「優しい人」と言うのなら
「あたまのいいひと」について、前回の3X+1の日に記事を書いた。
そのなかで「やさしさってのは振る舞いだ」という旨の一文があるんだけど、これは実は引用で、公開してから引用だって示したほうがよかったんじゃなかったかなって気が付いたんだけど、それよりも別の記事にしてしっかり書いちゃった方がいいなってことも思った。
これは舞城王太郎の『パッキャラ魔道』に出てくる一文。
『パッキャラ魔道』は私の好きな短編で、前回の記事タイトルにも入れてわかる人にはわかるようにしたんだけど、結果的にわけわかんなくなった。
劇薬だわ。
ネット上でも好きな一文として紹介されているのをちらほら見かけるから好きな人は好きなんだろう。
全文ではないけど、こんな感じ。
『パッキャラ魔道』のあらすじは難しい。
主人公・慎吾たち家族が交通事故に遭うんだけど、そこで父親がスーパーヒーローみたいな大活躍!!
それをきっかけに父親のヒーロー魂に火がついて世間から認められるんだけど、それとは反対に家族はぐっちゃぐちゃになっていく。って話。
慎吾はまだガキンチョだから壊れていく家族の理由を父親に全部預けちゃってて、それで父親に冷たくしてるんだけど、本当は優しい子なんだって。
そこで柊ちゃんが慎吾に言ったのがこのセリフ。
ちゃんと説明し始めるとどれだけスペースがあっても足りないから、わけわかんないと思うからあらすじはここまで。
私が言いたいのは「このセリフいいよね」ってこと。
「私やさしいから~」って人はいっぱい居るんだよね。
それで実際にやさしい人もいるんだけど、言ってるだけなことも、まあ少なくない。
私もはるか昔の6年前に職場の人間と折り合いが悪かった時期がある。
そのときにちょうど読んでいたのがこの『パッキャラ魔道』。
そういうタイミングだったからこそ刺さった。そりゃもうグッサグサに。
やさしさとか素直さとかって心の中にしまっていても役に立たなくって、誰かにやさしくしたり素直に答えたりってのを実際にやらないと誰にも伝わらないんだよね。
当たり前なんだけど、それって忘れてしまいがち。
古代ローマかどこかでも王様が定期的にライオンと戦って民衆に強さを見せつけていたみたいな話があったと思う。
これも同じで「私は強くて偉いんだぞ!」って言ってるばっかりじゃなくて、力は使って示してナンボなんだろうね。
だから当時の私は「こんなにがんばっているのに!」「悪いのは自分じゃないのに!」って憤っていたけど
結局それは口を動かすだけで行動できていなかったり、結果を出せていなかったんだなって頭がスッとしたような気がした。
そんな努力も実を結ばず、彼ら彼女らとは訣別したまま再会することもかなわなかったけど、私はやることはやったんだと思って後悔はない。
単に私にやさしさや誰かを許す心が足りなかったのかもしれないけど、それならそれでどうしようもなかったわけだし、それに今はもう関係ない人たちだからそれでいいんじゃないかな。
もしあの時にやるべきことをやっていなかったら今でもたまに思い出してグチュグチュしていたと思う。
そういう話も舞城王太郎の『熊の場所』って短編にあるんだけど、それはまたどこかで。
ともあれ、やさしさは難しいように見えて簡単で、相手や誰かにとってやさしさをおぼえる行動をすればそれはやさしいってことになる。その人が本当の意味でやさしいかどうかはわかんないけど、やさしさってのは言葉遣いや振る舞い方で全然違って見える。
誤解を生みやすいけどやさしいです、は成立しうるんだけど、それって相手に依存しているやさしさであって本当のやさしさとはちょっと違うのかも。
コミュニケーションに答えはないんだけど、そういう細かいことに気を付けていられる人は頭がいいし、やさしいんだろうなって。
わかっているんだけど、実行は難しいね。(そ)
『パッキャラ魔道』はイキルキスに収録されています。書き下ろしのある文庫がおすすめです。
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