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うまくいかないのは誰のせい? 他責思考と自責思考について

仕事がうまくいかない日だった。確かにそれぞれにおいて言い分はある。ただ、全てのことにおいて「私があの時ああしていたら防げたかも」ということが事実としてあり、結果として色々な人を巻き込んだ形で申し訳ないのと、一概に誰かのせいにしきれない。それでも周りの色んな人が最大限の努力と協力をしてくれたので感謝という気持ちである。

相手のせいにできる潔さ

職場の同僚Nさん(40代独身・ややぽっちゃり)がこんなことを言っていた。
「試着した服が合わなかった時に、この服が悪い!と思う」
「悪いのは私じゃないよ」

まあ確かにいくら気に入った服であっても合わなければ意味がない。服が悪いのも一理ある。しかし大袈裟かもしれないが、一度は気に入って試着した服に対して全責任を押し付けるのはあまりに身勝手すぎないか?と思ってしまうのだ。身長や色味など、自力で変われない部分はさておき、(もう少し痩せていたら)というような自身の努力によって寄り添える可能性を否定しきれないのである。

このように、結論として自身の想像通りにいかなかった時、少しでも自分に改善の余地はないか、と振り返ってしまう。人や環境が悪いとして物事を終わらせることができたなら、気持ちが晴れるのだろうか。


他責思考と自責思考について

上のようにうまくいかない時やトラブルが生じた時、その原因が自分ではなく周囲にあると考える思考を「他責思考」という。反対に、原因が自分にある、と考える思考が「自責思考」だ。
それぞれのメリットやデメリットは以下の通りである。

他責思考
メリット
 ストレスを感じづらい、客観的な判断ができる
デメリット
 責任感の欠如、他人に厳しく当たる
自責思考
メリット
   成長の機会が多い
デメリット
 根本的な解決に至りにくい場合がある


自分の自責思考について

ここからは私の個人的な考えである。

人のせいにして物事を片付けるのは簡単だけど、現在生じている問題の解決にはなっていない気がする。同じ問題に二度と直面しないためには、その問題と向き合って原因を見つけ、根本的に解決すべきである。もし、人や環境のせいにしてその問題を終わらせたとしたら、人や環境次第でまた同じ問題が起こる可能性がある。人や環境は変えられないと知ってるのなら、変えることが可能なことで対処するしかない。自分の力で唯一変えられるのは自分である。だからこそ、人や環境が変わらなくとも、同じ問題を二度と起こさないために、自分ができることを考えるしかないのである。


より良く生きるために

この文章を書きながら、気づいたことが2点ある。
1点目は自分が周りに期待していないこと。基本他人は変えられない、そう思うと格段に生きやすくなる。
2点目は、問題の解決のためにシステムを見直すという手段である。再発防止のために自分にできることをしよう、と思っていたが、根本的なシステムを見直すことや仕組み化することで防げるミスもあるのではないか、ということである。


読んでくれてありがとうございました。
また明日^ー^


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