父の書斎

卵焼き事件。
それはこないだ実家に行った時に起きた。

「昼ごはんは各自で作って。」
そんな母親の鶴の一声でのそのそとご飯の支度をし始める父と娘。

父親が先にインスタントラーメン(具なし)を作って(本当に定年後、料理教室通う気あんのかよ)、次に私がサラダと卵焼きを作って軽く済ませた。

ささやかな親孝行だと思って、父親に卵焼きをひとつ食べさせようと思ったら父の姿が見当たらない。

煙草でも吸いに行ったんだろうと思って、母に食べさせるとおいしいと言う。

私がご飯を食べ終える頃、父がリビングに戻ってきた。

食べる?と卵焼きを差し出すと、無言で食べる父親。
さすがに要らないとは言えないことくらい学習しているのだろう。

すると、父親はむせた。

そして、急いで水をくみ、卵焼きを水で流し込んだ。

さすがに私はびっくりして、「は?!露骨すぎでしょ!」と突っ込むと、父が隠しきれずニヤニヤする。

そして、母が「お父さんは私以外の他の女とはやってけないのよ!」と嬉しそうに高笑いする。
こういうことが起きる度に母はそう言う。

こんなこと男の人からやられたことないし、仮にまずくても言わないっていうのも礼儀ってもんよ(嫌ならもっと美味いもの作ってくれ)。

母の言う通り、父は母以外の女の人とは無理だ(そして恐らく、母も父以外の男の人とは無理だ)。

そんな父は母からアスペルガーと言われていて、母はしばらくカサンドラ症候群に苦しんでいました。

でも、娘のわたし的には、父は愛着障害の嫌いも多分にあると思っています。

ただ、両親ふたりが長年の激しいやり取り(警察が来ていたような記憶がある)を経た末にアスペルガーだということで落ち着いているから、私は黙っています。

知らないままの方がいいこともある。
正論は現実的じゃないことが多い。
正論を言いたい時、本質に気付けていないことがよくある、と私は自覚している。

実家にある私の部屋は、父の書斎と化していた。
奨学金返済の関係で親に迷惑をかけた身としては、どうぞどうぞ!という心境だ。
(ベッドフレームとピアノ2台売ることで奨学金を一撃で完済してくれたので、なんんんんにも言えない)

私は子どもの頃から実家にある膨大な量の父の本のタイトルを目でなぞらえるのが好きだった。

お父さんとはほとんど会話らしい会話(いわゆる他愛のない話、雑談)をできないから、父の読む本のタイトルを眺めることで父を知りたかった。

高校生の時は、実際に開いて読んだ。
その時、私は石田衣良の池袋ウエストゲートパークシリーズをたまたま手に取り、面白すぎて読破した。
(でも父は、石田衣良が読めたところでと仰ります。はいはい凄い凄い。)

そんな父の書斎を久しぶりに眺めていると、家族の在り方に関する文庫本があった。
発売が2015年だから確実に最近購入したもの。

父の書斎には、私が子どもの頃から小此木啓吾のシゾイド人間と自己愛人間がある。

父は、自分なりに知ろうとし、その上で精神科は抽象的で医学的に嫌いだと言っているのだと思う。

その家族にまつわる文庫本は、恐らく父が読んだのだろう。
母はそういう関連の本を全て紙で隠して保存しているからだ。

いつか、どうして小此木啓吾の本を読んだのか聞いてみたい。

きっと、自分の中にある交友欲の薄さや上から目線になってしまう理由を父は若い頃に自覚したことがあるのだろう。

でも、父は精神医学的な、心理学的な話は当然嫌う。
私の解離性障害についても「お父さんはわからないから」と言う。
それは分かりたくないというより、わかるのが辛いから無意識レベルで線を引いているように見える。

私は父と会話らしい会話をあまりしたことがない。

でも、それでいい。

私は虐待をしてきた母と、そこまで母を追い詰めた父と、そういう土台を作るような養育をした祖母を連帯責任として恨んでいる。
現に10年以上、私は精神科や心療内科を受診し、精神的虐待と身体的虐待とネグレクトによって愛着のハンデ、複数の人格の出現が生じていると第三者の医師に告げられる状態にある。

でも、強がりでもなんでもなく、両親が私に全く愛情がなかったとは決して思っていない。

良いこともたくさんあったのだ。
ただ、悲しいことが良いことを上回るのが常であり(父いわく、お前ー母親ーは大事に積み上げてきたものを簡単に崩す)、そして家庭のストレスは私に吐き出され、幼い子どもの私には、両親の病理(発達障害や精神障害)を理解できず、ただ辛い、悲しいと真に受けてしまったのだ。

だからといって、私より30歳以上年上の両親は、許される立場にはない。

子どもに説教されそうな程、未熟で卑怯で弱い両親は、今日も自身を分からぬまま命を燃やしている。

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