14歳の自分勝手な罪悪感

ひとりで行動している人=可哀想、って思う人がいるのはどうして?

クラスに必ず居たひとり行動の多い子たちは可哀想だったのか?
私の目には、ひとまず可哀想には見えていなかった。
人と喋るのが苦手だったり、緊張してしまったり、ひとりでいる方が楽だったり、ひとりでいる子にもいろいろいるんだろうなぁ、としか思っていなかった。

私は中1の秋に、自ら孤立した。
それまで小学生の時から仲良くしていた友達を中心に、中学で仲良くなった子たちも合わせて7人くらいでわいわいやってた。

友達が大好きだった。
それに孤立することがクラスでどういう意味になるのかも理解していた。
でも、もう心がいっぱいいっぱいだった。

小学校高学年から、親に暴力をふるわれていた。
それと同時に、解離を頻繁に使い始めた。
誰にも言ったことがないから、同級生は誰も知らないかもしれない。

中1の時の、あの誰も受け入れられなくなる感じ、ずっと言語化できなくて辛かった。
高校生か大学生の時、「回避依存」という言葉と出会って、共感できた。
でも、「親密感へのトラウマ(親密な親子関係を連想する)」という方がしっくり来るかもしれない。
親密な状態になると精神的に不安定になるようになったから。
それが中1の秋。

グループの子たちは私のことをどう思ったのか分からない。
しばらく、「どうしたの?」とは声をかけられていた気がする。
でも、私は上手く答えられなかった。
親密さを感じるとトラウマゆえに怒りが湧いたり不安になったりして、相手を傷付けないようにすることで精一杯だった。

大好きだって言うと、親密さに繋がる。
泣いてしまうと、それもまた親密さに繋がる。
親のことは言えない。
「絶対に誰にも言うな」と親に言われてきたから。
私は何も本当のことが言えなかった。

しばらくして、友達は離れていった。
「なんで、いつも通りできないんだろう」と訳もわからず私は悲しかった。
そして、ただただ友達に申し訳なかった。

ちょこちょこ、クラスメイトは話しかけてくれる。
ちょこちょこ私もクラスメイトに話しかける。

性別関係なく、カーストも関係なく、私はたまに話しかけるし、クラスメイトもたまに話しかけてくれる。
元々、誰とでも話すし話しかけられるタイプだったから、その名残りみたいな感じだった。
私もノリを合わすし、ニコニコするし、冗談を言う。

いじめられることはなかったけど、中にはやっぱり嫌味を言ってくる子もいた。
私は私で皮肉を返したり、何も言えない時もあったりで悔しかったり。

たりたり。

みんなには絶対好かれていないと強く思っていたから、私から話しかける時は相手の状況をよく伺って、相手が大丈夫そうな時だけ。
話しかければ普通に話してくれるんだけど、私はそれ以上相手に踏み込まないようにしていた。

大3くらいにFacebookを始めた。
写真関係でFacebookを使っている人が結構多くて、それで始めた。
そしたら、中学の同級生から友達リクエストが何十件か来てびっくりした。
本名でやってはいたけど、どうやって見つけたんだろう。

ほとんどが詮索したい気持ちだったんだと思う。
私がどこで何をしてどうなったのか知りたいだけ。

でも何人かメッセンジャーで挨拶してくれる子もいた。

友達だった子や、クラスメイトたちに申し訳なかった気持ちがまた湧いてきて、泣いたのを覚えてる。

あの頃は、みんなに嫌われていると強く思っていたけど、卒業までちょこちょこみんな話しかけてくれていたんだよなって思い出すと、もしかしてすごく気を遣わせたりもしていたのかなって、そういう視点が初めて持てた。
でも、思い上がりかもしれない。

本当のことは知らない。
私の耳にこそ届いてこなかったけど、陰で悪く言っていた子はきっといたはずだし。
私ですら私が不思議だったのだから、クラスメイトにはもっと不思議だったと思う。

でも、Facebookを始めて、中学の自分を少し許せた。
私もみんなも、たったの14歳前後の子どもだった。
子どもだったと初めて思えた。

勝手に傷付けたくせに、勝手に自分を許して、ごめんね。

今も、あの頃の大好きだった友達に心の中で謝っている。
もう会えないけど、今もたまに思い出してる。
幸せでいてほしいと自分勝手に願っている。

Facebookは、社会人になってSNSを整理しようと思った時に消した。

元気でね。

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