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施術師と治療家の違いって何?と考えたら必然的にその人の生き方が反映されているという当たり前な話

今回のテーマは興味のない方には一切、面白くもない話です。
しかし、鍼灸、マッサージなどの代替療法、民間療法を行っている人、または自分に合った施術を探している人には一読してほしい内容です。


ちょっと調子が悪いとき、どうしてますか

体調がすぐれない時、あなたはどうしてますか?
きっといくつかの選択肢があると思います。

・とにかく寝る
・近くの医者に見てもらう
・病院は嫌いなので代替療法を受ける
・何もしないで様子を見る

このどれかに当てはまるでしょう。
寝て回復すればよし、それは体力(自己治癒力)がある証拠です。
20代、30代のふだん健康な人ならば,それで十分です。

近くの医者に見てもらう、これも選択肢の一つ。
でもほんとは医者に行くほど辛くないのであれば、医療費削減のため安易に病院に行かないほうがよいと思います。

「様子を見ましょう」と言われて、湿布やらビタミン剤を処方されておしまいになるからです。

代替療法を受けるという選択肢を考える

さて3つ目の代替療法を受ける。
私自身が関わってきた業界の話になります。

体調がすぐれないとき、鍼灸やマッサージの行きつけの店がある人、お気に入りの施術者がいる人は幸いです。なぜなら、整体やカイロも含めてこの選択肢は玉石混交だからです。

(整体やカイロは医業類似行為であり、それらは禁止されているのではないかという視点は、ここでは扱いません。また、代替療法=医師以外の者が行う健康増進のためのサービスとして話を進めますのでご了承ください)

「ちょっと辛いので楽になりたい」ときにどこへ行ったらいいか。
これは業界が抱えている曖昧さに由来します。

街中で見かける整体や整骨院は、料金が手頃で敷居が低いぶん、施術者によって当たり外れがあります。また当然のことですが、おたがい人間なので「合う・合わない」という問題もあります。

以前、参加していた文章サークルで問いかけたときに多くもらった返事も「整体って、どこへ行ったらいいかわからない」「いまの治療院に決めるまでにあちこちの店で施術を試して、渡り歩いていた」というものでした。

つまり、代替医療を受けるという選択肢はニーズはあるものの【どれを選んだらよいかわかりづらい】という命題があります。

慰安なのか、治療なのか

あの店はいい店だ、と感じるときの基準は何でしょうか。

駅前にあるもみほぐしの店舗はリラクゼーション業として位置づけられており、ちょっと疲れた時に利用したいという需要に応えています。
リラクゼーション業としての位置づけは、つまりは慰安的であるということ=受けた人が「心地よい」と感じることが基準です。

私自身、花粉症に効くからということで冬の終わりに鍼を受けることがありますが、それは決して(心地よい)ものではありません。
痛いのをガマンしても花粉症の辛さを軽減したい、という期待をもって鍼を受けます。つまり、慰安的なものを求めるのではなく治療として代替療法を受けるという位置づけになります。

さて、あなたが代替療法受けたいと思って店を探すとき、そこに慰安的なものを期待するでしょうか。それとも、治療として痛みの軽減や動きの改善を求めてGoogle検索をしているでしょうか。

そして同じことが、施術(サービス)を提供する立場の人にも問われます。
しかし、それは一見して100:0というわかりやすいものではありません。

施術者が行っている施術は、慰安的な要素と治療的な側面を比較して、慰安:治療=20:80だったり、慰安:治療=70:30だったりします。
その点が、ヒトの体の不思議といえば不思議なのですが…。

治療家の世界観とは

一人前になる、という表現をするとき、それは自分の施術に自信をもって行うことができる。もしくは、それを仕事にして食べていけるということが基準になるでしょう。

私自身は(幸いにして)最初に師事しした師匠が、慰安:治療=0:100のガチンコの治療家だったので、どうしても治療として施術を提供する視点でものごとを捉えています。

目の前のクライアントがよくなっていくにはどうしたらいいのだろう?

この命題に答えるには、ただ単に施術を覚える=手を動かしたり、一定の操作を覚えたりするだけでは到底、十分ではありません。

その人の過去の病歴(ヒストリー)を聞いて、そこから先の良くなっていく物語(ストーリー)を描けること。
サッカー選手がシュートを打つときに、ボールがネットを揺らしている姿をありありとイメージして蹴るように。

もちろん、どこに原因があって、どうすれば変化していくのか、体の特徴を見極めることも大切ですが、ほかにも必要な要素があると考えています。

それは、どういう伝え方をしたら、この人が(本気でよくなろうとするか)を見極めること。
そこで問われるのは、施術する者の考え方だったり世界観だったりします。
何を大切にして、どれを優先するか。
その人の、人としての生き方が言葉としても言葉以外の所作にも表れます。

体をよくするという視点だけでなく、一歩踏み込んで「生き方そのものを提案する」ような気構えで接することが、よい治癒を引き起こすきっかけになると私は考えています。


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physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。