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『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』

 先日鑑賞した映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の感想を書いていく。以下はネタバレを含む。

 ロッテルダム港を出発し、アメリカへと向かう豪華客船。ヨーゼフ・バルトークは久しぶりに再会した妻と船に乗り込む。かつてウィーンで公証人を務めていたバルトークは、ヒトラー率いるドイツがオーストリアを併合した時にナチスに連行され、彼が管理する貴族の莫大な資産の預金番号を教えろと迫られた。それを拒絶したバルトークは、ホテルに監禁されるという過去を抱えていた。船内ではチェスの大会が開かれ、世界王者が船の乗客全員と戦っていた。船のオーナーにアドバイスを与え、引き分けまで持ち込んだバルトークは、彼から王者との一騎打ちを依頼される。バルトークがチェスに強いのは、監禁中に書物を求めるも無視され、監視の目を潜り抜け盗んだ1冊の本がチェスのルールブックだったのだ。仕方なく熟読を重ねた結果、すべての手を暗唱できるまでになった。その後、バルトークは、どうやってナチスの手から逃れたのか? 王者との白熱の試合の行方と共に、衝撃の真実が明かされる──。

https://royalgame-movie.jp

 物語は、主人公ヨーゼフがアメリカへ向かう船へと乗船する場面からはじまる。ヨーゼフはかつて公証人を勤めていたが、彼が管理する莫大な資産を求めたナチスに連行され、その出金に必要な番号を言うまで監禁されるという過去があった。そこから命からがら脱出し、捕まる前に共にアメリカへ逃げようと約束した妻と会うため、ヨーゼフは船へ乗る。
 乗船してすぐに生き別れた妻とそこで再会し、共に時間を過ごすも、時折過去の恐ろしい記憶がフラッシュバックする。記憶に苛まれながら愛する妻と共に過ごし、ようやく勝ち取った安らぎの時間を謳歌するのだが、時間が経つにつれて、不可解なことが起きていく——。

 回想において、何も与えられることなくただ監禁され続ける、いわば無間地獄とでもいうべき処遇を受けるヨーゼフであるが、少しずつ狂気に飲まれていく様は非常に恐ろしい。人間は退屈に耐えられるようにはできていないのである。それまで音楽を嗜み、書物を読み、妻と会話を楽しんでいた文明人であったヨーゼフにとっては、文化に触れることができないというのは本当に辛いものであっただろう。

 何もできない中で、生きたまま死んだような状態であったヨーゼフが、尋問のため部屋の外に連れ出された時、処分されそうになっていた本を1冊手に入れることに成功する。この時の本を大事そうに撫で、期待に満ちた表情で開く様はとても印象深い。どうしようもなく活字に飢えていたヨーゼフにとって、危険を犯して手に入れたこの本は、何にも勝る宝物だったのだろう。だからこそ、文章ではなくチェスの解説本であったことに気づいた時は、一度は投げ捨ててしまう。しかし、他にすることもないとチェスの本を読み始めた結果、彼はどこまでもチェスの世界へのめり込んでいくことになる。

 現在、そのような過去の記憶に苦しみ続けながら豪華客船でアメリカへと向かう旅を続けるヨーゼフであるが、妙なことが起き始める。フラッシュバックに苦しみながら目が覚めると、共にいたはずの妻がいなくなっているのである。船員に聞いても上船はしていないという。これはどういうことなのか。
 
 さらに、船にはチェスのチャンピオンが乗り合わせており、彼と対局をすることになるのだが、そのチャンピオンも少し妙である。チェスの世界王者でありながら、口を聞くこともできず、読み書きもできない。チェスだけが彼の言語である、と劇中では評されるが、果たしてそのような人物が世界王者になれるものだろうか。さらに、世界王者がしている腕時計は、かつてヨーゼフが身につけ、ナチスに監禁される際に取り上げられたものとそっくりだったのである。ヨーゼフはそれをみて、対局に腕時計を賭けるように言うのだが、それを持っているというのも不思議な話である。

 そして、いくらそれに狂気に触れるほどのめり込んだからといって、本を1冊読んだだけの素人が世界王者と渡り合えるものだろうか。現実に考えれば不可能に近い。それだけヨーゼフに才があったとも言えるが、イマイチ説得力に欠ける。

 本作のラストで、それらの答えが明かされる。

 最終盤にて、王者との白熱する試合の中、ヨーゼフの身に起きていた真相が明かされる。ヨーゼフはナチスの監禁から脱出などできていなかった。全ては彼が狂気の中で見た幻想であり、豪華客船も、妻も、チェスの王者も彼の前に実在などしなかったのだ。
 彼は今も、ナチスに囚われており、今まさに番号を聞き出され、それを書いている最中だったのである。
 
 全てが彼の幻であったのなら、
 チェスの王者が口を聞くことができないこと(現実的に考えて、読み書きもできず言葉も話せない人物がチェスのチャンピオンになるのは無理がある。チャンピオンの写真はヨーゼフが読んだ本に載っていたので、空想の中で姿だけ反映させたのだろう)、
 たった一冊の本を読み込んだだけで王者と渡り合えたこと(ヨーゼフが指していたのは本に載っていた、世界チャンピオンが指した棋譜である。それをそっくりそのまま空想の中でチャンピオンと指していれば、渡り合えて当然である)、
 チャンピオンがヨーゼフの時計をしていること(ヨーゼフの空想の中なので、本来持っていないものを持っていない人が持っていても何もおかしくはない)
 全ての不可解に説明がつく。

 しかし、彼が現実で一心不乱に書きナチスへ差し出したのは、番号ではなく今まさに空想の中で指しているチェスの棋譜だった。それをみて、1年もの間ヨーゼフを監禁したナチスは、彼から番号を聞き出すことを諦め、彼を解放することを決める。どうしようもないほどの深い狂気に落ち、自分が何者であるかということまで喪失してしまったヨーゼフであるが、ついにナチスへと番号を渡すことはなかった。あまりにも大きな代償を支払ったが、ヨーゼフはナチスへチェスを武器に戦いを仕掛け、見事勝利してみせたのだ。

 正気を失い、記憶を失い、自分が誰かも失った彼は、最後に再会できた、けれどもう記憶にない妻から、ホメロスの『オデュッセイア』を読み聞かせてもらう。あまりにも苦しく、辛い道のりであり、もはや本人でもそれと理解することはできない状態になってしまったが、それでも最愛の妻の元へと帰ってきたヨーゼフは、多くの苦難に苛まれながらも、帰還を果たした『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスに重なるところがある。

 嬉しそうに妻が読む『オデュッセイア』に耳を傾ける彼の隣にはチェス盤が置かれているが、彼が手を伸ばすことはない。チェスを武器に戦いながら、彼は劇中では最後まで現実に駒に触れることはなかった。しかし、ここにあるということは、全てを失ってなお、チェスは彼の支えになっているのだろう。今は武器ではなく、娯楽として、楽しいものとしてチェスを楽しめていることを願う。

 チェスも、本も、妻も、求めていたもの全てを取り返し、心からの安らぎを得た表情を浮かべたヨーゼフと、そのそばに寄り添う妻の姿で、本作は幕を閉じる。その結末は悲しいものであるが、どうあれ彼は『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』に勝利した。それだけは間違いない。想像を絶する戦いを制し、見事ナチスに負けを認めさせ、チェックメイトしてみせたヨーゼフの余生が、平穏なものであることを祈る。

 

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