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(副題)いつもどこかで


前にも別アカで自分の話をした。

今回は、また少し踏み込んだ話し。

小学3年生。わたしの記憶の土台はそこにあって、そこから自分の中の人間が成長できていない気がする。

その歳、家庭環境が張り詰めていた。母は体調も悪く、すぐに怒り、泣き叫んでは物を投げた。父は止められなかった。一緒に途方に暮れてた。父が、何とかしてくれてたら、私は、平和が欲しかった。

台所から聞こえる、お皿の、食器のぶつかる大きな音を聞いては私は固まっていた。
また、お母さんが怒っている。どうしたらいい?わたし、何をしてしまったんだろう。お手伝いしなかったから、怒らしちゃったのかな。お母さん、怒らせちゃったのかな。どうしよう。

そんなお母さんに、反抗期真っただ中、産まれてきたときはへその緒を首に巻き付けて出てきた、発達障害の5歳上の姉は反抗した。ぶつかり合いが始まった。泣きわめきが増した。二人で喧嘩が続いた。何かあるたび母と姉はぶつかった。取っ組み合いだった。泣き叫びが家中に響いた。姉も物を投げるようになった。

わたしは泣いた。泣くしかなかった。なんで、なんで、仲良くしてくれないんだろう。お父さん止めてよ。もう、悲しいのは嫌だよ。みんな仲良くしてよ。お姉ちゃんのせいだよ。お姉ちゃんなんか大っ嫌いだよ。

お母さんに、笑ってほしいんだ。お母さんの笑顔がほしかった。愛してほしかった。どうしたら、お母さん喜んでくれる?笑顔になってくれる?

こういう時、なにをしてあげたらいい?と母に聞いたことがある。
母は、「お水をコップに入れて持ってきて、そしたら落ち着くから」
「わかった。」
それからそういうときはお母さんが落ち着けるようにコップに水を入れてあげた。

お手紙書いたら、笑顔で喜んでくれるかな?それから、いっっぱい感謝書いて渡した。いつもご飯作ってくれてありがとう。いつも笑っていてね。って。心を込めて。


もっと、小さいころお母さんと手をつないでお出かけしたかったよ。手をつなぐと歩きづらいと言うから手をつなげなくなった。

幼稚園には行けなかったから、幼稚園の外の柵に座って、いつも中の様子を覗いていた。楽しいのかな?面白いのかな?みんな何しているんだろう。

3人兄弟なのに一人の時間が長かった。外で虫かご、虫捕り網持って、虫捕り、セミ捕り名人になった!(自称)
住んでいた団地の敷地に、ザクロがなっていたから、一人で(´~`)モグモグ食べるのが楽しみだった。宝石みたいでキラキラしていたんだもん。

後は本をひたすら読んでた。トムソーヤの冒険。ガリバー旅行記。図鑑。
お父さんがゴミステーションから拾ってきた、積み木、ブロックでひたすら遊んでた。リサイクルショップなんてなかったからね。
ゴミステーションって宝の山だって勘違いしてた。(笑)でも、それで私は十分だった。創造力がそこで培われたのかも。

遊ぶときは、一人でいることが普通、に感じてた。母に絵本を読んでもらった記憶はない。兄に最近聞いた話、母は教育が親の愛情だと感じていたらしい。お皿をガチャガチャして大きな音を立てたのは、母自身が幼少期、両親の喧嘩に対する不満を表現する方法だったようだ。

そんな背景で、私は母の顔色をうかがうのが当たり前になった。怒られないように行動するようになった。テレビもコソコソ見るようになった。
母が出かけたら見る。父もそんな感じだった。見終わったらテレビを押し入れにしまう。なぜ?わからなかった。ただお母さんが怒らないために。でも、風邪をひいたりして学校を休むとテレビは見放題だった。母は出かけるし、見ても良い雰囲気だった。変だよね。(笑)
お母さんの機嫌次第だった。
だから、たくさん子供番組で脳内、育ててもらった。(笑)
特に工作番組ワクワクさんっ!なんでも作りたくなって。それをお母さんに見て欲しかった。

反応は忘れてしまった。

張り詰めた家庭の中でも、猫はいつもそばにいた。
多い時なんて、12匹はいた。わたしが校庭で出会った野良ネコ、家にまで付いてきた。というか付いてこさせた。お母さんは猫好きだった。だから、飼う許しをもらった。そのあと、黒猫さんがうちのやってきて、それが子猫を産んだから、12匹になっちゃった。その時が、幸せだった。お母さんと一緒に同じ猫を見ていたから。
だから、今も猫が好きなのかも。心を通わせられる唯一の存在。

両親は牛乳配達に、父はそれが終わると養鶏場に仕事に掛け持ちで頑張って家庭を養ってくれてた。
牛乳配達が出来なくなって、新聞配達に変わったりもしたけど。大変だったよね。5人家族だもんね。

兄は先に祖父母のいる北海道へ巣立ち、北海道に移ってから姉も家を出ていった。
一人二人と家からいなくなった。父は7年前に亡くなった。もう病気の進行が早くて手遅れだった。一か月も入院せず、お別れだった。

夢でしか会えない家族がいるって悲しいよね。
ちなみに母は元気に72歳かな。

わたしが結婚して、今は母とは離れて暮らしているが、

いつもどこかで、、心配したり、笑顔を思い出したくなったり、どっかで怒られるんじゃないかって気になったり、死んじゃったらどうしようって不安になったりしてる。元気でいてくれたらそれでいい。

これは愛なのかな。家族ってそんなもんなのかな。

いつもどこかで、、みんなを笑顔にしたいって思っちゃうんだよね。それが、わたしなのね。

あとがき
投稿を躊躇しましたが、短編映画の副題を考えていて、自分のことを書くことにしました。そんなこんなんで、カウンセリングを受けながら、過去と向き合うことを始めています。すこしでもnoteを通してみんなに笑顔をお届けできたら嬉しいです。

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