壊れていたのは

壊れていたのは世界だ。
自分ではない。自分ではない。

この世界こそが悪い。僕は悪くない。

そういえば、めだかボックスという漫画に、「僕は悪くない。」が決め台詞の格好いい最弱(最強)キャラがいたな。

他責は素晴らしい。どこまでいっても自分は悪くならないのだから。他を憎んでいればそれで済む。内側をみないで済む。醜さと向き合わなくて済む。

難点は生産性が皆無なことだ。意味がない。むしろ厄介なやつとして扱われるので悪影響がある。

それでも、時には他責しないとやってられない。自分を責めようとすれば全てにおいて責めることがだきる。
完璧な行動などないのだから。

頭がお花畑なやつは、想像力が足りないので、自らの行動を完璧な行動だと思い込める結果、他責しかできない場合がある。
そんなやつは、実害がないなら放置に限る。

行動、自己検証、自責。そのループから抜け出すには、何も考えないか、他責に頭を切り替えるしかない。

反対に、他責しか思いつかない場合は、頭がお花畑になりつつある兆候だ。他者から憐れみや共感を得ようが、他責しているだけでは前に進めない。他責の継続は現状維持を望んでいるのと変わらない。

少なくとも他責しつつも、行動を起こす必要がある。ゴミのような状況でも、そんな状況に至ったことについて自分の責任が見当たらなくても、状況を打開しようと動かなければそのままだ。

あえてその状況を甘受せざるを得なかったとしても、甘受を決めた自分を責めるしかない。自己決定による自己責任だ。他責していたら頭が腐ってしまう。


それでも、他責しなければやっていられないときはある。そんなときは個人を憎むこともあるし、団体を憎むことも、制度を憎むこともある。最終的には世界への憎悪になる。

壊れていたのは世界だ。僕は悪くない。
間違っていたのは世界だ。こんな世界滅びればいい。
自分を救ってくれない世界なんていらない。
こんな世界なんていらない。

超新星爆発の圧倒的光の中で、安らかに眠りたい。

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