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友達。友達…友達!

金木犀、香ってきましたね。年々、味も匂いもくどいものたちを体が受け付けられなくなってきたので、あの匂いもちょっときついなとも思い始めましたが、街中でうちの庭に咲いている金木犀を度々思い出すので好きです。

さて、最後の更新からそうとう日が空きましたが、なぜ空いたか。

そう、書くことがない。全ての物事に対してのやる気・モチベすべて失っている状態です。なので、日常何も起こらない。もしくは、起きても記憶していない。空白の期間をただ生きていました。

現在もメンタル回復には至っていないものの、徐々に元に戻そうと調整中です。就活というストレスがうっすらとずっとかかっているので、通常ver.咲谷に戻ることができないのは、あったりめぇです。

ただ、ここで就活ストレス話をしまくっているので今回はここでやめておきましょう。あと、読書のある生活は最近読書ができる状態にないので書けません。

noteをブログ化してしまっていますが、超底辺なのでそんな人物のブログを見たい人は中々いないですよね。

でも、ブログします。

大学の友達というのは、同い年なのに地元も違えば過去見てきたものや流行ったものが違います。なんなら大学という共通点以外持っていないので、例えやツッコミを入れたときににピンと来ていなかったり、懐かし話が通じなかったりします。なので、瞬間的に出てきた素咲谷の発言が誰にも引っかからなかったり、脳内会議で議長咲谷が「いや、それどうせ通じないんだから言っても無駄だよ、素咲谷君。」と発言が落選したりしています。

この通じない寂しさをどう対処すべきかをうじうじ考えているわけです。素が受け入れられないときがあるというのはなんかめちゃ落ち込みます。否定されていないんだけれど否定されたレベルの落ち込みで「ベットでシュン」になります。
この寂しさは友達に向けた寂しさとして処理するのか、もっと割り切ったものがこれからのライフステージの友達なんだと友達の定義を改めるべきなのか。
はたまた、友達の時間を重ねていけば共通して笑えるものが増えるのか。でも、そんな関係になる前にみんな別々の道に進んでいそうでこの絶妙な仲がいいのかそうでないのかわからない距離感。でも、一緒にいるときは息もあって楽しいから惜しい気もするな。シュン。

シュン。って入れたくなってきたな、シュン。語尾にしてくなってきたシュン。最近、自室が夕方になると蒸し暑くなるシュン。日の当たり方が変わってきたシュン。シュン。シューン。シュン。

テンションを直してからパソコンに向かい直しました。CMみたく好きな曲入れておきます。(この入れ方いいな)

懐かしいものという同い年会話の武器を奪われると、趣味も違うので現環境で通じる話を一通り話し終えると、話すものがなくなります。本当は本で手に入れた知識や自分の考えについてでも聞いてもらいたいですが、興味ないだろうし、私も興味ない話されると友達であってもぼおっとするたちなのでできません。つくづく、友達関係を皆さんはどう乗り越えているのだろうと思います。

同じ趣味の人を見つけるのが答えなのか、友達の定義を改めるべきなのか。

ほんとにうじうじするのが得意です。

一日何回も聴いてしまいます。

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