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水瀬いのりの涙を見て、また自分の無力さを思い知る。

 10月29日、ぴあアリーナMM。声優・水瀬いのりのライブツアー『SCRAP ART』横浜Day.2、通算6公演目に現地参戦した。千秋楽ということで、アンコールで捌けた後に今回限りのダブルアンコールとして三度ステージに上がった水瀬は、MCでお気持ち表明をし、あまつさえ涙を流した。これまでも武道館などで歌唱中に感極まることはあったが、MC中に泣いたのは私の知る限り異例だった。

「“チームいのり”には、しんどい時とかでも弱音を吐けるようになって、みんな本当に優しくて大好きで……(涙)」

 いのりバンドを始めとするライブチームのメンバーに弱音を吐けるようになった水瀬。意外だった。完璧なライブパフォーマンスをこなす優等生の彼女にもしんどい時があるなんて、少なくとも私には想像できなかったからだ。

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 水瀬いのりのライブを一言で表すなら「安心」だと思う。ブルーレイで画面越しに観た1stも、現地参戦した2nd以降も、もちろん今回のライブも、ただ可愛いだけではなく、パフォーマンスはレベルの高い合格点をオールウェイズ出してくれる(©某ジロリアン)。早い話が“優等生”なのだ。例えるなら『【推しの子】』の星野アイ。完璧で究極の声優アーティスト。

 そして、MCで己の心の内を滅多に明かさないことも大きな特徴だと思う。だからこそ我々は安心できた。昨今、ライブのMCで弱音を吐いたりお気持ち表明する声優も少なくないが、それが一切無いだけで安心して聞いていられるのだ。ブルーレイに収録されているライブの準備期間に密着したドキュメント映像も漏れなく視聴したが、練習もリハーサルもゲネプロも卒なくこなしており、裏側までも完璧な優等生を演じ切っていた。

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 しかし、泣いた。2日前、10月29日の夜に水瀬は涙を流したのだ。7年前に殺害予告があった時ですら「私、弱くないんで」とブログに綴っていた水瀬いのりが、弱音を吐くようになったのだ。初めて水瀬のネガティブな感情を目の当たりにした私は戸惑うしかなかった。

 それ以上に驚いたのはSNSでのファンの反応だった。「#SCRAPART」で検索しても感想は「楽しかった」「感動した」「最高」など小並感のオンパレードで、私のように違和感を覚えたり心配する人は皆無だった。「しんどい時に弱音を吐けるようになった」という文言をポジティブに受け取ったファンが多かったようである。そんなの都合が良すぎる。自分が楽しければそれで良いのか。

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 優等生である前に一人の人間。泣く時だってある。そう考えれば終わる話だ。それなのに、2日経った今でもモヤモヤが晴れないのは何故か。ずっと考え続け、ようやく答えは出た。

 弱音を吐いた先が“チームメンバー”だったからだ。

 弱っていた水瀬を直接的かつ本質的に支えていたのは周囲の人々であって、我々ファンは1対1で会話することすら許されない遠い存在であることに気付いてしまったからだ。

 Liella!の伊達さゆりが泣いた時と同じだ。またしても私は、自分の無力さを思い知るのだった。

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 ファンの中には30万円を注ぎ込んで全通したり、フラスタを贈呈したり、手作りうちわで応援するなどのガチ勢も多く存在する。しかし、そのどれもが、悩んでいる理由さえも不明な水瀬の本質的な支えにはなっていない。水瀬とチームメンバーの強い絆に敵うファンは誰一人として居ない。そもそも彼等は己の娯楽を満たす為に推し活しているに過ぎないのであって、支えにならないどころか認知すらされなかったとしても気にしていないのだろうが。

 ましてや時間的・金銭的な事情でツアー最終日にフラっと顔を出しただけの私なんて、居ても居なくても変わらないのである。私が応援してもしなくても水瀬に何の影響も与えず、支え合ったチームメンバーの誰かといずれ結婚してフェードアウトするのだろう(良くある「声優と音楽関係者の結婚」はこうして発生する)。真理に気付いてしまい、虚無感の抜けない私に今後も推し活を続けていく資格はあるのだろうか。そもそも推し活とは一体何なのか。哲学的な命題に未だ答えを出せぬまま霜月を迎え、心も身体も凍えていくのだった。

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