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意見の違う母に気持ちを伝えたあの日がターニングポイント

こんにちはー。

今日はメンバーシップ「書く部」のみんなで書こう企画 #きっとあの日がターニングポイント というお題で書いてみました。いつもよりプライベート感満載でお届けします。

小さい頃から家族と意見が違って嫌な思いをすることは、ほとんどありませんでした。やってみたかった習い事や塾での勉強も経験させてくれましたし、続けられなくなったときも気に障るようなことを言われた記憶もないかなー。

まして一人っ子ということも関係してか「ケンカ」したことがないんですよね。感情とか意見をぶつけ合ったことがほとんどないまま生きてきちゃった。

友達とケンカするといっても・・うーむ、トラブルにならないようにすることに気を遣っていたかもしれません。なんとなーく、意見を合わせたり、思ったことを言わなかったり、ね。

けれども今まで一度だけ、母と意見が真っ向から対立したことがありまして。それは、現在の夫との交際をめぐってのこと。母は、わたしと現:夫が付き合うことをよく思ってないことを知っていましたので、ずーーっと隠してたんです。

でも隠すってのもそれだけでエネルギーを消費するでしょう・・。嘘をつかざるを得ない場面が増えてきて、どんどん苦しくなっちゃった。

あーもうこりゃだめだーってことで、あるとき母に打ち明けたんです。確か、母と尾道に旅行していたときの電車の中だったと思います。

2016年 その尾道旅行で出会ったにゃんこ

旅先という、日常じゃないところで打ち明ける必要があったんでしょうねー。

当時のわたしからすると、それは対決みたいなもんで。意見が異なる相手に自分の意見を伝えるって、すんごい気構えるし面倒だし、できれば逃げたい・・。


でもね。そのときはお互いにしんどかったですけど、隠し続けたりあるいはそのことを理由に夫と別れたりしなくてよかったなーと、今は思いますよ。また、逃げなくてよかった。


さっき「対決」って言葉を使いましたけど、当時意見が違う人を「敵」とみなしてて。そういう人とは、付き合わないほうがラクだと思ってました。それか、自分がその人の言うことになんとなーく合わせてればラクだ、と。今思えば、人間関係で敵を作らないようにしてたのかな。

そうするともうね、何してもぜーんぜん楽しくないんだよーーー。


意見が違って当たり前だし、それを恐れすぎなくってもいいよね。自分の意見を変えようとしなくていいし、相手の意見を変えさせようなんて論外。

あの日、母に自分の思いを伝えたことから、カチッとレールがはまって、いまこんなことを書いてる。不思議なもんです。


あなたとわたし、全然違うけど「じゃーどうしていく?」っていう新しいカタチを生みだすプロセスが、楽しかったりするんじゃないかなと思います。

楽しいっていうのは、モヤモヤとか「何言ってんだこいつ」とかプロセスのなかで感じる気持ちをひっくるめたものなのかもね。

書くことを共有してくれてる我が家のにゃんこ。


体験を共有できる存在がいるっていうのは、いいもんです。

それでは、またー。




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