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気後れすることへの謎に迫ってみた

私は、40代のとき、このままでいいのかと自分にいつも問いかけていました。いいともよくないとも分からない中で、自分ともっと向き合いたい、自分が変われる何かヒントのようなものをつかみたくて、ある方のブログで紹介されていたお話し会に参加し、2年前から個人でコーチングを受けるようになりました。

さまざまな内容をテーマに、ある時は具体的に起こったこと、ある時は、漠然とした不安など、月に1度コーチングを受け、自分で振り返ります。自分なりに言語化することで、深堀したり、広げたりしながら、ものの見方に偏りがあることを痛感してきました。

昨日は、そのコーチングの日。これまでのコーチングのおかげで、だいぶん、自分に起こることへの対処がしやすくなってきたような気がしていました。だけど、小さい頃から思っていた悩み、これが、やっぱり、根底にあって人との関わり方を難しくしている原因かと思うことをテーマにしました。

それが、気後れです。小さい頃は引っ込み事案と言われていました。この歳になっても、やっぱりそれは変わらなくて。楽しいはずの会合が、気後れする場になっていることに気がつきました。

仲良くなりたいから、相手のことを知りたいし、知ってほしい。そのために、話を聞きたいし、自分のことも話したい、というだけのことなのにできないのはなぜか。 

その場にふさわしい話題かどうか、個人的なことを聞いたら避けられてしまうかもしれない、など、自分の中で思い込みがありました。避けられるくらいなら近づかないでおこうとして、自分に制限をかけていたのかもしれません。

自分にできること(自分のことを話すことや相手の話を聞くこと)と他人が決めること(受容してくれること)を一緒に考えてしまっていました。自分にできることに焦点を当てることが必要なんだなと気がつきました。

 昨年末、コーチから言われた言葉。「カオスを楽しんでください。」
自分で線を引かず、入り混じってみる。

いろんな人やことに関わることで、ものの見方も一方ではなく、いろんな方向から見ることができるようになるのではないか。そこで、今まで、「こうすべきだ。」とか「こうでなけらばならない。」と自分に暗示をかけてきたことをゆるませて、もっと、自分が生きやすくなっていくのではないかと思うのです。


私は、枠からはみ出さないように生きないといけないと思っていました。就職して、結婚して、子どもを産んで、という一つの道が自分にとって全てだと思い込んできたのです。だから、そうでなくなった今、私の拠り所がなくなってしまい、自分を委縮させてしまったのではないのかと思います。

だけど、もともとその道はたくさんある中の一つであって、そこから、枝分かれしていたり、全然違う道があったりすることに気がついていなかったんですね。

カオスを楽しむというこの一言からいろんな想像を巡らせてみた結果、あらゆる生き方や可能性があるということが分かってきました。
そして、私の気後れの原因が、私が一方的に思い込んでいた自分の理想とそれについていけていない自分がいたことでした。

だから、道は一つだけではないんだよ・・・ということをそっと教えてくれたのかも。今度は勇気を出して自分のことも話してみようと思ったのでした。

なんだか、まとまらなくなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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