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七日目に神は泣いたのか

第1日目
神は光と闇とを区別された。この光を昼と名づけ、この闇を夜と名づけられた。

第2日目
神は大空を造り、大空の下にある水と、大空の上に水とを区別された。その大空を天と名づけられた。

第3日目
神は天の下の水は一所に集まれ。乾いた所が現れよと仰せられた。乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。地には植物、種の生じる草、種のある実を結ぶ果樹、木を芽生えさせた。

第4日目
神は昼に輝く太陽、夜に輝く月と星を造られた。

第5日目
神は海に生きる巨獣と、水の中を泳ぐ魚と、翼のある鳥を造られた。

第6日目
神は地に生きる家畜や爬虫類や獣を造られた。そして神はご自身のかたちに男と女を創造された。人間にすべての生き物を支配させられた。

第7日目
神は天と地とすべての万象が完成したことを祝して休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖なる日とされた。

 これは聖書の冒頭。いわゆる創世記と言われるもの。

 神は6日間で世界を作ったという内容です。

 何のための保険かわかりませんが、私はキリスト教徒ではありません。
 そこらへんにゴロゴロと転がっている旅の宗教家のひとりです。
 ミッションスクールに通っていたことのある方のほうが断然詳しいとは思いますが、歴史を宗教という眼鏡から覗き見ることを趣味としています。

 ともあれ、今回のnoteで私が触れてみたいのは「安息日」について。

 神は世界を作り上げた後、お休みになられたのは七日目に記述がある通りです。

 とっても感覚的な話になるのですが、神は七日目に泣いたのではないかと思います。

 理由を論理的に説明できれば良いのですが、そこまでしっかりした組み立てはできませんでした。

 何もないところから光と闇を分離して、時間を作る。
 それから大地、植物、月、動物を作ってゆく。
 もしかすると指先ひとつでヒョイとできるのかもしれませんが、私は一日がかりでそれぞれを成し遂げたのではないかと。

 その気になれば一日もかからずに世界を作ることができるのであれば、ささっと片付けたいと思うんです。
 きっとそこにはデザインに対する試行錯誤があったのかも。

 大地や海を作るにしたって
「ぽよぽよ跳ねる大地にしたら楽しいけど、みんな疲れちゃうよなあ」とか
「ピンク色の海も捨てがたいけど、世界の七割がピンクだと感動が薄れそうだなあ」とか
 そういう葛藤があったんじゃないでしょうか。

 翼のある鳥を作るときだって天使を参考にしたんでしょうけど
「翼が奇数枚の天使たちっていつも傾いてて不気味だよな。やっぱ2枚にしとこ」
 みたいな天使のデザインに対する反省があったと思うんですよ。

 実際にやってみると、手を動かすより頭を動かすほうが断然疲れる。
 しかもそれを六日もかけてやってるんだから、そりゃもう大変な仕事ですよ。

 だから、七日目にお休みをした神はきっと泣いていたと思う。
「ああ、やっと形になった。もう休んでいいよね」
 そう言って、どこか手近な岩に座って目を閉じた。
 神の目から一筋の涙がこぼれ、真新しい大地に吸い込まれた。

 こんな光景が見える気がした。
 私も休みます。

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