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東南アジアに染み込んだ欧米諸国の文化(植民地の歴史)

1760年代、
イギリスから始まった産業革命により

安価で安定した品質のイギリス製品が
世界各国へ大量に流れ込んできました。
このままでは自国の産業が衰退します。

各国は
イギリスから技術者を招いて機械生産を始め、
イギリスから機械を輸入して、
自国の利益を守り、産業革命の道筋を作りました。

イギリスに追随したベルギー、フランス、
ドイツ、アメリカ、ロシア、中国、日本は、
後発の産業革命国となり、

国外からの原材料供給を求めて、
他国家や民族を支配する帝国主義政策を展開。

生産と販売を行う資本主義国と、
原材料供給を行う地域に、
世界を分業していきました。

さらに、欧米諸国は
東南アジアや太平洋諸国の
植民地化を進めて支配を強めてきました。

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【オランダ × インドネシア】

1568年〜1648年、長きに渡る独立戦争で
オランダはスペインからの独立に成功。

オランダは、国土の狭小さを補う必要があり、
通商国家として活路を見いだそうと、
独立戦争中から海外進出を続けてきたため、
次第にイギリスと競合するようになってきました。

1596年、首都ジャカルタがある
インドネシアのジャワ島に来航。
1602年、オランダ東インド会社を設立。

オランダによるインドネシア植民地支配は、
オランダ東インド会社の(1602-1798)後、
オランダ政府により1799-1949年まで続きました。

オランダは一時期、世界の覇権を握っていましたが、
1830年に南半分のベルギーが独立してしまうなど
ますます狭小となっていたため、

インドネシアへの植民地支配を強めて、
水田(米)をサトウキビやコーヒー畑に転換させるなど
産業革命に向けてインドネシアに財源を求めました。

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【イギリス × マレーシア/シンガポール】
【イギリス × インド/ミャンマー】
【イギリス × オーストラリア/ニュージーランド】


イギリスは、中国との貿易拡大をもくろんで
1826年、マレーシアとシンガポールを植民地化し、
1886年、既に支配していたインド帝国に
ミャンマー(ビルマ)を編入しました。

イギリスによるインド植民地支配は、
1600年に設立したイギリス東インド会社の後、
イギリス政府により1858年-1947年まで続きました。

正式に植民地とする前から公用語を英語とし、
ペルシア語や各地方語の使用を停止。

役人になるためには英語を使えなければならず、
英語は急速に普及し、統一言語の発達が遅れました。

1858年以降、インドの反英闘争は年々激化し、
第一次世界大戦(1914-1918)後はガンディーによる
非暴力・不服従による独立運動が盛んになりましたが

イギリス政府は、軍事力とコミュナリズム
(ヒンドゥーとイスラムの宗教的対立)を
利用した巧妙な分割統治を行い抑え込みました。

1947年、インドの独立が実現しましたが
ガンディーが目指した「1つのインド」ではなく、
ヒンドゥー教徒の国インド連邦と、
イスラム教徒の国パキスタンへ分離独立。

さらに、1971年、
インドの東西に2地域あったパキスタンの
東側がバングラディシュとして独立しました。

また、イギリスは1788年〜1901年まで
アメリカに代わる流刑地として
オーストラリアを植民地化し、

1840年〜1947年までは
ニュージーランドを植民地にするなど
太平洋諸国へ進出する主役となりました。

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【アメリカ × フィリピン/ハワイ/グアム/サイパン】

独立宣言(1776)からパリ条約(1783)を経て、
イギリスから独立を果たしたアメリカは、

国内で産業の分業を進めながら、
イギリスと同様に太平洋諸国へ進出しました。

1565年からスペインが統治していたフィリピンを
1898年にアメリカが独立へと導きましたが、

アメリカが1902年-1946年に
フィリピンを植民地化しました。

1898年に併合したハワイは、
アメリカとの貿易に依存するようになり
1959年ハワイ女王を退位させて50番目の州に昇格。

グアム島は、
1898年スペインとの戦争に勝利してから
現在までアメリカ領となっています。
(1941年-1944年は日本軍が一時占領)

ちなみに、サイパン島も
1898年スペインがドイツに売却した後、
1914-1944年まで日本軍が統治し、
現在はアメリカ領になっています。

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【フランス × ベトナム/カンボジア/ラオス】
【フランス × ニューカレドニア】


1887年、フランスはベトナムを占領し、
タイが支配権(宗主権)を主張するカンボジアを
保護化して、インドシナ連邦を発足しました。

タイが同じく支配権(宗主権)を主張するラオスも
タイとの戦争によって獲得し、1899年に保護化し
インドシナ連邦に組み込みました。

イギリス領のミャンマー(ビルマ)と
フランス領のインドシナ連邦
(ベトナム/カンボジア/ラオス)に挟まれたタイは、

イギリスとフランスに領土を譲って妥協を図り、
両国の緩衝地帯として生き残ることになりました。

その後、ベトナムは1945年に独立。
ベトナム、カンボジア、ラオスは
フランスとの第一次インドシナ戦争を戦って
カンボジア、ラオスが1953年に独立しましたが

ソビエト連邦とアメリカを中心とする
冷戦(1945-1989)に巻き込まれていきます。

冷戦期の1955-1975年ベトナム戦争では、
アメリカが軍事介入する南ベトナムに対して、
ホーチミンが指導する北ベトナム(社会主義)が勝利。

1975年、南ベトナム首都サイゴンが陥落。
1976年、サイゴン市がホーチミン市に改名。

今でも、ホーチミン市の中心部を
サイゴンと呼ぶ現地の人たちが多いようです。

また、カンボジアやラオスは
ベトナム戦争の範囲拡大で巻き込まれる中、

それぞれ内戦が起こり、社会主義側が勝利する
第二次インドシナ戦争(1960-1975)を乗り越えました。
(1993年からカンボジアは資本主義国家)

フランスは、
イギリスとの領有合戦に対抗するため、
新たな領土を求めて、

オーストラリアの東側に位置する
ニューカレドニアを1853年に占領しました。

1998年のヌーメア協定をもとに
2018年、2020年、2021年に3回、
独立の是非を問う住民投票が行われましたが、
いずれも独立反対派(右派)が過半数を超えています。

背景としては、
白人が占める植民地型の社会が残っているので、
独立反対派にとっては、
今の社会の方が好ましいと考える人が多いからです。

フランスは現在もニューカレドニアへの
移住を推進していて、

10年間定住すれば投票権が与えられる
憲法改正案が2024年5月に可決されましたが

独立賛成派(左派/先住民カナク系)が
暴動を起こしています。

21世紀になってもなお、
世界的に植民地は残り続けており、

フランスは南アメリカ大陸のギアナ、
北アメリカのサンピエール島など13の地域。

他にも、
アメリカ、イギリス、オランダ、
ノルウェー、デンマーク、チリ、
オーストラリア、ニュージーランドが

北中米カリブ海、インド洋、オセアニア
などの島国を海外領土(植民地)としています。

ちなみに、
アジアで植民地になったことがないのは
日本、タイ、ネパール、ブータンの4ヶ国のみ。

昔のような強制的な植民地支配は薄れていますが
先住民系の暴動が起きている内は、
世界的に解決しなければならない問題といえます。

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ラオスの首都ヴィエンチャンには、
内戦戦没者の慰霊碑として
凱旋門(パトゥーサイ)が建てられています。

パテート・ラーオ(左派)が
ラオス王国(右派)に軍事介入するフランスなどの
外国軍を内戦で追い払った勝利の門でもありますが

フランスを追い払った勝利の証に
フランスの文化的建造物をモチーフにしている点で、

植民地帝国の思想や文化が
ごく自然と国民に染み込み、
根付いていたのだと思われます。

内陸国のラオスは、
周辺の国々から発展が一歩遅れており、
現在急速に発展している最中です。

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