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ネタ人生7~大学院生編~


1:あいさつ

皆さんこんにちは。
リュウノスケのしもべです。
本日もネタ人生にお付き合いください。
今回は大学院編です。
言いたいことは以下の点です。

  • 会計士予備校に通わないと会計士にはなれない

  • 日本国内ならどこ行っても侮辱などはされる

2:「いじめ大学」の大学院に進学する

2-1:入学前に大ケガ

俗にいう「いじめ大学」の大学院・アカウンティングスクールに入学します。
そこが運命の転機でした。
大学院合格当初はモラトリアム期間の継続とニートからの脱出で舞い上がっていました。
その舞い上がりが痛い目(物理)に遭うのです。
2月初旬、大学院に入学する前でした。
寒すぎる北国の道はツルツルに滑っています。
足元に気をつけながら下り坂を歩くと案の定、滑って転んでしまいます。
足裏が滑り止めの靴だったのと受け身を取るのが嫌で変な風に足から転んでしまったのです。
すると右足首に全体重が乗っかる結果となりました。
なんと

右足首脱臼骨折

という大ケガを負うのです。
医者に言われました。

「このケガ、交通事故やスポーツでしかならないものだよ?」

何ともみっともないケガの仕方をしてしまうのです。
滑って転んで脱臼骨折。
まるで

叩いてかぶってジャンケンポン

と同じリズムじゃないのかと思わされるくらいです。
ここでアカスク入学を諦めた方が今後困ることはなかったのではないか?という気持ちになります。
無理を言って2か月で退院し、入学式に何とか間に合わせるのです。

2-2:入ってからの大変さ

当時のアカスクはイケイケムード全開でした。
「アカスク出た会計士の方が偉いんだぜ~!」というイキリ具合です。
いじめ大学には経理研究所という、会計士を目指す人たちの集団が集う場所がありましたが、とても仲が悪かったです。
いじめ大学は、中央大学の経理研究所のような各予備校の有名講師で中央大学卒業のOB・OGを集めて予備校と同様の組織を作ろうと計画していました。
しかし、いじめアカスクの当時学長であった、監査論の権威(会計士ではないにも関わらず)が「アカスクだけで会計士試験に合格できるんだ!」と豪語してしまったのです。
その結果、いじめ大学経理研究所には独自の会計士予備校が出来なくなってしまったのです。
ここからいじめ大学アカスクと経理研究所の確執が始まるのです。
アカスクの監査論教授の勧めで経理研に入ったものの、就職という観点では経理研に入らなかった方が良かったと後悔しています。
さて、アカスクですが、自分は当時、日商簿記3級程度の知識しかなく予備校にも通わずにアカスクだけで勉強しようとしていたので単位は取れませんでした。

2-3:大変さ…留年する

モラトリアム期間延長の気分で勉強を進めていた結果、1年前期で留年にリーチがかかるという最悪の状況になりました。
Fランク大学の気持ちで通うと痛い目に遭います。
大原やTACなどのような会計士受験対策予備校に通っている人だと単位は簡単に取れるでしょう。
しかし、そのような会計士予備校に通ったことのない人は地獄を見ます。
勉強の仕方も一からわからない人に大学院は厳しいものがあります。
ニートが長かったこと、厳しい勉強からしばらく離れていたことは後悔が強いものでした。
1年後期で本来であれば留年するはずが、恩赦により再履修用制度が出来たことで一旦は留年しなくてもよくなりました。
しかし、2年前期であと一つだけ落とせるところを二つ落としてしまい、半年留年することとなります。
いじめ大学の本領は、入学当初から感じていましたが留年したことでさらに強まることになります。

3:留年してから~心入れ替え勉強する

3-1:大原に通いだす

当時はモラトリアム期間をエンジョイするためだけに入ったのですが、やはりそれでは大学院修了できないよなということに気づきます。
修士1年目では研究者になりたいと思い、専門職大学院ではなく普通の大学院への転籍を考えたことがあります。
また、子供のころからの夢だった早稲田大学のアカスクに移ろうかとも思ったこともあります。
就職は、氷河期世代には厳しいものがあると思ったので就職以外の道を探っていました。
やっぱり資格がないと厳しいよね、ということで会計士を目指すことになります。
大原を選んだのは、学校法人ということで教育に集中できそうな印象が強く、実際に日商簿記1級対策答練コースに通ってとても勉強しやすそうだという強い気持ちがあったからです。
大原の入門コースはやはり勉強がしやすく、選んで正解だったなと思いました。
ステップ答練は早朝コースを選びました。達成感が強く出るので朝早く何とか頑張って通ったことをよく覚えています。
しかし、勉強をあまりしたことがない人にとって勉強は苦痛でした。何のために勉強を進めているんだという気持ちにとらわれたことが何度もありました。

3-2:日商簿記1級に受かってから勢いづく

そんな中で日商簿記1級を受かろうという気持ちが強まりました。
日商簿記1級は、会計士講座だとステップ演習やアクセス答練の基礎期の問題レベルが多く問われるものです。
当時は基礎レベルの計算について成績が伸びだしていたので、これを機に日商簿記1級合格を目指したのです。
会計士講座に通いだしてから3年目でようやく合格できました。
日商簿記1級に受かるととても自信がつきます。
会計士基礎レベルの計算について対策は十分できていることの証明になるからです。
会計士受験生はぜひ日商簿記1級合格を目指してみてください。
受かるのと受からないのでは大きく異なります。
何よりも自信が違います。
難しいと言われている資格に受かったんだという自信が会計士合格を大きく呼び寄せる結果となるのです。
合格率は10%程度なので、自信がない人はぜひ会計士試験受験の前段階として受けてみましょう。
ステップ基礎やアクセス基礎のような基本問題対策の一環として受験すると無理なく日商簿記1級対策になります。

3-3:短答が受からない…

計算は勢いづいたものの、短答式試験がかなり難しかったです。
アカスク修了者は短答式試験は会社法1科目のみでOKになります。
ですが、アカスク生優遇を阻止しようとしているのか、この会社法がとても難しいものになっています。
トリプルライセンサーの河野玄人氏も言っていましたが、会計士の短答で問われるレベルは相当難易度が高く、司法試験よりも難しいという話です。
アカスクをある程度絞るためには、会社法の試験をとても難しいものにしないといけなくなります。
自分が当時実施していた対策は大原の短答対策問題集のほかに、当時の東京CPA(学校法人の方)でお世話になった飯田豊先生の会社法条文読みテープを聞いた上、短答対策オリジナル問題集を解きこんでいました。
このオリジナル問題集は司法試験のほか、司法書士過去問のアレンジも含まれており、ここまで対策を練らないと会社法1科目のみの会計士受験生は安定した合格が狙えないというリスクがありました。
実際、短答式試験に合格するまで6回かかりました。
当時は短答が12月と5月の2回に分かれた時期だったのですが分かれたことで短答合格がさらに難しくなったと記憶しています。
ようやく受かった後は勢いに乗れたと思っています。

3-4:企業法1科目なのに「短答の極意」

短答式試験に落ちた当時、8月から始まる上級生向け講義を受ける中で当時大原で実施していた「短答の極意」という授業がありました。
計算対策の授業でしたが短答式試験に特化した内容のものでした。
自分は短答に落ちた当時、「短答の極意」を率先して受けました。
周りからは

短答で計算受けないのにやる意味ねーじゃんバーカ!

とよく言われていました。
しかし、自分はこの「短答の極意」を受けなければならないと思っていました。
短答式試験で計算が免除されているからこそ、他の受験生と同じ勉強をしなければならないと考えたからです。
この「短答の極意」があったからこそ今後に生きてきたんだと思っています。
実際、日商簿記1級は受かったのですから。

4:論文式試験に挑む

4-1:短答受かってから

短答式試験合格に苦労しましたが何とか合格を果たせました。
論文式試験は日商簿記1級合格を踏まえて、基本論点は絶対点数が取れるという気持ちで臨みました。
論文式試験1回目は、さすがに手も足も出ず、落ちても仕方なかったかなという反省が強かったです。
しかし、それでも足切りになる偏差値換算点40点未満は1科目も取らなかったので次こそは、という気持ちがとても高まりました。

4-2:「今年1年は言い訳しないで答練をすべて受けよう」

という強い意志の元、論文式試験2回目と挑むのです。
当初は成績がほとんど伸びませんでした。
あの時ああしておけばもっといい点取れたな、という思いがどうしても湧いてくるのですが、ここで言い訳せずすべて自分の点だと思い受け止めました。
模擬試験は上位84%の成績でE判定でした。
ここでも言い訳せずに勉強を続けていました。
しかし、どうしても自分は勉強時間が1日6時間しか取れなかったのです。
当時のいじめ大学経理研究所は「1日12時間勉強しろ!」としか言ってこなかったのでとても気分が悪かったです。
しかし、マイペースを続けて勉強するほうが自分にとって気分が乗るのでどうしても変えることはできなかったのです。
ですが、ある日こんな自分を変えようと思い、言われた通り1日12時間勉強した日がありました。
ですが代償を受けることになります。

4-3:めまいして病院へ

1日12時間勉強した翌日、朝起きると急にめまいに襲われました。
ずっと右へ、右へぐるぐる目が回ってしまったのです。
救急車を呼んで脳外科に駆け込みました。
どうやらストレスによる要因が強いだろうという診断でした。
その日は1日中、家で寝ることになります。
2日合わせたら結局は1日6時間の勉強時間となり、12時間勉強した結果が仇となったのです。
これでは1日12時間勉強する意味がありません。
自分にとってのベストな勉強時間を知り、実践することが大事だと思います。
しかし追い込みが必要になるのも事実です。
試験1か月前になると気持ちが一気に切り替わるのです。

4-4:え~い!

こう思ったのです。
模擬試験の結果が返ってきて上位84%であったことを知ります。
しかし関係がありません。
「上位84%?知らねーなそんなもん!」
こう思ったのです。
残り1か月、できるところを確実にしようと思い必死に追い込みます。
各科目1時間、ステップ答練3科目をそれぞれ1時間の合計9時間、休憩時間を入れると10時間の拘束時間で勉強を進めたのです。
出来なかったところの丸暗記を必死で進めました。
電卓は一切触れません。計算練習はそれまでに十分実施できているということで仕訳の形を丸暗記し気になるところだけ電卓を入れます。
そう思って追い込みました。

4-5:しかしやはり人間疲れるよね

こういった1か月を過ごしていましたが、やはり遊び人の血が騒ぐのです。
ああ、ああ…、

おうまさんが見たい!!!

こう思ってしまったのです。
そこで、本試験2日前の水曜日に企業法の飯田レジュメだけ持って大井競馬場に遊びに行きました。
当時はSⅡであった東京記念という重賞レースを見に行ったのです。
移動中・レースが始まるまで・レース終わりバスに乗って帰る間、ずっと飯田レジュメの読み込みをしました。
周りは競馬新聞を読み込んでいる中、自分は飯田レジュメを読み込んだのです。
周りの人は「なんか難しいやつ読んでる!」と思ったことでしょう。
細切れの時間を有効活用することはとても大事です。
是非皆さんも細切れ時間勉強法を進めてみましょう。
試験全部に言えることだと思います。

5:論文式試験2回目で…

5-1:論文式試験2回目受験

論文式試験2回目の本番を迎えます。
勉強は基礎答練を完璧にし、直対答練→応用答練の順番で暗記の優先順位をつけました。
本番前はやはり緊張しました。
人間、受かりたい試験の前だと緊張するに決まっています。
最後まで諦めない、をモットーに試験問題に挑みました。
基礎答練がしっかり復習できていたので、わからない論点でも外さない程度に書けている実感がありました。
基礎答練が出来ていると平均点近辺の点が確実に取れます。
これは自信をもって主張します。
大学受験・高校受験や各種資格試験でも基礎の徹底を忘れずに勉強しましょう。
そのためには教科書論点の確認と基本問題集の徹底的な解き込みに限ります。
最後追い込みは間違えたところの復習だけになるようなアウトプット練習をしましょう。
どの試験でも共通して言えることだと思います。

5-2:最後の経営学試験

順調に答案作成が進められました。
最後、経営学の試験があります。
その前にこう思っていました。

自分は間違いなくボーダーライン上にいる

こう思った瞬間、震えが止まらなくなりました。
経営学でミスったら一巻の終わりだ。
そういう気持ちで、西野カナ並みに震えていたことを思い出します。
落ち着いてできるところから1個ずつ取っていこう。
こう思い、1個ずつ確実性を高めながら解いていきました。
何とか残り1時間分の試験を終わらせました。
一安心、したのもつかの間、あることに気づいたのです。

5-3:あれ?企業法の答案って…?

3日目の午前の試験、企業法の答案について第1問目と第2問目が逆だったかもしれないということに気づいたのです。
問題用紙をよく見ずに解きだしたことがそもそもの誤りでした。
うわ、もし逆だったら最悪だ…。
こう思い、後日模範解答を見てみたのです。

答案用紙は合っていた…!!!

このことに気づき、とても舞い上がっていました。
良かった、あとは試験結果次第だ…。
こう思って一旦は結果待ちになります。

6:運命の結果発表

6-1:試験終わってノロにかかる

試験が終わった時、「ああ、自分は受かったんだ」という謎の自信が湧いてきました。
それまで会計士受験生になってから4年間、一度もしっかりと休んだことがなかったのです。
体はもう悲鳴を上げていました。
合格してから1週間、ノロのような状況になってしまったのです。
熱は39度を超え、おなかは下る一方、食欲がほとんど湧かない状況でずっと寝込んでいました。
当時あった、今でいう「あずさカレッジ」のような会計士受験生向けセミナーに全く参加できませんでした。
これが運命を決めたかどうかは知れませんが、後々響いてくるのです。

6-2:結果発表~!!

謎の試験合格の自信があったものの、当日はやはり見る気がなくなります。
このまま夢見心地のまま人生が終わればいいのに、と思っていました。
後輩に言われ「結果確認した方が良いですよ」ということで恐るおそる見てみました。
自分の受験番号がありました。
嘘だ、信じられない…。
そんな気持ちでとても舞い上がっていました。
大原に通って4年目、論文式試験2回目でなんとCPA論文式試験合格者になってしまったのです。
後輩からの祝福・合格祝賀会でのおめでとうの声・親からの涙交じりのおめでとうの声…。
本当に受かったんだなととてもうれしかったです。
さぁ、これでやっと念願の就職ができる。
そう思っていました。
結果どうなったか、まぁわかると思いますがまた次回のお楽しみです。

7:まとめとカンパのお願い

さて、今回のまとめです。
会計士予備校に通わないと会計士にはなれない
→アカスクの勉強だけでは会計士試験合格までとても遠いです。
 専門学校に通い、会計士試験の試験勉強に対し傾向と対策が確実に行える予備校に通わないと無理です。
 結果としてこれがアカスクの単位取得につながる勉強になります。
 次回書きますが、アカスク修了生は会計士人生において色々と不利です。
 そのことは肝に銘じておいた方が良いです。
日本国内ならどこ行っても侮辱などはされる
→アカスク行っても、会計士になっても侮辱などから離れられることはありません。
 日本人として生まれた宿命として捉えないといけないことです。
 残念ながら、日本の「ムラ社会」は生まれてからずっとついてくるものなのです。
 次回書きますが、今度は「会計士ムラ」が待っています。

以上となります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
皆様の人生に何かしらのプラスになればうれしいです。
毎度ながらカンパを募集しております。

100円だけでも頂けるととても励みになります。
カンパをよろしくお願いいたします。

それでは次回もお楽しみに!

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