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「その人らしく生きてほしい思い」から始まった。目指すのは、関わり合いをサポートできる場所



ともよ なぜ「その人らしく生きてほしい」と思ったのか、そのキッカケについて教えて いただけますか?

岡本 私が入所施設職員として働いてたときのことです。当 時、私は25歳でした。担当していた私と同い年の利用者の方が彼でした。毎日、夕方になると居室の窓辺に座って外を見ているのです。その姿を見て、ふと私は愕然としました。40 年後も彼は同じように座っているという事実に気がついた からです。 人としてさまざまな経験をする機会もなく入所した彼でした。花ざかりとも言える年ごろなのに、建物と同じように、ただ年を重ねていく生き方に理不尽さを感じま した。

一度きりの人生に障害があっても、その人が望む暮らしをしてほしいと思ったので す。施設以外の選択肢を地域に作らなければと漠然と思いました。

ともよ 施設以外の選択肢を作ると決意して、どのように活動されたのでしょうか?

岡本 くるみを含めて4つの法人設立に携わってきました。初めは地域の中に、い ろんな特性をもつ人たちでも受け入れられる居場所作りに挑戦しました。 地域課題に取組むさまざまな人たちと協力して、障がいをもつ子どものお母さんを 先頭に、私にとって最初の事業所を立ち上げることができました。その居場所で私は6年間、無我夢中に働きました。でも、地域に居場所を作るだけでは不十分だとも実感しました。居場所があるだけでは、利用者個人のニーズ・満足度には応えられてないことに気がつきました。

特に20代の人たちが家以外の場所として、その居場所にいるだけになっているのではないかと思いました。人生の選択肢が施設に入所するだけという強要はなくなっ たのかもしれません。でも「施設と何が違うのだろうか?」と思いました。考え続けた結果、大人には 「活動」と「役割」が必要なのでは?と思うようになったのです。 そのためには、質の高い福祉サービス資源の選択肢がたくさん必要だと思いました。


ともよ 質の高い福祉サービス資源の選択肢が必要だと感じてから、具体的に何が必要だ と思われましたか?

岡本 その後、また障害をもつ子どものご家族の方と協力して、私にとって2つ目 の事業となるNPO法人を設立しました。 ここでも支援者として働いて気づきがありました。支援学校を卒業する「人生これからの18歳」の時、職場の選択肢がないことでした。ニーズに対して事業所が圧倒的に足りてなかったのです。加えて、重度の障害をもつ人・発達障害の人を受け入れる事業所は少なかったです。だから、重度の障害をもつ人でも個性を活かしたアート作品の制作で働いて、賃金を得る機会を作りたいと思いました。サービスを利用して、社会参加することを目的としました。また親亡き後の生活を支える体制も当時は一切ありませんでした。

その頃から福祉施設での人材不足により未経験・スキルのない人でも、福祉職につく人が増えてました。それが原因となり、全国で利用者に対する虐待事件が続発していたのです。このことが、富山県の専門的支援の力量の向上と、親亡き後の生活を支える体制作りを目的として、3 つ目の事業となった NPO法人を設立するキッカケにもなりました。

他にも、2つ目のNPO法人で相談事業を始めた時のことです。困難な家庭のケースとして出てくるのは、自閉症のお子さんをもつ母子家庭ばかりでした。関わりに専門的スキルが必要な子どもを預ける場所はありませんでした。だから、常にお母さんは一緒に生活しなければなりません。そうすると、お母さんは生活のために働くこともできない悪循環に陥ってました。加えて、子どものときから専門機関に関われず、大人になって二次障害を起こす子どもたちが数多く存在しました。当時は、世間だけでなく学校や福祉施設でも、障害をもった子どもの面倒は母親が全てするものという圧力がありました。

子どもたちと家族が少しでも生きやすくなってほしいと思います。未来を支えるためにも、予防的に専門的に関わる必要があると実感しました。そこで、幼少期から関わる社会資源としてくるみを設立しました。


ともよ 率先して課題解決に取り組んでいる印象を持ちました。なぜそのように活動でき たと思いますか?

岡本 自分から積極的に起業したい思いはありませんでした。でも、NPO 法人を立 ち上げるキッカケには、必ずそのとき出会った子どもとお母さんが明確に存在してましたね。

2 つ目の就労支援をメインにしたNPO 法人では、行動の激しい重度の自閉症の女の子でした。とてもおしゃれで色のセンスが良くて絵が上手な方でした。お母さんも 「この子らしく働いてほしい」と願っていました。 当時も今も重度の障害を持つ人が働く場所は、丸一日段ボールの組み立てなどを行う作業が多いです。 世の中にはたくさんの職業があって、職業を選べる時代なのに、「なんで簡単な作業だけ?」と思いました。

新拠点くるみの森の設立のキッカケも、人工呼吸器をつけた男の子とお母さんでした。呼吸器などの医療的ケアをしていることで、子どもとして通える場所がありませんでした。それも普通に考えたら、おかしいと思いました。だから、「とにかくこの子が通える場所を作りたい」と思って作ることを決意しました。

私は家族ではないので、家族と同じ思いにはなれません。でも、思う生き方ができないその悔しさには共感できました。また、人としての権利を考えたら、この生活は普通でないと思いました。「思いの共感」と「ノーマライゼーションの人権意識」が、医療的ケア児の事業を設立したのだと思います。


ともよ お話を伺っていると、くるみは岡本さんの福祉への思いの集合体のように感じま した。設立にあたって困難に思うことはなかったのでしょうか?

岡本 実はくるみ設立まで、福祉事業は当事者の方との両輪でこそ運営できると思 い込んでいました。

でも、いろんな人の意見を聞く中で「第三者だからできることもあるのではないか」と考え直しました。 外部専門家(起業)のアドバイスもあり理念を時間をかけて明確にした上で、根拠を持ってくるみの設立にも踏み出せました。施設を新しく建てるにあたって多額の借入れをしました。アドバイスに基づいた明確な収支計画がなければ、経営者として決断できなかったと思います。経営に関しては現在も外部専門家からアドバイスをもらいながら方針を検討できているので心強く思っています。

ともよ さまざまな人との関わりで成り立っているくるみですが、どのような支援を心が けていますか?また職員に大切にしてほしいことなどはありますか?

岡本 くるみの児童支援のキーワードとして「経験、出会い、楽しみ、子ども同士 での関わり」があります。職員には、しつこいぐらいに伝えて考えてもらっています。そうしないと働く自分側・支援者側の目線で子どもとご家族に接するようになるからです。接する際に、同じ「伝える」でも支援者目線と家族目線では全く意味合いが異なり ます。その結果、利用者の方とご家族を傷つけることがあるからです。あくまでも私たちの仕事は、利用者とご家族を上から指導するのではありません。隣にいてサポートをすることだと思っています。

岡本 くるみは、他の事業所では受け入れが難しい子どもたちこそ受け入れできるようにと思っていました。

そのためには、私が職員として働いていた時代のように、先輩の背中を見て自然に学ぶだけでは、支援の根拠が明確でない上に、方向性も共有できません。だから専門的に根拠に基づいた支援を行う外部専門家ケアによる実地研修等を受けられるようにしました。学ぶことは、時に大変なことでもありますが、結果として利用者の方を守るだけでなく、職員の働く安心感と自信につながっていると思っています。

また、できるだけ時間や人材には余裕を持たせるように配慮し、職員の支援に対する不安は内部・外部研修で補えるようにしているつもりです。

ともよ 利用する側(利用者)もですが、働く側(支援者)にとっても安心して居られる ことは大切なことですね。その仕組みづくりをしたなかで、今後どのように社会に 働きかけたいと思いますか?

岡本 私自身の最終目標は、利用者さんとご家族の「幸せな人生」を送ってほしい ことです。そのためにはまず選択肢、社会資源を増やすことだと思っています。 ときとして、昔の私もそうであったように、職員は目の前の支援に熱心なあまり、 何のための支援かを見失うことがあります。だからこそ代表として、職員が基本をしっかり考え、いい支援をできるようにしたいと思っています。そして、職員の幸せな支援者人生も保証しなければと思っています。

多くの子どもと家族の人生に関わらせてもらうことは、職員にも学びが多く、人として成長できる仕事だと思っています。そのためには職員の待遇向上などはもちろ んのことですが、働きやすい柔軟な環境や雰囲気も大切にしています。

くるみの「理念や方針」は変わることはありません。自分自身が意識できないことや利用者の方や社会から求められるニーズの変化ついては、くるみをさまざまな形 でサポートしてくれる人たちのアドバイスを参考に対応していきたいと思っていま す。 最終的に巡り合って、私の目標である社会資源(事業所、人、制度しくみなど)を増やすことにつながっていくと思っています。


ともよ ありがとうございます。最後に今後、くるみはどのような場所でありたいか教え ていただきたいです。

岡本 学生時代のボランティアで出会った人、後に施設職員時代の私の上司でもあ った人の言葉が、私の福祉の在り方をつくったと思っています。 何の気なしにその人に障害をもった子どもたちと関わりたいと言ったのです。そしたら「子どもの頃はみんな可愛いから、保育士、学校の先生などたくさんの人 が関わる。岡本さんには、それだけでなく可愛くなくなり関わる人が少なくなった大人になってからの60年間以上の人生をどう豊かに過ごしてもらうかという福祉の 仕事の醍醐味も知ってほしい。」と言われました。単純にそうだと納得できました。だから、くるみは赤ちゃんから大人まで個別のニ ーズに応えて伴走できる場所にしたかったのです。

私は今、くるみの理事長として、様々な形で職員にくるみの理念や想いを伝えているのだと思います。それぞれの職員の福祉への思いや各自のやりたいことにつなげていけるようにです。
集合体としてのくるみが、多くの方に寄り添える場所になればいいと思います。 地域の中にはさまざまな人がいて、それが認められて、互いのちょうどいい距離で協力し合っていく、関わり合うことが「共に生きる共生社会」だと思っています。だから、くるみはその関わり合いをサポートできる場所として在り続けたいと思い ます。

社会福祉法人くるみ
理事長  岡本 久子


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