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赤ちゃんの指の間のヨーグルトみたいなやつ

兄に赤ちゃんが生まれた時、私は小学生だった。
どちらに行ったのかわからない位かわいい赤ちゃんが親戚にできた。新しいおもちゃやペットが出来るような感覚で、私は大喜びして、毎週のように兄の家に遊びに行った。

未知の生物に出会った。私はくまなく赤ちゃんのぶくぶくした顔や体を触っていた。

とりわけ指が面白くて、くまなく触った。
生まれたての赤ちゃんは指がぶくぶくしていて、小さいのに5本指があって面白かった。指の根元には爪楊枝で刺したような小さなえくぼがあった。

指の間を開けたら、うるおいのある小さなかすがたまっていた。それは柔らかめのヨーグルトみたいな質感だった。得体がわからないものが現れてぞわっとした。

興味本位からヨーグルトの匂いを嗅いだら、臭かった。秋の公園に落ちている銀杏の実を踏んだような匂い。手の間に溜まった埃と水分でできた垢かもしれないし、石鹸カスかもしれない。

小学生の私は、臭覚が他の人よりも鋭敏で、かつ匂いフェチであったため、ここぞとばかりに怖いもの嗅ぎたさで、赤ちゃんの指の間の匂いをかいだ。

小学生のわたし「くっさっ」

正直な感想が口をついた。
これは批判したわけではなく、褒め言葉でもある。なぜなら、くさやのように癖のある匂いは、何度も嗅ぎたくなってしまう。臭いと分かっていても怖いもの嗅ぎたさがそうさせるのだ。そういう臭いは臭いと言う言葉が、賛辞になる。

しかしながら、兄の嫁はそう取らなかったらしい。

兄の嫁「指の間まで洗う人なんていないもんねぇ。毎日洗っているからきれいだよね」
と言って赤ちゃんの頭をくしゃくしゃと撫でた。

赤ちゃんに言っているように、見せかけて、小学生の私に対して安心や間接的に伝えたようだ。大人がよくやる伝統的な姑息なの手を使った。

はぁー?と疑問が湧いたが、褒め言葉に一般人は取れないから仕方がないかと、私は一歩ひいて大人の対応をしてみせた。

世間は意外と小学生にも厳しいようだ。なぜなら、大人は歳を重ねているだけで、中身は子供のままの人が多い。自分よりも弱い立場の相手の発言を笑って受け流すことができず、自分の体裁を守る本を優先する心に余裕のない大人が増えているのだろう。

大人と言われる歳になった私が、近頃思うことがある。
人生において1番重要な事は、「心の余裕」なのではないかと言うことだ。心にお湯があれば、不足の事態が起きても自分を客観的に見ることができる。そのため周囲の人を傷つけず、最適な方法を選ぶことが影が可能になるんじゃないかと。

他人の振り見て、我が振り直せと言う諺があるように、これからの人生も自分にとって豊かな選択が出来るように、心の余裕を保ちたいと思う。

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