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ラブアンドリアリズム

夜友人と水タバコを吸い、日頃の鬱憤の話をした。普段私とは対照的なその友人は、香港のデモの話を突然に始めた。
どうやらネットで見たらしい。
友人は私になんども「最後は叫ぶしかないのかなー」と問いかけてきた。
質問の意味がわからなかったのでその後何度もも問答法を続て、彼の頭がいかにお花畑か分かった。デモと機動隊の衝突は民主主義として普通の光景なのだ。むしろ健全な姿なのだ。
シーシャ(水タバコ)を5秒吸ってそのお花畑への気だるさを煙に含んで空間に吐き出した。
彼はまだ「警察はおかしい」などと言っている。
平和ぼけの日本人が、真剣に戦う彼らを良いとか悪いとかジャッジできると思っていること自体に疲れてしまった。
何をされても戦うことを放棄し続ける日本人の民主主義が異常なのだ。
友人は続けて言う「平和であればいいのになー」このような言葉によって私の心の疲労はピークに達してしまった。
平和でありたいのならば、デモをせずただただ中国共産党に支配されれば良いのだ。
平和とは非常に静的な現象である。すなわち抵抗のない世界のことだ。正義に対して正義として戦う以上、平和はありえない。もし平和がいいなら、言われるがままにすればいいのだ。
でもそれでいいのか?と思うなら不条理という人間の世界に気づける切符をあなたはすでに持っている。
そっけなく返す私に彼は「じゃーどうしたらいいの?」と言う
「現実をしっかり見つめろ」そして「勉強し自分を疑え」としか言えない。とにかく葛藤をせよ。私が先ほどより大きめの声で彼に言った。
隣に座っていた別の席の女がチラッとこちらを見た。そしてすぐまた携帯に目をやった。

よくミュージシャンが歌うラブアンドピースは20世紀最も愚かなキャッチフレーズだろう。
現実から目を背けさせる一番気持ちいフレーズだ。
たまに思考停止しているときにそのワードを聞くと、大麻を吸ったようにぼやーっと幸せな気持ちになる時がある。

でも

ラブとピースは決して共存しない。
ラブは非常に二面性の強い概念で、ピースが静的なものに対してラブはこの世で最も動的な概念だ。そのために人を生かし、そのために人を殺し、そのために人を幸せにし、そのために誰かを憎む。愛憎という両義性はむしろその愛の本質なのだ。
現代人は人間のキレイな部分しか見ない、潔癖人間像が強いので愛の本質に迫ることができない。
ラブアンドピースのラブはこのような愛の都合の良い部分にしかフォーカスしない。今日の香港の人々はまさにその家族への愛、祖先への敬意、そして愛国心によって戦いを今日も繰り広げていることを我々は知らねばならない。そのラブによってピースが破られていることも。
だから、ラブアンドピースなどのファッションはもう良い。

リアリズム

それでいい。そこにはすでに全てが詰まっている。ラブもピースも。

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