滅びろゴミども
願う。この苦しみを持たない全てが消えればいいと。
いつもそうだ。疲れは、辛さは、この身にのしかかる。
周りが憎らしい。羨ましくはない。この地にまで堕ちてほしい。堕ちて、砕け、その散る様を嘲笑いたい。
「ほら、お前は壊れるじゃないか」と。
グチャグチャになったそれを踏みにじりながら高笑いを上げるのだ。滅びろゴミが!
消えろ、消えろ、消えろ。塵すらも残さずに消えろ。目障りだ。
平等は素晴らしいのだろう?
何故ここまで堕ちてこない?
憐れむだけしかしない?
同情するなら金をくれとは言わない。同情するなら落ちてこい。
孤独になれ。甘やかされることに罪悪感を抱くパフォーマンスなんかやめろ。鬱陶しい。
甘やかされていることに自覚のないやつは指を詰めてから大阪湾に沈めてやる。
ほら、仲間になれ。皆で堕ちれば怖くない。ここまでおいで。
一緒に自らの孤独を憂い、隣人を呪い、世界を潰そう。
鬱陶しくなって途中で消すかもしれないけど。
無駄な知識をつけ、建前の論理補強が進むと、本音がどんどん侵食される。本音は間違っているのだと。
冗談じゃない。建前こそが悪なのだ。
ポリス的動物とかホモ・サピエンスとか言ったところで、ただの動物に違いない。互いが隣のやつに殴られないように建前を用意しているだけの生き物だ。
本音がないやつは気色悪い。ただの機械だ。いや、機械には本音しかない分まだ素晴らしい。
苛立たせる隣人は殴り殺したいのが本音だろう。顎を目掛けて拳をふるい、朦朧とした隙に目を潰し、悲鳴がウザいから首を締める。そうしたいだろう。
むせび泣く姿を見ながら愉悦と虚無を感じるのだ。
恵まれた動物どもが和気あいあいとしているだけで燃やしたくなる。
傷のないやつは大嫌いだ。
相手に実は傷があったとかは知らん。当時の認識事実が全てだ。それしか知り得ないのだから。どうして後出しで非難されねばならないのか。
消えろ、全部。
もう許してくれ。
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