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恥ずかしいを探しに行く。三頁目「ハリーポッターと恥ずかしい私」

この度、恥ずかしいを捜して3千里です。まず最初にお伝えすると、タイトルとは内容が違うかもしれません。おおきなタイトルすぎて最初から恥ずかしい。ですが、今日は書いてみたいと思います。

よくよく最近考えてみて、恥ずかしいってかなり平和な心かもしれないなぁと思います。

もし私が恥ずかしくなくて、何処までも自信があったなら、恐らくジェット飛行機ばりの動力ありそう。だから速攻で衝突が起きると思う。

恐らく、私がどこまでも正しくて他人がどこまでも不正解で、平和との逆行をして攻撃をしてしまうかもしれない。

今の所、どれも恥ずかしいが勝るから、全力で回避して散歩してみましょうか。くらいになれてるのだと思う。

良い衝突もあるだろうけども、交通整備のないコミュニケーションってあると感じる。

それは、信号のない交差点ね。

そういう時は、怪我していても、傷ついてないふりして笑うから、分厚い仮面をつけて本当の顔がわからなくなり都会に埋もれそう。

もしかしたら、恥ずかしいって、信号で言うと黄色くらいかもしれないです。


一次停止してお通り下さいませ。という気分なのですよね。むしろ道路にしてほしい。

または、「おら、恥ずかしくて横柄な顔ができませんので、ハリーポッターの一個目みたいな変幻自在バスになって、1ミリくらい細い存在として生きたいっす!」という状態がよくある。

その時は、もう、「頼むから横をお通り下さいませ。なんなら私のことは忘れ去ってくださって結構です。これから私は道の中に消えます。探さないでください。」

って気分が毎日のように起きるのです。

ここまで独特な自我があるのに、思っているよりは衝突事故起きてないと思う。

私にとっては恥ずかしいって、ハリーポッターの魔法なのかも。と思ってきてます。

でも、そんな結論に達したと同時に、大きな作品をモチーフにするのは、地球丸ごと包むくらい恥ずかしいと感じてきてます。

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