全部滅びてしまえ

滅びろ。
消えろ。
今すぐに。

死ね。
去れ。
速やかに。

幼稚な言葉でも厭わずに願う。ぜんぶ消えてなくなってしまえ。

願いを叶える方法は知っている。この首を切ればいい。手首でもいい。ハラキリでもいい。認識主体が消えれば、その主観上は全て消えてくれるはずだ。

だが何故自分が数秒でも苦しまなければならない。苦しめてきた方が消えるべきだろう。でなければ衡平じゃない。

苦しんだ者には安らぎを。苦しめた者には絶望を。
これが当然の理だと思いたい。

そう思わなければ壊れてしまう。既に壊れているかもしれないが。
苦しんだ者にはさらなる苦しみが、苦しめた者には平穏が待っている世界なんて間違っている。そう、間違っているのだ。

皆が知らず知らずのうちに誰かを傷つけているなんて御託はどうでもいい。聞きたくない。傷つけたことを自覚していること柄ですら山程あるのに、そんなのを気にしていたら今すぐに包丁を頸動脈に突き立ててしまう。

自己矛盾かもしれない。全てを滅ぼしたい自分と、滅ぶのは自分だと思う自分と。
それでも、矛盾があろうと、今の心に従って、全てが滅びるべきだと願おう。


物語を読む。物語はいい。読んでいる間は、自分があちら側の世界にいける。それも傍観者として。登場人物は悩み、傷つき、成長していくが、自分が傷つくことはない。
安全な場所で、ただ見ているだけでいい。

読み終われば、引き戻される。現実に。傍観は許されない。
その現実に耐えられない。
防護服を一度着てしまったら、それなしの不安に耐えられない。


熱情は消えた。正確に言うなら燃料がなくなったというべきか。
燃やすべきものがない。あとはこの身を燃やすしかない。憎悪にまみれた黒黒とした何かが生まれるだろう。そうしたらもう動かなくて済むが。

かつてはあった気がする。眼前に水を臨み、スタート台の上で構えた時、ステージの上で仲間の気配を感じながら楽器を構えた時、確かに熱があった。
この時この場所こそが自分の価値なのだという確信があった。

今はない。真っ直ぐに何かを見つめることができなくなった。これが成長と呼ばれることもあるのだろうが、退行だろう。あるいは言い訳だ。

熱がないなら、生きていない。惰性だ。腹が減るから食べる。食べるために稼ぐ。行動なんてそれくらいだ。あとは全部暇つぶしだ。


いっそ最初から最後まで独りならば楽だった。そうすれば全てを自分で決めることができた。援助もないが、足枷もない。
年を経るにつれ、足枷が大きくなる。援助は減る。他方でやるべきことは増えるので、負担は無尽蔵だ。

援助を増やすべきなのだろう。他に助けを求めるべきなのだろう。
泣きじゃくり、子どものように、助けてとわめけば何とかなることもあるのだろう。
それを分かっていながら何もせずに厭世に走るのはバカだと言われても仕方がない。

だが、助けを求めて何になる。助けてもらえるという確信がない。一番助けてくれるべき人は助けてくれないのに、どうして他が助けてくれる。

人はゴミだ。高校生のときからそれを思い続けている。例外はない。
期待なんて傷つくだけだ。何かを強制させることはできないのだから。

自分は何にも期待していないのに、相手は勝手に期待してくる。勝手に期待したくせに、期待に反するとあの目を向けてくる。ゴミどもが。

そもそも期待してくるやつに頼ることなどできない。頼ってくるやつにどうして頼ることができる。相手は自分でできる能力がないから頼ってきたのに、どうして自分が頼ったときに何とかなると思える。

誰にも期待せず、自分で全てやろうとすると、限界はあるがある程度は何とかなる。頼らずとも、分業すれば何とかなることもある。
一人でやっていると、自然とできるやつだと思われる。結果として頼られる。その結果、頼る相手がいなくなる。
これがループする。

助けられなかったから期待しなくなって頑張っていたら、助けを求めることのできる相手がいなくなるのだ。

それならいっそ全てリセットされればいい。
再起動しなくていい。そのまま真っ暗な画面でいい。


今すぐにリセットするんだ。
滅ぼすんだ。
消すんだ。

救いなどないのだから。

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