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気にしない人にもの申したい

気にしいはいつだって「気にしすぎw」って言われて「言うほどみんな見てないからw」とか「自意識過剰w」とか言われる気がする。
(あくまで「気がする」だけ。酷い人や物言いがキツい人ばかりではない)

そんな奴らにこっちからのメッセージ???
(所々口悪いすみません)

あと、気にしい側の方も気にしない側の方も中間層の方も、十把一絡げにして気分を害されたらすみませんね。



本日のご挨拶

こんばんは、寝起きですが謎に強気戦闘モードな雪猫なえです。ども。
多分書いてる内に沈静化されていくんだと思います。記事を書いてるとどんどん熱が冷めていってしまうこともあります。
あ、本日の「本日のご挨拶」長いです。

今日は新月なので、楽しみにしている占い動画の新作が上がることでしょう(喜)かなり楽しみです……!日々のモチベーション!!
あ、相変わらずどっぷりです(笑)

先日小説を書き上げたのですが、これを皮切りにどんどん今まで眠らせていたものを読み切りとして書き上げてしまおうかと思っています。
いつも甘えてダラダラと連載してしまうのですが、ちゃんと誰もが読みやすい小説を書くことは大切ですね。
(今のご時世では自分で連載か読み切りかを決めてネットにアップできるんですから凄いですよね)

最近夢をめちゃ見ます。人が出てくる夢です。ファンタジーのようなものではなく、結構リアルな奴で、意識混濁してきます。
雪猫は、明晰夢だと友人に言われましたが、「これは夢である」とハッキリ認識していることがデフォルトなんですが、最近そうじゃない夢が増えました。もしくは混濁してくるぐらいリアルなやつ。
前回なんて夢かどうかわっかんなくてほっぺつねって、痛くなかったので「あ、こりゃ夢だ。そりゃそうか」ってなってました。夢の中で。

頬をつねって痛くないパターン初めて見ました。

あ、今日はご挨拶が長くなってしまってすみません。
それでは本題に行きましょうか。全然関係ない話です。



気にしいは「悩み事」なのだろうか

私はまごうことなき「気にしい」です。
他人の言動に敏感だし、かなり細かい、「え、そんな所を……?」って気に仕方をします。困っていないと言えば嘘になります。

でも、最近よく思うのは、「解決したい」と思っているんだろうか?
……ってこと。

この性質のお陰で得られることもあったし、自分自身、そんな雪猫が好きなんだと思います。
気にしいはたしかに生きにくい場面もある。神経を必要以上に使うし、余計に悩むし、サービス(公共施設など)を効率よく利用できなかったりする。

でも、でも、でも、これは私が創作者だからというのもあるかもしれないが、「気にしい」を恨めしく思うフェーズは超えた気がしている。



気にしいが恨めしかったあの日あの時

ちょっとだけ昔話をしよう。
小中学生のころなんて顕著だったかもしれない。

二度と戻りたくはないのだが、もし戻ったとしたら、もっと上手くやるのに、と思う。(誰でもそうだ)

気になった。なんでもかんでも、一挙手一投足が気になった。誰かがこっちを見て容姿を笑っているような気がした。自身のセンスを問われるような服装自由の小学校も、同一の服装を強いられる中学校も、他人に自分の容姿を笑われないか、笑われていないか酷く気に病んでいた。
よく気付いた。席が後ろでなくっても、どんな人か分析するのはある意味趣味だった。この人はどんな人か、同級生たちをいつも分析していた。

高校では、マシにはなったが気にする癖は変わらなかった。

あの頃は、本当に生きにくかったけども、何言われたって堂々としていれば、標準的な清潔感さえ持っていれば、大丈夫だって胸張ってればよかったって、今となっては思います。色んな解決方法はあったんだろうと思います。
でも、雪猫はこう思うときいつも当時の自分目線になるんですが、当時の一杯一杯さを思うと、「よく頑張ったね」の一言に尽きます。
あのときは、ああするしかなかったと今でもそう思う。

自分までも当時の自分をいじめちゃいけないと思います。持論ですが。そして完璧にそうできるわけでもないかと思いますが。



気にしすぎなんて言わないで、山ほど聞いたから

*急に常体です。
アドバイスなんだろうか。イラつくんだろうか。
「言うて人って自分のこと見てないよねぇ(笑)」「気にしすぎだよ」
よく聞く解決方法(?)だ。よく聞くありがたいアドバイス(?)だ。

どんな感情で言い放っているんだろうか。いやそれも予想できるんだが。
ある人は励ましの意味を込めて、ある人は嫌みを込めて、ある人は淡々と事実を述べて、ある人は不思議そうに持論を述べる。

でも、だからなんだってんだろうか。(口悪いすみません)

仕事に支障が出てしまうのなら、「気にしすぎだ!」と叱責されても仕方ないと思う。むしろそれほどまでであるのならあるっ程度の矯正なり働き方の変更なりするべきなのかもしれない。(できるかどうかは置いておいて)

でも、そうじゃないなら、ほっとけよ。うるさいよ。(再び口悪いすみません)
気にしてるっつってるだろ、気になるっつってるだろ、誰が現実で殴り返してこいって言ったよ、誰が「どうすればいいの?」って本気で訊いたよ。わかんないだろうな。この自動センサーはなぁ、同族にしかわっかんないんだよ。知ったこと言うな!(ちょっと黙って雪猫サン)

悪気がないとか純粋な疑問とかはまだしも、「自意識過剰」とか「君のことなんて誰も見てないよ」は明らかに悪意を感じる。あれはこっちだってそりゃ傷つくし、時にはそれ以上に怒りが湧いてくるってもんよ。(口調!)



取り乱しまして……改めて

放送事故失礼致しました。
気を改めて直したいのかどうかについて。

持論としては、
直したいのなら、相談相手は間違えるな。
……ってところですかね。

敏感センサー持ってるなら、わかるはず。想像に容易いはず。
誰にどう言えばどう返ってくるのか。
だから、傷つけてくる人やわかんないだろうなって人には言わないでいいんじゃない。ていうか言って傷ついた場合は、自分の責任だと思ってる。
「あ、判断を間違ったわ我」ってことで。

本当にわかってくれる人は、なかなかいなかったりする。少なくとも雪猫の周りはみんな気にしない人が多くて、たまに息が詰まりそうになる。
理解者がいない苦しさを、久しぶりに体験した。

でも、それでも、部分的にわかってくれる人はいたし、わからなくてもぞんざいな扱いをせず寄り添ってくれる人もいた。
まぁそりゃ、結局理解者の共感には勝てないけれど、それでも笑う人はいなかった。これは幸いなんだと思う。

わかんないからってキレる人もいるから。ああいう人は、やっぱり鬱陶しいんだろうな。わからなくはない。
自分が簡単にできることをできない他人がうじうじしている姿は、イライラするのもわかるけれど。



わからなくてもわかってほしい人

わkる、わかりますよ。「この人にはわかってほしい……!」って人もいるんですよね。わかる。
雪猫の場合でしかありませんが、例えば、親とか好きな人とか。

でも、その人は「わからない人」だったりもするし、むしろその方が多い。
そもそも私と同レベルで気にする人には会ったことがない。
(テレビで観たことはあるけれど)

結構難しいのは、「気になるポイント」は多岐に渡るって点かもしれない。同レベルの「気にしい」でも、ポイントは違ったりするものだ。
まぁ、わかってもらえないよりはマシだけど、やぱり「なんか違うな」はあるよね。

わかってほしい人に対しては、まぁその後どれくらい長く濃く付き合うことになるかにも寄るけれど、最低限知っておいてもらうことは大事なのかなと思います。わかれとは言わないっていうか無理だよね。
それで少し気に掛けてくれたら嬉しいし、無遠慮でも、傷つけてこないなら、許容の範囲なのかな。その後苦しくなるようならだめだろうけどね。



実際のところ

ていうか!言いたいのは!
「いや実際見られてたトラウマから来てる部分もあるんだからほっとけ!」
ってこと。(落ち着け落ち着け)

そう、人にはトラウマっていう性質がある。そしてこれは事実に関係なく、インパクトに影響されている節がある。
事実としては大したことないものでも、本人視点でインパクト大だと十分トラウマ化する。

例えば牛乳を溢しただけのことでも、本人目線でその光景が仰々しく思えてしまったら十分大事なのである。

そんな風に、些細なことでも、「え、そんなとこ見てたの!?」とか「そんな一言浴びせられるの!?」って出来事があれば、ダメ押しの一手でぼんやりとした「かもしれない」が確信に変わってしまう。
つまり、「見られているかもしれない」が「実際見られてた!」に変わってしまう。こういう意識でいると、(占いでもよく言いますが)「ほらやっぱり!」の連鎖で

実際のところ苦手な「それ」をキャッチするセンサーが敏感だから「それ」への遭遇率も上がるのだろうが。
頭と心が連動しない経験は結構な人が理解できるんじゃあなかろうか。そうゆうことなのである。



終わるよー

いやぁ、珍しく熱が入ってたのは、きっと最近色々溜まってたからでしょうね(笑)noteで八つ当たりするなってね。

もしこの記事を最後まで読んでくださった優しい方がいたのなら、本当にありがとうございます。お疲れ様でした。

わかってます。人間結局他人だし、100%わかる人なんていない。自分でさえ自分のこと100%はわからないのだから、そこはある程度諦めなきゃ行けないことも、求めるのは間違っていることも。

でも、全部わかれなんて言わないし、「こうしてほしい」があればこっちが声を上げるべきだし、重要なのはどうするか、どう付き合っていくかであって他者に理解を求めることではきっとない。

でもちょっとだけ声を上げるのはいいでしょう、って気持ちで今回筆を走らせていました。文句もちょっと出ちゃったけど、口調も悪くなっちゃったけど、別にいいんです。仕方ないと思いますし、そういうもんです。こっちだけが被害者なわけでもないですし。

今後も上手く付き合っていこう、いきたいって思います。
直す必要がない限り、直すとは別ベクトルで。

強いも弱いも、どちらも正義ではないのかもしれない、なんて。



それでは今日はこの辺で。また。

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