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訪問マッサージを続けていて感じるメリットとデメリットの両方を言語化してみた

訪問マッサージに関わるようになって10年以上が経つ。
個人で仕事をしたり、一時は大手の組織にも所属していたりして、現在に至る。

訪問マッサージが制度として始まったのは2000年の介護保険制度が導入されたのと時を同じくする。いまやFC展開する企業まで現れて過当競争の様相だが、そのなかで一個人として感じていることを述べてみたい。

訪問マッサージの社会的意義は何か?

厚生労働省の資格にあん摩マッサージ指圧師、というものがある。
この免許を取得することで訪問マッサージができる。鍼灸師の免許があれば、訪問鍼灸となる。どちらも医師の同意を得ることで健康保険が適用となるため、多くの施術者が従事している現状がある。

リハビリとどう違うのか?

マッサージの効果として期待できるのは、全身の血流をよくすること、筋肉を刺激して柔らかくすること、むくみを解消することなどがある。鍼灸の場合は、はりや灸の刺激により痛みを緩和することが期待できる。

訪問マッサージの説明をするときに「リハビリとどう違うんですか?」と聞かれることがある。
端的に言えば、鍼灸、マッサージの場合は【受動的】。高齢者は寝ていて施術を受けるだけでいい。
リハビリの場合は【自発的】に体を動かしてもらうことが主体となる。
ここが一番の違いだと思う。

社会的メリットは?

保険適用による鍼灸、マッサージはいずれも介護を受けている高齢者や障碍者が対象となる。
そのため、2つのことを大きな目的としている。
一つ目は、高齢者が自分で身のまわりのことができる手助けをする。関節が固まらないように動かしたり筋肉を柔らかくしたり、日常生活動作(ADL)を維持することを目指している。
これに加えて、QOL(生命の質)を高めることを目的とする。痛みなく過ごせる、夜よく眠れるといったことを意味している。
時には、施術中にたわいもない話をして高齢者と笑いあったりしている。
日頃、部屋のなかから外に出ない人にとって、笑いはひと時の気分転換にもなる。

2つ目は、介護者負担の軽減と考えている。
高齢者の身体機能を落とさずに自分で自分のことができれば、介護をしている人の手間が省ける。関節をある程度動かすことができれば、食事や着替え、車いすへの移乗などの動作を手伝う際の負担が減ることを意味している。
また、施術者が経験を積むことでノウハウが増えて、介護者のセルフケアや高齢者の生活上のアドバイスを伝えることもある。
知っていれば何でもないように感じることでも、介護に初めて直面する人にとっては心強い存在に映るに違いない。

社会的デメリットは?

いい言葉ばかり書いても片手落ちだと思うので、社会的なデメリットも記しておきたい。
最も大きいのは、医療費が増大することだと思う。
もちろんこれは訪問マッサージだけに限らず、高齢者医療全般に言えることだ。40数兆円という国民医療費のうち、7割程度が高齢者の医療に充てられている。人口の比率を考えればやむを得ないことではある。

しかし、一歩引いて日本の国力を考えると、もっと現役世代に充てる支出を大きくしてほしいと願う。これは政治や政策によるものなので、述べるのは別の機会にしたい。
敢えて述べるとすれば、高齢者に向き合っている時間と労力をそのまま若者や現役世代に(マッサージや鍼灸を)施せば社会的な生産性が上がると思っている。

アメリカに端を発した「リハビリテーション」の当初の意義は会的生産性を高めるという趣旨のものだった。
しかし現代の日本ではリハビリテーションは高齢者だけのものになってしまっている。

訪問マッサージは儲かりますか?

高齢者ビジネス、という言葉がある。
私はこの言葉が大嫌いだ。金儲けのために何でもビジネスにする…という意図をぷんぷんと感じるからだ。
前職の同僚からこの言葉を聞いた時、ハッとするとともに「あーぁ」と残念な気持ちになったのを覚えている。

いまや【訪問マッサージでフランチャイズ展開】という業態もある。
なんだか、儲かりそうに聞こえるけれども…。これはもうコンビニと同じなので(よい、悪い)という議論はしない。そういう仕組みが社会に受け入れられている、という現象に過ぎないと思うようにしている。

残念なことに、FCビジネスを始めたフランチャイジーが長く続かない…という声も聞く。そりゃそうだそう、コンビニと違ってモノを売る仕事じゃないのだから。
【ヒトはモノじゃない】
これは最初に師事した指圧の師匠から聞いた言葉だが、施術者として肝に命じておきたい。

訪問マッサージの経済的メリット

施術をする側と施術を受ける側の両者の視点から、経済的メリットを見ておきたい。

施術をする側の経済的メリット
・安定収入が見込めること
いわゆるストック型ビジネスである。一度、利用者と契約を結べば週1~2回、施術に伺うことが慣例化している。
原則は(患家の求めに応じて)訪問するのだが、ほとんどの場合は毎週決まった曜日と時間に施術に伺っている。週2回の利用者が1人いれば、毎月40,000円前後の売上が見込めることになる。

施術を受ける側のメリット
・保険を使うため安価で施術を受けられる
75歳以上の後期高齢者の場合、1回400~600円ほどの費用負担で施術を受けることができる。週2回、つまり月8回の施術を受けても自己負担は5,000円前後に落ち着くことが多い。

また、定期的に体に触れてもらうことで施術者が体調の異変に気付きやすいという見守り的な意味合いもあると思う。私自身も過去に褥瘡に気づいてケアマネに連絡したことがある。

訪問マッサージの経済的デメリット

訪問マッサージに経済的なデメリットはあるの?と考える人もいると思う。
ここまで読めば、国の負担をさておけば施術者側も利用者側もいいことだけなんじゃない?と思うに違いない。

一歩引いてみると、施術する側の視点では療養費改定によって施術報酬が決められていることがデメリットだと考える。
介護保険が始まった当初を知る人は、大いに納得するところではないだろうか。介護保険制度の開始と並行してマッサージや鍼灸も保険適用が始まった。
今では施術料と往療料の合計が1回4,000円~6,000円位だが、2000年前半は1回7,000円以上はざらにあったと聞く。(そもそもの制度設計がどうなの?という話は横に置いといて)

つまり、以前に比べて施術報酬が下がっている。
国民医療費が増えているから、これを抑えるために医療機関とおなじ現状を辿っていることになる。
一方、自費であれば自分で施術料を決めることができる。歯科医院でもインプラントやホワイトニングを推しているのがその流れだと思う。

施術者としてどれだけ成長できますか?

ここまでは社会的な意義や経済性について記してきた。
最期に施術者に求められるスキルについて記しておきたい。断っておくが、初めて間もない新人のうちは(使えない)と呼ばれるのは仕方ない。
ここでは現場に出て3~5年経った中堅どころの施術者像を描いてみたい。

施術者スキルのメリット

いわゆる自費の治療院と比べると、施術対象が高齢者ということが大きな特徴になる。つまり、高齢者の心と体と病気のことを知っている必要がある。

・体が老いていく過程で何が起きているか
・障害が残った状態でどのような日常生活を送っているか
・進行性の難病の場合、どのような経過をたどるのか

少なくともこのあたりのことを理解しておく必要があるし、それが訪問で鍼灸やマッサージを行う場合の専門性ということになる。
知識として勉強しておくこともあれば、ある程度の経験を積むことで肌身をもって知ることもある。

高齢者に接するという意味では、自分の親が介護を必要とする40代以降の施術者のほうがより親身に寄り添えるのではないかと思っている。

施術者スキルのデメリット

訪問マッサージの利用者像を俯瞰すると、脳血管障害の高齢者が10人中3人(約3割)いるというデータがある。
また、認知症の利用者は半数ほどいたり、要介護4以上で寝たきりの高齢者もいる。この現状は何を意味しているか。

やむを得ないことを承知で記すと「お陰さまでよくなりました」という言葉を聞くことは、訪問マッサージの現場ではほとんどない。一時的に痛みを和らげるのが精一杯ではないだろうか。
治療家として【元気になりました、お陰さまです】という言葉を聞きたい人には、訪問マッサージは向いていないと考える。

もう一つのデメリット。
私が自費に移行した根幹の部分で感じていることを記すと、施術者としての伸び止まりがあることだ。
施術対象が介護を必要とする高齢者、と限られているために一定以上のスキルは必要ない(と感じている)。そうじゃないと言う施術者さんがいたらゴメンナサイ。

3年、5年と訪問マッサージの現場に出ていれば、ひと通りの症例を経験するだろうし、それ以降は10年経ったあともほぼおなじ景色が続いているに違いない。
それでいいと感じる施術者もいるだろうし、治療家としてさらに成長したいという欲があるなら高齢者以外の人も施術したい、となるのが自然な流れだと感じている。

これまでに体験したこと振り返って、極めて私的なことを記させていただいた。詰まるところ、自分の強みは何か、自分はどのフィールドで働きたいかということに尽きる。
最後まで、お読みくださった方に感謝します。

physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。