きまぐれは合理的よりキナリ。

きまぐれ。に動く。
なんとのびのびとした響きか。

いい加減嫌になる。
朝起きてぼーっとした頭を抱えながら、合理的。をゴミに出そうと思いつく。
『きっと燃えないだろうな‥』とつぶやきながら、燃えないものと線引された…例えば1か月前までは折り畳み傘としてリュックに忍ばせていたけれど台風という抗えない力によって破壊された結果、骨組みという部品でも何者でもなくなったものたちと、合理的。を燃えないゴミと書かれた蛍光イエローの袋の中にぱんぱんになるまで押し込んで、叩きつける未満程度にゴミ捨て場に投げつける。

昔読んだドラえもんの漫画の中に出てきた道具のことがアタマの片隅に巣食っている。
ストローちっくなモノをのび太君の頭に突き刺すと、モヤッとしたシャボン玉のような‥綿あめのようなもの=眠気という概念を頭からぽわぽわと吸い出す道具だ。
仕事中あるいは集中したい時、どうしても眠るわけにはいかない時なんかの時にはアタマの中でこのシャボン玉がぱんぱんに詰まっている映像をついつい想像してしまう。

合理的。とはどんな形だろうか?
もしかするときれいに整えられた、寸分違わぬ正立方体で‥指で叩くとコツコツ鳴ったりして、ダイヤモンドくらいの強度であり、物凄く硬いものだったりするのだろうか?

不思議の国のアリスのチェシャ猫は木の上に寝そべってニタニタ言う。
『だったらどっちの道に行ってもそれはそれほど重要じゃないさ。』

おんなじ映画をどんだけリピートしても面白いの気持ちが薄まらなかった小学生の時分、その言葉をチェシャ猫から聴いた時はアホかこいつと思っていた。
ちんちくりんだと思った。

しかし深読みすることを良しと信じ、時間は貴重?と刷り込まれている為にリピートすることに恐くなったおっさんは思う。
果たしてチェシャ猫は一周回ってきたのではないか?
昔は選択することに比重をかけ、キラキラした最善の未来とはどれだと熟考し、ドラマの主人公になったつもりで謳歌した子猫時代。

しかしながら、抜けない棘のようにジワジワと突き刺さってくる現実に、苦渋をなめて絶望した行末に、間接照明が点いたブルックリンの1ルームで程よく焼いたサンドイッチを手元に置いて、時々ふと思い出したように一口二口頬張りながら山と積まれた書籍の海に埋没する日々。

あの日々があったからこそ、ある日の昼下り突然チェシャ猫のアタマに神様が飛来する。
素のままに思いのままに、高速で泡立てたメレンゲのように軽やかに、自然のままにボクはボクの方に進めているのか?

3日かけて丹精こめて作ったビーフストロガノフよりご飯つぶを手のひらにこれでもかとくっつけながら、うまくなれとつぶやきながら握った塩むすびのほうが断然旨い。

今のイマの瞬間にふと思いついた取るに足らない、なんとなくのひらめきともいえないかもしれないきまぐれは、めんどくさくて、くだらなくて、信じられないものかもしれないが、今の瞬間でしか思いつかない、ちっぽけなボクなのかもしれない。






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