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卑弥呼さまにあわせて 四話

肘掛けに持たれかかった梯儁ていしゅんは眉間に皺を寄せていた。閉じられた目の下の隈は深く額は汗ばんでいる。
狭野さぬは声をかけるべきか戸惑ったが、呼びつけられた手前もある。
「大使。高千穂宮たかちほのみやが末子、狭野でございます」
控えめに声をかけて頭を下げた。
「……ああ。申し訳ない」
梯儁はゆっくりと立ち上がって杖をついた。
狭野が肩を貸そうと近寄ろうとしたが、梯儁は狭野を制した。
「最近は疲れやすくてね。行こうか」 
からの使者、梯儁ていしゅんの使節団が高千穂宮たかちほのみやに入宮した。三日ほど前のことだ。
詔書みことのりしょいん、金、錦、鏡、刀などを邪馬台国やまたいこくの女王に下賜する予定であるという。
高千穂宮を中心とする大集落は海側にありながら左右を山に挟まれている地形だ。ここは外交の第一線であり、女王の国へ向かうならば必ず通らなければならない関だった。
この関を通すか通さないかは高千穂宮の当主の判断に任されている。

高床式たかゆかしきの蔵の扉を開けると、蔵の半分くらいの広さを使って荷物が等間隔に並べられている。
「こちらに」
梯儁ていしゅんは蔵の中にいた魏の兵を下がらせて、手まねきをした。
「父君は良いのですか?」
「はい。父は間もなく一線を引く身であるため、私に任せる、と」
「兄上がおられるのに、一番若いあなたが次の当主とは、不思議だ」
梯儁はひときわ立派な四角い箱を掌に乗せた。
「末子が継ぐという習わしです」
「ふぅん。では次期当主殿。確認を」
梯儁が上蓋をずらすと中には金塊があった。
親魏倭王しんぎわおう。我が帝より女王に与えられる封号の印です」
梯儁は狭野さぬが金印をじっくりと観察をする時間を与えてはくれなかった。
あっという間に上箱は閉じられる。
「くれぐれもご内密に。邪馬台国に着くまでこれを開けてはならぬことになっています」
梯儁は人差し指を唇にあてて微笑んだ。
目と口もとの皺の深さにそぐわない子どもっぽい仕草だった。
「わかりました。兄上がたに報告しますのでお待ちください」
狭野は頭を下げた。
「……なぜ? 父君があなたに任せる、と言われたのに?」
「しかし、私の一存だけでは……」
土地、もの、人。限りあるものを奪い合い小競り合いを繰り返す小さな国ぐにがまとまりはじめている。
その中心にあるのが邪馬台国だという。
今、邪馬台国が魏という大国の後ろ盾得ればその力はいっそう強固なものになる。
高千穂宮としては邪馬台国にも魏にも恩を売っておく必要がある。
高千穂宮当主としての答えは。それ以外にはない。
しかし、狭野さぬはまだ子どもでいたかった。
「ふぅん。責任を負いたくないか。私は罰を受ける覚悟でこれらをお見せしたが」
梯儁は半目になりながら乱暴に杖を床に打ち付けた。
「いえ……そういうわけでは。私はまだ未熟者ゆえ」
「私は、今、ここで、返事が欲しい」
是か非か選択肢は二つだ。
次期当主の首かざり。狭野の首かざりは途端に重くなった気がした。
「……邪馬台国へ、ご案内いたします」
「ありがとう」
それから、と梯儁は狭野を見下ろした。
「あなたがどんなに兄上たちの前で無邪気に振舞っても、いつまで子どもではいられないのだよ」
どきりとして狭野は首に下げた、群青色の石をぎゅっと握りしめた。
狭野が高千穂宮を継ぐ、と正式に決まった日から兄たちの目に小さな淀みが見え隠れするようになった。狭野の首に下げられた次期当主の証が揺れるたび、意見がすべて是として通るたび、兄たちの目に黒く淀んだものが溜まってゆく。
恐ろしくてたまらず、狭野は幼い子どもであろうとした。そうすることが兄たちを守り、高千穂宮と集落を守ると信じて。
けれど、たった三日のうちに魏の使者に見透かされてしまった。
恥ずかしくて後ろめたくて、狭野は顔を伏せた。
「……底意地の悪い方ですね」
「褒め言葉ありがとう」
梯儁の嘲笑う表情に狭野は次第に腹が立ってきた。
「む、むかし、兄上の船に乗りたいと私がわがままを言ったことがあります。船は海が時化しけって大破しました。私を助けようとしたものは家族を失い。兄上も従者も船のりたちも……私以外のものが罰を受けました」
狭野は顔をあげ、梯儁を睨みあげた。
「私は特別に強くも賢くもない。兄上の方がずっと当主に向いている。それなのに、私が当主を継ぐんです。ですから! 私は何もわからぬ子どものようにふるまえばいいのです。あなたにとやかく言われる筋合いはありません!」
「お子様」
「うるさい! 違う! 本当は……違う!」
「ふぅん……まぁ、良いか。次期当主様、ちょっとここ、触ってみて下さい」
梯儁は狭野の手をとり、自分の懐にすべり込ませた。
丸くて柔らかい膨らみがそこにはある。
「お、お、おんな?」
狭野は真っ赤になって飛びのいた。
「女に触れたこともありませんか? やはりお子様」
梯儁ていしゅんは襟を広げて胸元をはだけさせた。
「中年女ですが、お相手してもよろしいですよ?」
狭野は白い胸に生唾を飲み込み、叫びながら蔵から飛び出した。
梯儁はひとしきり笑った後、厳しい声を上げた。
徐夕じょゆう!」
「はっ! ここに」
蔵の扉の向こう側から青い衣の青年が飛び出した。
「おまえはあの子どもの側に、万事うまくやれよ」
「はっ!」
徐夕は立ち上がり梯儁の乱れた襟元を丁寧に直してやった。
「……なんだ、その顔は?」
「こんなことばかりして……いつか刺されますよ」
「あの子どもが面白いのがいけない。またからかってやろう」
梯儁は耳に長い髪をかけてにやりと笑う。耳たぶの小さな真珠飾りが輝いた。

「まさか大使が女人にょにんであるとは……気がつきませでした」
「配慮が足らず申し訳ない」
「とんでもない。船旅はいつも男世帯ですので、わたくしもあんななりで」
狭野さぬは汁をすすりながら、右隣に座った梯儁を盗み見た。
紅をさした梯儁ていしゅんは上品に口元を隠して笑った。帯には花柄の刺繍、結い上げた髪には黒と白が混じり合ったガラス玉の簪《かんざし》、小さな真珠の耳飾り。背が高く筋肉質な体型ではあるが、梯儁は間違いなく女性だ。
「本来、このような場では建中校尉けんちゅうこういとしての礼服を着用するべきですが、次期当主様がこちらの方が良いと言われたので……」
梯難は頬を赤らめもじもじと狭野の袖端を引っ張った。
「……狭野。いつの間に」
「おまえ、熟女……いや、このような方が好みだったのか?」
当主である狭野の父親は兄たちと顔を見合わせて驚いた。
汁を噴きそうになりながら、
「い、いえ! 私は一言もそのようなことは!」
狭野は無実を訴えた。
下座にいる梯儁の部下たちが、うつむいて小刻みに震えている。笑いをかみ殺しているのだ。
「大使! ふざけ」
「鯉の塩焼きでございます!」
狭野の言葉を分断するように、給仕の女官たちが高坏たかつきを掲げてぞろぞろと入ってきた。
その最後尾には小綺麗にしたヒルメとスサがいる。
(なんで? ここに!?)
思わぬ友の登場に狭野は目を見開いた。

「大使様を歓迎するため、白い鯉が登ってまいりました」
ヒルメは平伏しながら言った。
「ふぅん。これは?」
焼かれた白い鯉の上に乗った赤い実を儁梯は摘み上げた。
「冬に赤い実をつける南天なんてんと申しまして、難を転じます」
狭野はどぎまぎしながら、ヒルメと儁梯のやりとりをうかがった。
「ほう」
「実はこの男、白い鯉を捕まえたり、夏にはならぬはずの赤い実を見つけたり。どうやら山の神に好かれておるようです」
ヒルメは平伏したままスサを横目で見た。
「この男を大使様の使節団に同行させていただければ、安全な旅路になろうかと思います」
何とかしろ、とヒルメはチラッと狭野に目で合図を送った。
使節団に同行すれば邪馬台国の女王に会える確率は増える。
スサとヒルメ。それは行き詰まった不幸な姉弟に何かしらの突破口を与えてくれるかもしれない。
「あ〜うん。それは、本当によい考えです。最近は凶暴な熊が出ることもありますし。うん、本当に。同行させましょう」
狭野の言葉に儁梯は冷静に囁いた。
「何を、考えている?」
一瞬戸惑い、
「いいえ。何も」
狭野は冷静を装って首を小さく横にふる。
「……顔をあげせよ」
儁梯は杖を持ち立ち上がった。
スサはゆっくりと顔を上げて儁梯と見つめ合う。
儁梯は身をかがめてスサの輪郭をなぞった。赤い爪のなまめかしい手つきに目を逸らしたいような、したくないような。何とも言えない空気になった。
「なるほど」
儁梯は思いきり口づけた。結構、長い。
「この者の福は私が預かりましたので、同行して頂かなくても結構です」
スサは驚きのあまり声も出せず尻餅をついた。儁梯ていしゅんはスサの頭を撫でて、笑った。
「で、ですが……」
「まぁ、次期当主様。焼きもち?」
「ち、違います!」
「では、こうしましょう」
儁梯は嬉しそうに手を叩いた。
「この者が山の神に好かれているなら熊を狩ってもらいましょう。先ほど、凶暴な熊が出るというお話がありましたでしょう。おまえがその熊を狩れたなら同行を許します。そうでなければ、おまえの首をはねてから頭だけ連れて行きましょう。禍福かふくは縄をよるように交互にあるものですから」
儁梯は再びスサに口づけた。

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