど、丁度3回目のワクチンを打ってから、なんだか調子がおかしくなった。それほど熱は出なかった気がするけれど、とにかくしんどくて、それから2週間くらいはなーんにもする気が起きなかった気がする。でも、当然、人生は待ってくれない。大量に詰め込まれた授業、留学のための色々な手続き。2週間時が止まっている間に色んなことが進んで、それはまるで、最高の高波から完全転落したようなものだった。

春学期はこれまでにないほど授業をサボったし、なんなら一つ消したし、小テストを受け忘れたり、提出物を忘れたり。提出が2週間遅れて先生に謝り倒して受け取って貰ったものもあったりして。言ってしまえば"超クソ"だった。

「私なら出来る!」なんて気持ちと、「こんなことも出来ない」なんて気持ちがせめぎ合って、もうぜーんぶぜーんぶ面倒くさい。嫌いな人、嫌いな授業、嫌いな自分。普通に病んでいたと思う。

一番最悪だったのは、出発の1週間前に両親がコロナにかかったこと。大丈夫、ちゃんとPCRを受けて陰性だったからスケジュール通りに渡航しているけれど、その間は完全家庭内別居生活だった。だから、ちゃんと「行ってきます、行ってらっしゃい」もしないまま出発した。

そんなこんなでクッソ最悪の状態でスウェーデンに渡ってきた訳だけれど。正直、スウェーデンに来てからの半年の方が楽しい。勿論、どこに行っても大変なことはあるし、キツいことも沢山起こるけれど、それでもやっぱり、こっちにいる方が楽しいような気がしている。

ここでの生活の一番面白いところは、「良い人間の型」がないところ。結局家であるから、ほとんどの時間を国際寮で過ごし、そこの友人と過ごす訳だけど、国も育ちも母語も全部全部違う人が集まると、「こうあるべき」という期待は良い意味であまりない。問題があるとすれば、そこに悪意があるか否か程度で、言いたいこと言って、笑って、
自分が自分であることに遠慮はいらないのだ。

ただ、教室に行くとまた少し事情が違うのも面白い。自分以外はみんなスウェーデン人の空間で、そこには既に出来上がっている「常識と規範」があって。社会って面白いなぁなんて。

まあ結局、どっちもどっちだ。
悪く言えば寮には秩序がないし。
逆に教室はちょっと窮屈だったりする。

スウェーデンに渡ってからの2022年後半。私は面白くて素敵な人達に沢山出会ったし、なんかイヤだなぁと思う人にも沢山出会った。だって人間だもの。まぁ新しい年が来るというのにイヤな人達のことをわざわざ書いても仕方がない。だからここには素敵な人達のことを書こうと思う。

まずはキッチンとランドリールームをシェアしているフロアメイトのみんな。彼らは、とにかくうるさい。 いや、騒がしい。賑やか。いやまぁ、うん、うるさい。 でもとっても温かくて、自由で、素敵な人達だ。

特にヴァレリアとは色々なことをやった。飲みに行ったり、一緒に料理したり。彼女はこれまでに出会った人のなかで一番かっこいい女だと言っても過言ではない。

それから、行きつけのスーパーとか、セーデルマルムの本屋さんとか、小さなショップの店員さんたち。スウェーデンの接客は超無愛想で有名で、確かに大抵は超無表情なんだけど、その顔面に似合わず中身はとっても親切で丁寧だったりする。それは彼らの単なる愛想ではなくて、真心だったりするのだ。私はスウェーデン語が話せない完全なる外国人だ。それで嫌な思いをすることも勿論あった。けど同時に思いやりを持って私を見てくれる人も沢山いるのだと気づいた。

それから、何人かの文通友達。ほんの数ヶ月前に始めた文通アプリ。そこで出会った友人達にはとても感謝している。トルコ人と、スウェーデン人と、中国人と、スペイン人と。色々な話を聞いてもらって、愚痴を聞いてもらって、慰めてもらって、私は勝手に彼らを精神安定剤と呼んでいるけれど、本当に面白くて素敵な人達なのだ。毎度毎度2000ワード近い超大作を送り合って、一名を除いては顔も見たことがないのに、そんな絆は少し不思議な感覚でもある。

ちなみに、顔を見たことがあるのは、そのスペイン人の彼だ。これがまた最高に面白い人で。彼もまた留学生なのだけれど、スウェーデンに来た理由は「誰も僕を知らないところで、好き勝手に過ごしてみたかったから」らしい。うん、わかるよ。

そしてもう一人、クラスメイトのソヘイラ。彼女はスウェーデン8年目の言わばスウェーデン生活の先輩。元々はアフガニスタンの出身で、彼女もまた本当に面白い。なんだかぶっ飛んでいるし。そう言えば、夜の11時半に「窓の外に誰かいる!」なんて言って彼女にメッセージしたことがあった。

「電気を消して、包丁持って、そっとカーテン開けて、明かりが見えたら人間だし、そうじゃなかったら動物だよ」だって。

結局それはなんでもなかったんだけど、それから明け方までずっとチャットをしていた。ちょっと深い話になると彼女はすぐアッラーの話を始める。それがなかなか面白い。ちなみに、口を開けば宗教の話ばかりというのはみんなに言われるらしい。まあ、否定はしないよ。スウェーデンはムスリムが住める国じゃないからって、大学を卒業したら、イギリスかオーストラリアに移住したいんだって。

そんな彼女が、「あなたのことは本当に数少ない親友のうちの一人だと思っている」なんて告白してきたのは割と最近の話。


さて、雑にまとめるとそんな2022年だったけれど、ここらで来年のことを考えようと思う。

まあ考えると言っても、恐ろしいほど何も思い浮かばないというのが正直なところなのだけれど。

そう言えば、ソヘイラがこんなことを言っていたな。

"Be aware of yourself and take care of what you have such a good heart, a good soul."

「あなたが素晴らしい人間であるということに自覚を持って、自分自身を大切にしなさい。」

ソヘイラちゃん良いこと言うなあ。言われたときは、調子の良いこと言っちゃって、って思っていたけれど。別に私をおだてている訳じゃないのは伝わっている。


私には、好きな人はあんまりいない。でも大切にしたい人は抱えきれないくらい沢山いる。

好きの対極は嫌いだけれど、愛しているの対極はもっとずっと複雑だ。

誰かより誰かの方が好きだ、という感情は正直良くわからないけれど、大切に思っている人のことは、多分一生嫌いにはならないんだろうな、なんて。

私にとっては、みんな違って、みんな特別で、誰一人として欠けたら哀しいし、普段なかなか言わないけれど、きっと愛している。そして多分私だって、誰かに愛されているんだと思う。

そんなの結局、恵まれた人間の戯れ言かもしれないけれど。

どんなにクソな2022年でも、私は世界中の沢山の素敵で大切な人達に感謝している。

来たる未知の2023年も、愛溢れる年になることを願う。
なんか恥ずかしいね。笑

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