「嫌いな人」があんまりいなくて、「安定」しているわたくしめの悩み

イヤミではなくて、ナヤミなのです。
イヤミに見えたら引き返してください。

今日遊んだ友達に、
「オブリガートちゃんって、嫌いな人とかいないでしょ?」
「いつもメンタル安定してそう、沈むこととかないの?」と言われた。

「確かに、苦手な人がごくたまにいるくらいで、人をそんなに嫌いになることないかも」
「沈むことはあっても、ご飯食べれるし日常生活送れるし、少なくとも沈んだとて人前で平然と振舞える程度には安定してるな」って自分でも思って。

これまでの周りの友達が話していた内容を復習したら、
「この人無理!って思ったらとことん無理」とか「病んで1週間動けなかった」とかのエピソードは本当に多いって思うし、
それに対して「人嫌いになってもどうしょうもなくない?」「病んでも解決しないよ?」ってわたしが思うってことは、
わたしの理屈が正しい正しくない以前に、わたし自身が「この人無理」って思うレーダーも、「立ち直れない」ってなる挫折もほとんどないから、
シンプルにその気持ちが分からないんだと思う

わたしは、誰かが困っている時にすぐ力を貸してあげられる人でありたい。
そんな時「気持ちが分からない」ようでは駄目だなって思うんよ。
人の痛みが分かるから、すぐに必要な力を貸せるのが人間だし、
その痛みが分からないってすごく致命的だなって思って。

でも、人の痛みを知るために誰かを嫌いになろうとも思わないし、
各所に失礼な行為だっていうのは十分わかってるから、
もう、わたしはわたしなりの力を貸すしかないのかもしれない。
「これ以上は無理、ごめんよ他のあなたの気持ちがわかる方を当たってくれ」そんな風に諦めるしかないのかもしれない。


けどさ、わたし思うんだけど、
嫌いな人がいる人って、その分好きな人もいるわけだし、
沈むことがある人って、その分上がることができる人だと思う。きっと。
それが本当に羨ましいことで。
苦しんだり楽しんだりもがいたりときめいたり泣いたり笑ったり、同じ経験をしていたとしても、きっとわたしの心のレーダーは鈍くて、他の人の心のレーダーはしっかり反応してるから。辛いことをより辛いと思えて、嬉しいことをより嬉しいと思える人の、それが羨ましい。

確かに「基本的に誰とでもうまくやれて、安定してる」そんなわたしの性質も実は気に入っているけど。
でも、人の痛みも、喜びも、十分に知らないままで、
誰かの大事な友人でい続けていいのでしょうか。
ましてや、今後、誰かの上司、誰かの恋人、誰かのかけがえのない存在になるなんてことがあっても、果たして認められるのでしょうか。感情が鈍いわたしの代わりなんて、AIでもできちゃうよん。なんて。

以上ナヤミでした。
また、春が来ましたね。