見出し画像

水木しげるに学ぶ、生きる力と見えない世界


はじめに、昭和の闇と現代の共通点

 「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」は、戦争という不条理な現実を生き抜いた水木を主人公に、戦中・戦後から続く昭和の闇の世界を構造的に描いていた。ここで描かれる水木は、現実の水木しげるではなく、会社の中で使い捨ての駒として扱われている水木
 戦後を野心的な会社員としての水木が、目玉親父と幽霊族、戦争中、虫けらのように死んでいった戦友の怒り怨念を抱えながらも未来に希望を持って戦う物語だった。
 「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」は昭和31年の物語だが、戦後70年の現在、なぜ多くの人が共感し大ヒットするのか?
 それは戦争中から続く昭和の闇の社会構造が、経済戦争という形に変換され、社会の中で使い捨ての駒として多くの人間が扱われているからのように思う。 

1.戦争に対する怒りと生きる力

「総員玉砕せよ」について水木しげるの言葉を引用すると

 大勢が死んでいった。祖国のため、愛する人のために勇敢に散った人もいるが、無謀な命令による死も少なくなかった。この陣地を死守しろとか、あの丘を攻略しろとか、大局から見るとちっぽけなことにこだわり、死が美化された。面子、生き恥、卑怯という言葉のために多くの兵士たちが死んだ。
…中略…
 最も愛着の深い作品は何かと聞かれれば、『総員玉砕せよ!』と答える。ラバウルでの体験をもとに描いた戦記ものだが、勇ましい話ではない。
 誰に看取られることもなく、誰に語ることもできずに死んでいき、忘れられていった若者たちの物語だ。 

出典「水木さんの幸福論」水木しげる著 角川文庫

 「総員玉砕せよ」は、物語の90%は事実です。と、水木しげるは語る。物語では全員死ぬが、実際は80人近く生き残る。
 物語は大きく2つに分けられる。前半水木しげる(物語では丸山二等兵として)現実に体験した成瀬大隊の日常
 後半は、1945年、物語の主軸である※玉砕事件が起こるが、水木しげるは不在。
 ※玉砕事件とは、戦争末期のニューブリテン島バイエン、若き田所士隊長(少佐)は、連合国上陸に対し500名の兵士に玉砕作戦を計画。
 兵を率いる年配の中隊長は、「兵を無駄に犬死させず、一旦退却し、ゲリラ戦を行えば半年は戦える」と進言。が、田所士隊長は玉砕を敢行。
 中隊長は玉砕命令を無視し、一旦聖ジョージ岬へと逃れ、兵士の命を救うが、中隊長自身銃弾を浴び、途中自決する。 
 しかし田所士隊長が一方的に悪いわけではなく、この玉砕命令を出す前の場面では、ワニに食べられた上等兵の死体を一週間探し続け、憲兵本部に呼ばれ「もう死体あそびもいいかげんにしたらどうです。うかうかしてますと命までほうり出さにゃならんことになりますよ」と脅迫される。

引用:「総員玉砕せよ!」水木しげる著 講談社文庫
玉砕命令を出した27歳の田所士隊長

 田所士隊長自身が、軍隊の望む死に場所を求め、玉砕では先頭に立って死んでゆく。軍隊の構造的闇の中で、上官も含む兵隊たちが、使い捨ての駒のように殺されていく。

 本部の参謀長(大佐)は、士隊長に「玉砕を急ぐな、最後まで陣地を活用して戦え」と返電しようとするが、士隊長は無線を破壊していたため不通。本部「全員玉砕してしまった」と早合点し大本営に「全員玉砕」と連絡する。
 そこに中隊長の命令に従った兵士たちの帰還の連絡がくる。
 生きていては都合の悪い部隊の帰還は、再び「玉砕命令」という狂った展開になっていく。

  水木しげるは、当時1945年の前年、マラリアで寝込んでいた時、空爆を受け左腕を吹き飛ばされ、後方に移送されていた。
 ただ水木しげるは、この物語と同じような経験を前年、現実にしている。その物語は「敗走記」の中で1944年(昭和19年)部隊が壊滅的打撃を受けた時、ただ一人生き残り九死に一生を得ながら帰還するも、先に帰還した兵長は「敵前逃亡」として銃殺され、二等兵の水木の命は救われるが「次回真っ先に突撃しろ」と命令される。二等兵は自決する価値もなく、新たな捨て駒として「次の機会に玉砕せよ」と命令される。
 戦後自分の隊に起こったこの玉砕事件に感情移入し自ら取材し、軍隊の構造も※松浦義教著『灰色の十字架』を読んで理解し描いたもの。
 ※松浦義教は、ラバウル島戦犯弁護人。

 私は、前半の食料もなく、二等兵たちが過酷な労働をさせられるなか、いともたやすく兵士が死んでいく世界が心に残っている。兵隊たちの悲惨な死の場面の背景は、豊かで美しい南国の自然が丁寧に描かれる。その事で人間と自然の世界とのコントラストが鮮やかに表現される。

 戦闘ではなく、小川椰子の木を運んでいる最中に木の下敷きになり腕の骨を折ってテング熱で死ぬ。
 景山が渡し守りをするボートに丸山と一緒に乗っていた境田は、ワニのいる川を渡っている途中、帽子が落ち拾おうとして、一瞬で消える。境田が消えた一瞬を誰も見ていないし、音もない。

引用:「総員玉砕せよ!」水木しげる著 講談社文庫
消えた境田捜索の様子

 後日、丸山景山が、ワニに食べられた下半身だけの境田の遺体を見つけ、洗って持って帰り、葬る。

引用:「総員玉砕せよ!」水木しげる著 講談社文庫
倒れた切り株と境田の死体

 その景山は、一人渡し守をしている最中、敵機に銃撃され、桶を頭にかぶり隠れた瞬間撃たれて、誰にも見られず死んでしまう。
 手榴弾で魚を取りに行った中本は、たくさんの魚を持って帰ろうとして両手に魚をつかみ、口に魚をくわえていたらその魚で窒息死してしまう。

引用:「総員玉砕せよ!」水木しげる著 講談社文庫 
南国の自然の中の中本の死

 水木しげるは、誰にも語られない戦争の悲劇を淡々とクールに語る。
そこには涙もない。ただ日常の不条理な出来事として描かれる。その事が逆に心に残る。
 この「総員玉砕せよ」では、上官も含め40数名の人間の死のドラマが淡々と描かれる。彼らは人間であり、虫けらでも捨て駒でもない。
 名もない兵士の誰も知る事のなかった死こそ、戦争という歴史に残す人間だと言わんばかりに水木しげるは描いていく。
 心地良い物語ではないが、私は不条理な戦争というシステムにやり場のない怒りを持ち、そのパワーが生きる力を与えてくれる。

2.見えない世界を信じ求めること

 水木しげるは、戦争で誰にも語られずにいる戦死者の霊に操られ、わけのわからない怒りを持って戦記物を描くという。
 水木しげるの生きる力は、自分の好きな絵を描く事を手放さなかった事にあると思う。戦争中「ラバウル戦記」では数々のスケッチと共に当時のエッセイが描かれる。

引用:「水木しげるのラバウル戦記」水木しげる著
ちくま文庫 ラバウル島に向かう船の空襲
引用:「水木しげるのラバウル戦記」水木しげる著
ちくま文庫 ニューブリテン島トーマの少年

 「総員玉砕せよ」でも、中隊長に頼まれ、中隊長の顔と花札の絵を描いている。
 どんな状況でも好きな事を手放さない表現欲が生きる力になったように思う。
 「コミック昭和史 第6巻 終戦から朝鮮戦争」では、水木しげるは、マラリアにかかり爆撃を受け、片手を失い、何度も死体と間違えられながら、とにかく食べて生きる。
 少しよくなるとトライ族の元を尋ね交流し、食料と豊かな心を得る。
その行動力と生命を豊かにする生きる力、そこから生まれる希望再生に感動する。

引用:「コミック昭和史 第6巻 終戦から朝鮮戦争」水木しげる著 講談社文庫

 水木しげる自身、森や自然の中で見えない世界、妖怪や幽霊の存在を信じ、繰り返し見る戦死した戦友の無念さの夢から「総員玉砕せよ!」を描く。
 過去と現在と未来を繋げる漫画を描き、時空を超えて生きていく。
 今現在、目に見える世界だけの直接的な幸福より、より普遍的な幸福を求め、漫画を描く事で深い意味を実感し、新たな希望と再生を見出す。
 現実世界だけではなく、自然や生命の神秘、夢の中の過去や死者、そして未来につながる見えない世界を信じる事が、心豊かに生きるヒントだと思う。

引用:「コミック昭和史 第6巻 終戦から朝鮮戦争」水木しげる著 講談社文庫
自然と共生するトライ族の神秘的な踊り

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?