懐かしむことが一番の惜別、忘れることが一番の復讐

だと、わたしは思うのです。


今ちょうど、「やがて海へと届く」という小説を読んでいるのだが、
(読み終わってすらないけど)

「すごく仲良かった子が学期の途中で、海外とか、めちゃくちゃ遠くに転校しちゃうの。別れて辛いし、さみしいし、新しい友達もできてだんだん思い出さなくなるし、でも元気でやってるといいなって時々思うの。—私が死んだら、リコにそんな風に思われたい。二度と会えなくても、遠くにいても、友達のままでいたい」

彩瀬まる「やがて海へと届く」p144-145

この言葉がすごくしんなり来て。

一緒にいて楽しかった人たち、青春の時代を共に駆け抜けた人たちでさえ、
もちろん今でもつながりのある人もいるけれど、
やはりみんながみんな現在もやり取りをしているわけではなくて。
LINEすら交換していない人、今どこで何をしてるのか分からない人、
そんな人だらけ。あの人もこの人も。

今でもつながりのある人だって、お互い昔より遥かに成長して、
だからこそ関わり方だって昔のままではいられないし。

けれど、昔を思い出すことはできる。
あの時楽しかったな、あの人元気かな。
思い出すのは、幸福な思い出がいい。
言葉にすると、ちょっと薄っぺらい気もするが。
それが「遠くにいても友達」でいることであり、
同時に今の自分と過去の自分たちを切り離す惜別ではないかと思う。


話は変わるが、大学の時の友人で、
中学の頃いじめにあって不登校になっていたと告白した子がいる。
その子は、こんなことを言っていた。

中学校は暗黒時代。
しょうもないマウント取り合戦の餌食になって、いじめに遭って。
中学校の時はあんまり学校も行ってなかった。
そのせいで高校はいいところに入れなくて悔しくて。
だから、大学入試ではあいつらを絶対に見返してやろうと決心して。
めちゃくちゃ勉強して、この辺では1番の大学に入って復讐してやった。

某友人のお言葉

その子の努力が報われて、彼らを見返すことができて本当に良かった。
成功体験はずっと、自信となってその子の中に残り続けるだろうし。
わたしは当時、そう思っていたのだけれど、
恨み続けるということは、その子がずっと「暗黒時代」に囚われているという解釈もできなくもない。
ひどい心の傷を負ったためなのはわかる、でも「暗黒時代」に取り残されることは、彼らの思うままであり、一番の「復讐」とは言い切れないのではないかなって。

一番の復讐は、忘れることだろう。
もちろん忘れられない。わたしだって、いじめには遭わなかったものの、どうしても合わない子とどうしても合わないクラスに苦しめられて、人間不信になって、1年ほど引きずっていたことがある。優しい泡のように小さくなっていく幸せな思い出に対し、嫌な思い出ほど鮮烈に残るものだ。
だけど、嫌な記憶をものともせず、忘れ去って、次のステージで上手くやること、それが一番の復讐なんじゃないかって。
忘れられることは、なかったことにされること、無視されることだから。
あの友人は、大学以降、バイトの仲間ともサークルの仲間ともとっても楽しくやっていた。それが一番の復讐だと、わたしは思う。


そして、そんな友人とも、今はほとんど連絡を取らなくなってしまった。
あの子と夜遅くにzoomして深いこともしょうもないことも語り合ったのとか、楽しかったなあ。