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赤鬼が泣かずに済んだ結末があったかもしれない。

こんにちは、きなこもちです。

『泣いた赤鬼』をご存知でしょうか。

あるところに、赤鬼がいました。
鬼たちは村人に恐れられていたものの、本当は人間と仲良くなりたかったのです。
そのことを知った赤鬼のともだち:青鬼。
青鬼は「僕が村を襲うフリをするから、君が僕をやっつけるんだ」という筋書きを提案。
実際に村人たちは赤鬼に助けてもらったことで、仲良くなっていきました。
しばらくして、赤鬼は青鬼をしばらく見かけないことに気が付きます。
青鬼の家へ行ってみると、そこには置手紙があったのです。
「僕と仲良くしていると、またみんなに怖がられてしまうから。僕は旅にでます。体には気を付けてね」と。
それを読んだ赤鬼は涙を流すのでした。

この物語から「友情とは?」「自己犠牲を払ってまでも友の幸せを優先させたこと」などがテーマとして取り上げられそうです。

確かに素敵な物語で、涙がこぼれそうになる名作なのですが・・
この物語、いま考えると「え、青鬼って不器用すぎるじゃん」というストレートな感想と、「もっと他にやり方あったんじゃないのかな」と考えてしまいます(ロマンがないとか言わないでください。笑)

認知してもらう方法は2通り。
①強烈で感動を引き起こすこと
②刷り込みのように何度も何度も小さな印象を積み重ねていくこと

青鬼が用いたのは①の方。

でも、わたしは②でよかったんじゃないかなーって思うんです。
地道に、怖がられながらも、小さなことを手伝うことを積み重ねる。
何度も何度も。
そうすれば、人間だって「この鬼はちがうかも」と思うかもしれません。
時間はかかるものの、唯一無二の友人である青鬼。
彼も赤鬼と友人関係を継続できたはずです。

圧倒的に②のほうが時間はかかるし、精神的に大変でしょう。
でも、友人関係を犠牲にせずに済んだかもしれません。

「友の悩みを解決するために、自己犠牲を厭わない姿勢に美学があるんだ!」
・・そうかもしれません。
きっと10代の私だったら頷いていたと思います。

でも、残された赤鬼の心象も考えたら、やりきれない気持ちしか残らないと思うんですよ。
「自分の幸せは、青鬼の犠牲の上に成り立っているんだよなあ」って。
自己否定したくなると思うんです。

そこまで想像できなかった青鬼は、少し短絡的に物事を考えてしまったのかと・・確かに問題はすぐに解決したほうがスッキリするし、悩んでいた赤鬼の悩みをすぐにでも解決してあげたいと思っていたのかもしれないけど。

みんなにとって、どの手段が一番ベストないしはベターか。
それができるのであれば、そのアプローチを選ばない理由が見当たりません。

お互いが繋がりあっているんだから、友人関係は続いている?
そうかもしれないけど、2人あってこその関係性。
どちらかに大きな負担や犠牲で成り立っているのは、歪みを感じざるを得ません。
本人たちがよければ、それでいいのですけど。。
けど!!!

赤鬼と青鬼には、いつまでも友達でいてほしかったなあって願うきなこもちでした。

ちゃんちゃん。


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