短編小説『世界始発論』

 ある日世界は始発を迎えた。
 僕は僕の陰気さによく似あった、終末系SFを呼んでいたものだから、それはもう参った。

『昨日発見された新元素、アキラロメンにより、これまでとは比べ物にならないエネルギー機関の開発が現実のものとなります。アメリカ研究機関の発表では、リスクのない核融合発電所が世界各地に建設できるようになるとのことで、世界的課題であったエネルギー課題、食力事情、労働力不足や内戦問題がドミノ倒しのように解決していくとのことで……』

 細く短く生きてやれ、精神の象徴たる、毎夜食のカップラーメンを食べていた箸をその縁に置き、僕は困惑というか、逼迫感というものに包まれた。
 ネットニュースも、SNSも、「最高だが、本当のことらしい」というのを伝えていた。「いや、デマだよ」「そんなのも分かんないの?」、ネットニュースのコメント欄をスクロールしていくと、少なくないそんなコメントがよく目に留まる。
──そうだよな。
 僕はそのコメントをタイピングした奴の顔がよくわかる。
──そうなのだ。
 多分、汗や涙が出るわけではないが愕然と、震える瞳で、スクリーンを見ている彼らの顔が目に浮かぶ。今見ている生地の両端ある矢印マーク。それを押せば隣の記事に、「ハハッ、世界の支配層が結託したおっそいエイプリルフールだよ、騙されたね、大衆のみんな!」的な、ネタ晴らしがあるんじゃないかと、こころのどこかで期待している。しかし、いくらリロードしても、隣の記事には別の出版社が書いた複製品しか出てこない。
 僕も含めた数多くの名もなき誰かたちが、この気持ちを、同類と共有できないままでいる。

 そうなのだ。参った。世界は救われたらしい。
 手取り10万の四畳半の部屋のなかで、僕はまだ、何もつかめていないというのに。机の端に寄せた付箋だらけの小説のブックタワーが、やけに低く見えた。

 **

 それから三年、じわじわ、世界は黄金のゴールテープへ、おずおずと進んでいった。「ほんとかよ?」と思いながら「ほんとだな……」と日々好転していく世界におっかなびっくりしながら。

 最初の一年は、皆怯えていた。
 誰もが、気づかれたくはないが横目を送り合い、誰も彼もが、自分だけが嵌められている何かの大嘘なのではと考えた。無償の愛というものに皆不慣れで、天から舞い降りる幸運というものを実感した体験はない。
 それでも、不条理に、蛇口を捻り切ってあふれ出る幸運というものが皆の足元の水位を徐々に徐々に、上げ始めた。

 まず、皆の財布が潤い始めた。世界の上層部はどうしようもなく確信していた。その世界の救済が真実であると。簡易安全、高出力、そんなアキラロメン式核融合発電所を各地に建設しようとなるものだから、あふれかえった公共事業、雇用、有効求人倍率は驚異の2.0を叩き出し、未曾有の買い手市場、有象無象が働き手を求めるわけであるから、飛んで撥ねての好待遇、凡愚であろうと悠々自適、才人であるなら瞬く間に左うちわ、そんな時代であるものだから給料だけでは勝負にならぬと福祉制度も充実の一途を競い始め、するとどうなるか、大事にされるものだから、大事にする気にもなるのだ、社会労働者の精神状態も好転一気の状況、有史以前三千万年、有史三千年、人類の血みどろの歴史とは何だったのか、資源だったのだ、足りなかったのは、その証明のように、軽々と人類は一段ステップを踏み越えた。
 そこには次のステップというものは見えず、ただただ広く穏やかな、光の梯子が降り注ぐ、白くて柔らかな時代が広がっていた。

 三年たった。僕ですら、その三年を間近に体験した。斜に構え、ただのバイトとして、その人類を突き上げるアキラロメン式メインストリームの枝葉末節に居た僕ですら、どうだ。口座には、僕の老後を確約するような7桁の数字が優しい顔で並んでいた。それもすくすくと育ち続けている。8桁だって見えている。「老後は任せてね」と言ってくる実子のような成長ぶりだ。どうしようもなく頼もしい。

 僕はその数字を見てどうしようもなく安心し、どうしようもなく哀しくなった。
あぁ、あぁ、まったくもって大人買いできる上質な商品が揃ったコンビニエンスストアの外では、清潔な街並みと、普及し始めたドラム型清掃ロボット、そしてビル並の奥に見る球状型アキラロメン発電所が、うららかな昼下がりに並んでいる。行きかう人々の肩は健康に脱力していた。三年前と比べるとそうだな、スマホを眺める人が少なくなった。余暇がある以上、情報に追い立てられることもなくなったのだ。
 コンビニには、小説コーナーまでできた。最近、余暇潰しという名目でこういう時間を要する娯楽が復権してきている。
 上下なく様々な世代から、時間を得た気鋭の作家も生まれ始めている。
 あぁ、あぁ、まったくもって、世界は救われてしまった。

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