ヒビ

心にヒビが入るのは一瞬だが、壊れるまでは時間がかかる。

自分はまだ壊れるまではいっていない。壊れたらこんな文章は書けない。
壊れたら家の壁を殴りだす。

とはいえヒビは入る。積み重なる。ヒビは残り続ける。時間とともに、ヒビの入る場所が変わるから、全体として割れないだけだ。

時が進むと、ヒビのひどい部分は見えなくなる。それでいい。見たとしてもろくなことにならない。
ある日突然色々バグっていたときのことなんて思い出したくもないし、思い出す必要もない。心を抉ることになんの意味がある。
ただ哀しみと怒りと怨嗟を募らせるだけだ。文章を書くにはいいかもしれないが。
当時書いた文章を見返すこともしたくはない。

ヒビは見ないほうがいい。見たら、その場所に引きずり戻されてしまう。

灰の春に、腐敗の夏に、骸の秋に、新月の冬に。

硬い床で目覚める朝に、窓の下を憧憬する昼に、時の連続に嘆く夜に。


ただ、ふと見えてしまう。垣間見える。あの頃のヒビが。深いクレバスが。
一瞬、立ち止まらざるを得ない。慌てて見なかったふりをする。いや、させられる。見えたようで、奥深くには、もやがかかっている。
あの先に進むのはまずい。引き返せなくなる。ヒビから逃げられなくなる。どんどんヒビが大きくなり、包みこまれてしまう。

壊れるわけにはいかないのだ。壊れたら、もとには戻らない。戻ったつもりにはなるかもしれないが、暴れた結果は消えないし、壊れたところはもとには戻らない。
移動して、新たなものが用意されているように見えるだけだ。割れたところはそのままだ。


このヒビは誰にも移せない。移そうとも思わないが。
ヒビを見せて、心を抉ることができるなら、その方が愉快だ。同情なんてものはいらないが、どうでもいい他人を傷つける分には愉快だ。どうでもいいのだから。許された加害ほど高揚するものはないだろう。
生憎そんな機会が与えられるのはこの場くらいだ。抉られたかどうかを確かめられないのが難点だが。


まあ、他人のトラウマ的なものなど、普通はどうでもいいので、実際に抉ることは叶わないだろうが。


今見えているヒビからも早く逃げ出そう。

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