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十七歳の自分が残した手記のページをめくるように

失敗してしまったときの「ごめんなさい」とか、誰かが苦しんでいるときの「大丈夫?」とか、そんな当たり前のことが言えなかった。
自分をよく見せることに必死だ。孤高なふりをして、きちんと考えているふりをして、周囲を遠ざけ一人で生きているような気になっていた。人の目ばかりが気になって仕方がない。みんなから聡い人だと思われたかった。

掃除をサボって抜け出した教室から、机を引きずる音が聞こえる。私が自分の机を下げたのは今から五分くらい前だから、彼らはそれだけ遅れて行動したことになる。机の上に椅子を乗っけて後ろに下げるだけのことに、どうしてそんなに時間がかかるのだろう。友達の多い人の時の流れは私のよりも早いのかもしれない。そうでないと、待っている五分が退屈で、すぐにでも教室を飛び出してしまうはずだから。

学校の敷地の端っこでバスが来るのを待つ私は、彼らが一生知ることのない世界で呼吸をしている。正しい言葉を見つけられず口を噤んだ私は透明人間だ。喋らないならいないのと同じ。世界はそう思っている。

頭上に広がる空は秋晴れで、遠く高い場所にある青に掃いたような雲が一筋浮かんでいる。背後から吹いたなめらかな風が髪を掻き撫で、優しく頬をくすぐった。そこで私は改めて、夏が終わってしまったことに気がついた。

夏はいちばん死に近い季節だと聞いたことがある。青空と陽炎、滲む汗、蝉時雨。風もなく、重い空気の中に篭った生ぬるい熱がはみ出し者を空へ攫う。
そんなに嫌なら人生も物語にしてしまおう。毎日を美化して、つらつらと文字にしてしまおう。そうすれば擦れてしまった人間でも、少しはこの美しい世界に見合うようになるはずだ。何もないなら、結末は空白で飾ればいい。

最近、立派な人なった妄想をすることが増えた。自分の現状を放棄して、華やかで才能のある人になりきる時間は心地がいい。特別な人間になって、私のことを大したことないと嘲った人たちを「あの子、すごい人だったんだ」って見返してやりたかった。そんな私はきっと何者にもなれない。

冬の日は柔らかな雪の上を歩いた。太陽は雲に隠れているのに、積もった雪のせいでやけに明るかった。心は声にあるに違いない。息を吸って吐いて、くだらない過去と傷を忘れたふりをするときに痛むのは喉の真下だった。

春の日は桜を見た。川沿いを歩き、宙に揺れる花びらを掴もうと手を伸ばした。不規則に揺れるそれは、はらりと指の間をすり抜け零れ落ちる。美しく綺麗なものは、簡単には手に入らない。

夏の日はたくさん写真を撮った。使い捨てのカメラを買って、その小さな箱の中に十七歳の夏を閉じ込めた。一生忘れない夏にしたかった。簡単に何かが消えてしまうこの世界に、絶対も当たり前も存在しない。

世界は美しかった。私はその美しさを受け取めることができないから、一瞬の夕焼けにも足を止めてしまう。秋の空は高くて、広い。青く澄んだ空に浮かぶ金の光は、雲を縁取り、空の尾を白く染め、世界の終わりを描くのだ。
このまま世界が滅びていいと思った。神様が手を叩いて終了の合図を出し、その瞬間、全部が跡形もなく、春の夜の夢のように、消えてしまうのだ。 
毎日を宛てもなく歩いている気がした。果てのない海岸を歩いているみたいだった。ノートの片隅に残した落書きも、大事にしまってある写真も、百年後には全部なかったことになってしまう。それが切なくて、かなしくて、ありもしない永遠に縋った。

苦しむ必要なんてない。ただ昔の写真を見返せばいいのだ。歩みを少し遅めるだけ。立ち止まるわけではない。
途中で筆を置いた物語が、諦めきれず口からこぼれた言葉が、無気力だった日々が、忘れてしまった記憶のすべてが、今の私を形成しているということを私は知っている。
世界はきっと終わらない。十七歳の夏が過去になっても、十八歳の夏が終わっても、世界は何も変わらない。
ただ、次の暑い夏がやってくるだけだ。

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