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作曲者と親と曲と子供

曲を作るということ〜アルバム制作日記〜

ここまで、全部で9曲できている。
アルバム
【よくわからない】

1.新・諸行無常宣言
2.men in civilzation
3.Give & Give
4.透明へ
5.白い手紙
6.天才の行方
7.Guernica
8.ショーペンハウアー
9.0人称

ただ、この中のme in civilization 、天才の行方、ショーペンハウアー、白い手紙はかなり強敵でなかなか突破口が見出せない。
ショーペンハウアーに関しては、この曲に勝てるのか?という疑問符さえ浮かびそうなほどだ。

勝つの意味はその曲が“そのようにしかならない”という意味で完成させてあげることだ。

制作はセックスと似ていて、精子と卵子の結びつきから生まれる。
すなわち、一人称的な私と、世界との偶然的宿命によって生み出される。
するとその曲はすでに私ではない人格
曲でいえば、その曲の本性を持っている。
それは私がタッチできる領域ではなく、その曲がちゃんと曲の個性を生かしながら成長させてあげられるかが親である私にためされる。
子育ての例をあげれば
子供のことを思うと私ではなくて、多少高くてももっといいピアノの先生をつけてあげたほうがいいかな?
私ではもうこの子供の才能を発揮させてあげられない。
と思う親がいるように、作った曲のに対して
その曲の人生を考えてあげると私ではないボーカルに歌ってもらったほうがいいかなと思うこともあり、何曲かまだ世に出していない曲がある。
そのような感覚と同じで作曲者である親は曲の才能を引き出す義務があるのだ。
だから、いい曲を作るのは、売れる曲を作ることとイコールにならない。

**良い作曲者とはその曲の本性を引き出してあげることだ。そして、できるだけその曲の宿命通りにしてあげることだ。 **

子育てにおいて整形して可愛い子にしてあげることがその子の幸せにつながるとは限らないように、曲によっては綺麗に調音されることがその曲の幸せとは限らない。
ましては売れる曲にしてあげることが必ずしもその曲によってよいとは限らない。
よい作曲者とはそのような意味で親でありながら他人なのが作品との関係である。

そういう意味で、me in civilization 、ショーペンハウア、白い手紙、天才の行方の制作は難しい。どうやって完成にもっていってあげたらいいか分からない。かなり難しい。
私が親じゃなければ生まれなかった曲ではあるが、育てて完成すること、すなわち成人させてあげるのは私ではないほうがいいかもしれないとさえ思う。
里親に出したり、もっと金持ちの家に子供のことを思って差し出す親がいるように、私もそれをしたくなることがある。
でも、それは育児放棄と紙一重だ。

キングコングの西野は自分の作品が他人に届くまでするのが製作者の役割で、届いていないと育児放棄だというが
それは資本主義的で効率主義的な人間の芸術感覚であり。
それは全くもって芸術の本質を捉えたものではない。それは商業主義における作品感である。
ただ彼は人間的に素晴らしい。
この前番組で一緒したが目の綺麗さがすごかった。あれは、内側からでるものだ。

彼のような芸術感があるから私は、自分の芸術感をまた輪郭付けることができる。

ありがとう。西野さん。

とりあえずまた作曲に戻ります。

ご愛読ありがとう!

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