宮沢賢治「猫の事務所」読書会――第4回梨の花読書会

実施日:10月14日(土)神田某所
参加者:5名(U、I、S、F、K)
司会・課題図書選定:Fさん
議事録作成:U

課題図書
宮沢賢治「猫の事務所 ……ある小さな官衙に関する幻想……」
初出:『月曜』(尾形亀之助編、1926年、二月号)

○あらすじ
軽便鉄道の駅の近くに、猫の第六事務所があった。そこは、猫の歴史と地理を調べる事務所で、猫たちにとってたいへん便利な事務所だった。というのは、旅行に行こうと思い立って、その土地や土地の名士について知りたいと思ったら、第六事務所に行けばよい。そうすれば職員の猫たちが知りたい情報を教えてくれる、そういう事務所だからである。
第六事務所に勤めるのは、事務長の黒猫、そして
一番書記は白猫でした
二番書記は虎猫でした
三番書記は三毛猫でした
四番書記は竈猫でした
というふうに、事務長を筆頭に四匹の猫が勤めていた。この書記の仕事は、t他の猫たちに尊敬されるたいへん偉い仕事であったので、そのポストが空くとみんなこぞって応募した。けれど選ばれるのは、そのなかでも一番字がうまく、詩の読める猫が一匹選ばれるだけの、狭き門、由緒ある仕事だった。
ところがその猫の事務所は、廃止になってしまった。理由は、かま猫が他の三匹の書記に嫌われていたからで、かま猫も、かれらとうまくやろうと努力したことがかえってみんなの気に障ってしまった。また、三匹の書記の陰口のせいで、それまで良くしてくれていた黒猫の反感も買ってしまった。
そうして、みんながかま猫に意地悪をしているところに、ふいに金色の獅子がやって来た。獅子は所内の様子を見て怒り、たちまち事務所の解散を命じてしまった。
かま猫がかま猫と呼ばれるのは、それは猫の種類のことではない。かれらは夜、かまどの中で眠るくせがあるために、いつも体が煤で汚れていて、狸のように見えることから、かま猫というのである。

○参加者の感想

☆読後感
話は面白いのだが、暗い、後味の悪い印象を受けたという方が多かった。
それは、猫たちがかま猫の陰口を言ったり、無視をしたりするからで、その点「胸くそ悪い」と感じた(Iさん)。
また、作品の終わり方について、事務所が解散を命じられてそこで終わり、というのであるのが「救いがない」「暗い」感じをもった(Kさん)。

☆風刺・皮肉として
Fさんからは、猫の事務所の在り方が現実の組織の風刺・皮肉になっているという意見が出た。Fさんがそのとき挙げたのは2つの点。
一つめ。事務長の黒猫は、最初かま猫を思いやってあげている。しかし、かま猫が自分の地位をねらっているかもしれないと知って、すぐに手のひらを反す。だから黒猫はかま猫を助けるが、それは自分に害が及ばない範囲の中でだけだ。それを聞いて、たしかにこういう損得ずくな人っているよなー、と、私Uは思った。
二つめ。たまたま事務所にやって来た獅子が見たのは、黒猫、白猫、虎猫、三毛猫が、みんなでかま猫を無視しながら、楽しそうに仕事をしているところだった。かま猫はただ無視されているだけではなく、その前日、足が痛くてお休みしている間に、大切な原簿(そこに歴史や人物についての情報が載っている、書記の仕事にとって本当に大切な原簿!)を、みんなに奪われてしまってさえいるのである。

「パン、ポラリス、南極探検の帰途、ヤップ島沖にて死亡、遺骸は水葬せらる。」一番書記の白猫が、かま猫の原簿で読んでいます。かま猫はもうかなしくて、かなしくて頬のあたりが酸っぱくなり、そこらがきいんと鳴ったりするのをじっとこらえてうつむいて居りました。
 事務所のなかは、だんだん忙しく湯の様になって、仕事はずんずん進みました。みんな、ほんの時々、ちらっとこちらを見るだけで、ただ一ことも云いません。
 そしておひるになりました。かま猫は、持って来た弁当も喰べず、じっと膝に手を置いてうつむいて居りました。
 とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
 それでもみんなはそんなこと、一向知らないというように面白そうに仕事をしていました。

「猫の事務所」、新潮文庫、pp.157-158

こういうしょうもなことするやつっているよなー、「面白そうに仕事をしてい」たってところが、さらに輪をかけて、救いようなく小物であるよなー、と私は、その意見を聞きながら思った。
私Uは、この作品の絵本を図書館で見つけて当日持って行ったのだが、書記たちの服について小説の中で「短い黒の繻子の服」と呼ばれているものは、絵本の中では、ひだのついた黒いローブのようなものとして描かれてあった。それは裁判官の着る法服に似ていた。会の後半でFさんから、この事務所は、組織の中でも特に官僚組織についての寓話・皮肉なのではないか、と指摘いただいた。

☆猫の世界
作品の中でときおり挿入される、独特な理由付けが気になったという意見が出た。
たとえばSさんからは、猫たちのいさかいは「猫の前あし即ち手」が短いために起こるといった部分や、ベーリング地方旅行の注意点として「馬肉に釣らるる危険あり」といった部分を挙げていただいた。
北海道なのに馬肉? 九州とかなら分かるけど、当時の北海道は馬肉が有名だったのだろうか? それとも日本の属領となってまだ日の浅いかの地では、路傍に野生の馬の死体が転がっているなんてことは日常茶飯事であって、猫をはじめとした動物はそれらの亡骸に群らがって露命をつないでいた、そういう末世的な情景がありふれていたのだろうか? ……そもそも、猫が事務所を開いている世界とはいったい何だろうか? 通常、人間が運営組織すべきものである「事務所」を猫が経営しているということは、この世界に人間はいないのだろうか? 小説は、すべて人類が滅亡した後の世界における出来事なのだろうか?……
Sさんの連想は会の進行につれて、そういった作品世界の条件を問うような内容に展開していった。

☆語り手について
小説の語り手について、いくつかの意見が出た。
Iさんは、同僚からひどいめにあっているかま猫について語りながらも、「みなさんぼくはかま猫に同情します」と言うだけの語り手は、傍観者的な立ち位置に終始していると話された。Iさんが「胸くそ悪い」と言われた読後の印象は、語り手のこの冷めたポジションにも原因があるかもしれない。

私Uは、小説の最後、事務所を廃止した獅子に対して語り手が、「ぼくは半分獅子に同感です。」と言った点について、「半分は同感、賛成。だからもう半分は反対、否定ということで、その半分半分が具体的にどのような点なのか気になる」と発言した。
一方で、KさんもIさん同様、語り手がかなり冷めた立場にあるとして、この最後の一文もかなり投げやりな、無責任な感じと評価された。その流れの中で、おそらくFさんからだったと思うのだが、(語り手は物語に対して距離があり)「同感」の反対が必ずしも否定、「反対」でないという意見があった。語り手は、獅子のしたことに対して、「まあいいけど」と、ただ無関心なだけなのかもしれない。

○さいごに
宮沢賢治の作品を取り上げるのは3作品目だった。その中でも今回は特に賢治らしい作品であったと思う。
かま猫が竈で寝てしまうのは暑い夏の日頃に生まれたからだとか、短い両手(足)を目いっぱい伸ばしてあくびをするのは、人間からすると失礼なようだが猫においてはふつうのことなのだから何でもないとか、猫界の常識をどんどん適用して物語を進めていくところが、ユーモラスで面白かった。
「『今日どこかに宴会があるか。」事務長はびっくりしてたずねました。猫の宴会に自分の呼ばれないものなどある筈ないと思ったのです。」と思う黒猫事務長、かわいい。呼ばれないとかなしいもんね。びっくりするよね。
賢治作品を取り上げるのはしばらく先になるかもしれないけど、あらためて『銀河鉄道の夜』とか、有名どころをあらためて読んでみようと思う。

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