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ケニア回想記


私の大好きな " 駅伝  "の季節がやってきた。
大学三大駅伝の出雲・全日本・箱根駅伝。元旦にはニューイヤー駅伝!
12月末には全国高校駅伝があり、高校で成績を残した生徒が大学に行き,活躍する。
その大学で活躍した選手が社会人となって走る  走る  走る!
切磋琢磨して厳しい練習に励んできたメンバーが一つの襷を繋ぐために  "1秒を削り出せ"  というスローガンで走るなんて  なんてロマンがあるんだろう❗️もう、感動以外の何物でもない❣️

元旦の初詣を終えるとニューイヤー駅伝を応援し、2日3日は箱根駅伝に没頭する。コマーシャルと共にやるべき事を小刻みにしながら成し遂げ,時にはスマホで見ながら  ということも。

いつからこんな状態になってしまったかも覚えていないが、親戚周りが少なくなった頃からだろうか⁉︎
駅伝の話をし始めると長くなりそうなので、そろそろ本題に移っていくとしよう。

その駅伝に欠かせなくなってきたのがケニア留学生だ。祖国を離れて言葉もわからない中で高校や大学にて勉強もしながら、練習をするというのは大変だと思う。だが、ケニア人にとって日本に留学するという事は将来に希望を持てる道が見える手段になり得るので,凄い栄誉なのである。

まずは遠い昔、訪問したケニアに関してお話したいと思う。
かなり前置きが長くなってしまったが、私がケニアを訪れたのはモイ(Moi)元大統領が1978年から24年間という長期に渡り政権を維持してきた時代だった。

成田空港を出発しシンガポールからエミレーツ航空でドバイに行き、ケニア航空でナイロビへ。今はシンガポールを経由しなくても行けるらしいが。

昔は空港の周りにキリンがお出迎えしてくれたりもしていたそうだ。
行く前に注意されていた事は
①貴金属を身に付けない!
(耳に付けていたピアスをもぎ取られた人がいた)
②1人で行動しない。
(日本人は誘拐の対象になる)
③直射日光を避けられる服装が必要
(実際に熱中症になった)
車からカメラを出して写真を撮っていた人がバイクに乗った二人組に奪われてしまっていたのを見た事もあった。

とにかく,緊張した面持ちでナイロビに到着した。
最初に驚いたのはトロッとした目つきの子供が多数いて"Money!  Money❗️"と近寄ってくる。

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