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#6 付箋主義の哲学

・・その理解できない現象を目の前にしたときには、一度固定概念を捨てなければならない・・

そしてその固定概念を作る諸原理、自らの社会的地位からの視点や奢り、思い込み、対象との関係性は自ら放棄されなければならない。よって不知の自覚を必須とする哲学的態度は、新たな現象を自己と統合する上で最良の構えなのである。

哲学の最も古典的であり重要な行為に対話がある。対話とは上記したような多くのものを捨てるところから始めなければならない。対話の場合、対話の相手との関係は対等であり、平等でないといけない。その対等性や平等性を担保するものは、”分からないこと”に対して自分の言葉を礎にして相手の中に見ようとする謙虚さと真理への服従心である。その機会がトポスとしての対話の場である。

ソクラテスが受けた「汝、己を知れ」というデルフォイの信託は、常に他者、世界を受け入れ、自己と照らし合さなければ自己を知ることはできないという意味と捉えられる。故にソクラテスは徹底的に他者を求めた。ソクラテスともあろう知者がどうしてアゴラという植民も奴隷もいるような場所で対話を求めたのか。どうして他者だったのか、それは上記したように必然性を帯び、不知への自覚の態度と相手の中からその言葉を引き出す産婆術は必然的な関係を持つ。なぜなら自らの言葉を礎にしてその漸次的な頂に相手の言葉を置くからである。

・・その際、他者も含め不知のものに対して他者を受け入れながら自己と弁証法的止揚を行える最善の行為として対話は必然的な理由がある。ソクラテスが対話を求めたのはただの偶然ではなく真理に服従することに徹した故の自己を超えた論理に沿っただけでもある・・

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