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読書って…?

Audibleが使いにくいとかなんとか言っていましたが、なんだかんだで今も聞きながらタイピングしています。

前回は1つの内容に興味が出ると戻ってきたときにわからなくなるとかなんとか言っていましたが、それ以外にも原因があると思いました。ということで、なぜ聞くことのほうが読書よりも内容が入ってこないかについて向き合ってみました。

小さいころから、固有名詞や特定の数字を覚えるのが苦手でした。
人の名前が一発で覚えられない、友達や従妹の誕生日が覚えられない、出来事の名称が覚えられない等々。
年を取ったら人の名前が覚えられなくなるなんて聞きますが、子どものころから覚えられないので、元も子もないじゃんかと思っています。

高校の時は日本史専攻でしたが、ストーリー自体は覚えているんですが、その中に出てくる人物名、年号、出来事の総称が全くおぼわんない。日本史が好きなのに点数に出ないという悲しき事態が乱発していました。

ストーリーを覚えること、物事の流れでつかむことは得意です。
一番古い記憶は、恐らく1~2歳の時、昔住んでいたアパートのキッチンに立つ母の背を見ながら、子供用の椅子に座って31アイスのスプーンを咥えていたらかみ砕いてしまったという記憶です。この一連の流れを何となく覚えています。

読書というのは、流れを掴みやすいです。逆のことをいえば、ざっくりの流れしかおぼわんないので、細かいことは読み直さなければいけないのですが。でも、何冊か読んでいくと、過去読んでいた本の内容や読みながら考えていたことを思い出します。引き出しが勝手に開いて仕舞っていたものが勝手に飛んで出てくる感覚です。

これが起きにくいのがオーディオブックの弱みだと思います。(私の場合は)

メラビアンの法則とかなんとかいうものを大学の授業で学びましたが、それとはまた少し違うんじゃないかと思います。

私は、人に声を掛けられても何かに集中していると気が付かないという特徴があります。子供みたいなんで、自分から見に行ったものに意識が飛んでいきがちな人間です。

オーディオブックを聞いていても、机に置いてあるものや干している服など目に色々なものが入ってくると思考が飛んで行ってしまって、オーディオブックに集中が戻ってきたときには話が進んでいてわからない。

ストーリーを掴む上で必要な集中を本に視覚を限定することによって作っていたことに気が付きました。また、引き出しが勝手に開いて仕舞っていたものが勝手に飛んで出てくる感覚は、ストーリーがあることによって出来ていることに気が付きました。

この感覚が読書に惹きつけられる理由の大きな一つだと思います。

一方で、料理をしているときや目を閉じているときは割と集中して聞いていられます。恐らく、入ってくる情報量の違いだと思います。リビングにおいてあるものと音声だったものが、料理と音声だけなどに限定される。

上手く自身の特性やサービスの特徴を掴んで活用していきたいと思います。