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丸善

今日は丸善に行った。
お昼過ぎから友人とお茶をして、そのまま晩御飯も食べようとなった。その場でお店を予約したものの、予約時刻まで1時間半ほどあったので、暇つぶしだった。友人は買いたい本があって、私は特になかった。

私の場合は、本を買う瞬間、もっと言うと、本屋の本棚から買うための本を取り出す瞬間が、最も脳内麻薬物質が分泌されている時だと思う。

数年前にお祝いか何かで母から1万5千円分の図書カードをもらった時も、喜び勇んで丸善に行った。なぜか2万円分だと思い込み、意気揚々とカゴにばかすか本を入れていった。5千円くらいは自分で払おうと、2万5千円分ほどの本を入れた。最高だった。
レジで1万円の自腹と知ってちょっと焦ったけど、本屋ハイで思考力が落ちていたので、心へのダメージは少なかった。

この傾向は小学生の頃から始まっていたように思う。学校の図書室と近くの公立の図書館の両方から、貸出上限冊数の本を毎回借りていた。借りる本を選んで、両腕で抱えているときの重みに感じるなんとも言えない幸福。この重み分の物語が、世界が見れるという期待だったのかもしれない。ともあれ、これがクセになったのだと思う。

研究費を得た今、指をくわえて見ていた、Amazonに並ぶ1万円を超える洋書の専門書も買えるようになった。「カートに追加」する時に私の脳内で分泌されている物質は、図書館や、本屋にいる時のものと同じだと思う。

今日は、友人と一緒だったので勝手に1人でハイになるわけにもいかず、ここ最近色々とお金を使う場面もあったので1冊も買わなかった。Amazonでポチりつつ、大学の書庫で本を抱えて満足しているのもあるかもしれない。

なお、本棚の問題からは目を逸らし続けている。スキャナーと電子書籍には応援を要請している。

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