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小説を書き続けてくれて、ありがとう

誕生日と新刊発売のときに更新される私のnoteです。
37歳になりました。
37歳ってもう、そこまで死が迫ってるやん。と、生きること自体に焦りを覚えています。
夫が九月で26歳なので、三か月ほど、一回りも年上になってしまうのも憂鬱ですが、そんな歳の差があっても、女の子扱いしてくれることに毎日感謝しているし、私がこうして明るく生きれているのは、夫に出会えたからだなと思う。
でも全ては、小説と向き合ってきたからこその今で、誕生日だからこそ今日は、過去の自分を褒めてあげたい。
私は、(図らずも今の夫の年齢と同じ)25歳の時にはじめて小説を出版して、今日までこの12年間、本当によくめげずに書き続けてきたなと思う。
受賞作である「溶けたらしぼんだ。」は、純文学寄りの小説で、あの当時私は吉本ばななさんのような小説家になりたいと夢見ていた。(今も夢見てはいる。)だから十年後まさか、イヤミス小説を書いているなんて思いもしなかったし、それがそこそこ売れて、この秋出版する長編小説が、デスゲーム小説だなんて、どう分岐したらそうなったんだという未来である。
36年間生きてきて、仕事も恋愛も、本当に人生というのは自分の思ったようには進まないし、何が起こるかわからないなと実感するし、それが生きる辛さであり面白さだなと思う。
だから今、昔の自分に会えたら言いたい。
「とりあえず、生きとこう」と。
私は、『耳をすませば』の雫のように、中学生の頃から作家になりたくて、ずっと小説のことを考えて生きてきたけれど、毎日頑張って執筆できていたわけではない。いつも何かに病んでいて、頑張れない時も多々あった。ソファでポテチを食べながら、モンハンやあつ森をそれぞれ300時間プレイしていたほどには、現実逃避していた(それも振り返れば、若いからこそ許された時間の使い方だとは思う。あつ森の動画はなぜかバズったりいい思い出になった。)
でも、小説家になれない人生に意味はないというくらいには感じていたので、大学時代何作も新人賞に応募したし、デビューした後は、どうにか小説家として生き抜こうと、来た依頼は絶対に断らなかった。その仕事がどんなに自分に向いていないように感じて辛くても、逃げ出すことは絶対になかった。力不足だった時もあったが、勉強して精いっぱい書き上げた。そういう、ここぞという時の積み重ねが、今に繋がっているなと感じる。
と、偉そうに書いてはみたが、普通に毎日働いている人に比べたら、私は全然頑張っていない。『おそ松さん』を見て、自分と同じようなダメさに安心してしまうくらいだ。
ただ、小説家という職業が特殊なのもあるけれど、ここぞというときに頑張れることが大切だと私は思っている。
例えば、一年の間に、十一カ月病んで何もできなかったとしても、一カ月だけ、いつもの二十倍頑張れたとしたら、それはもう「今年は超がんばった」と言っていい。
実際『みんな蛍を殺したかった』を書いたときは、そんな感じで、蛍を書いていた一カ月のこと以外、私は何も思い出せない。(たぶん、この世から消えたいと思いながら「あつ森」をしていた)
そしてその一カ月頑張ったことにより、三年後の今、たくさんの原稿依頼を頂いているので、毎日頑張らざるを得ない状況になっているのだが(ここへ来てようやく作家っぽいなと、自分で感じている)、それこそ、デビューしてから呆けていた分を、二十倍頑張るときなのだと、自分に言い聞かせている。

少し話が変わるが、この間、新潮社の「女による女のためのR-18文学賞」の授賞式に行った。
私は23歳の時に、その賞を受賞したのだけれど(窪美澄さん、町田そのこさん、成瀬の宮島未奈さんなどもこの賞出身)、世間知らず過ぎたのと、担当して下さった編集さんがすぐに産休になってしまわれたのもあって(そしてその後担当になって下さったかたに、原稿をボロクソに言われ、トラウマになり、数年書けなかった)、新潮社からは一冊も刊行できていないままだった。だから、いつも授賞式のハガキが来ても行けなかった。どういう気持ちで送ってきているのだろうと、感じていた。(過去の受賞者全員に送られているだけなのだが)
とりあえず売れたら行こうと思い(売れてないのに参加しても惨めなだけなので)、蛍が売れたので、一昨年(だったかな)、十年ぶりに出席した。心の中では、「頑張って小説家として生き残ったぞ!」と、叫んでいた。
同期の彩瀬まるちゃんも出席していて、本が売れたことを喜んでくれ「私は直木賞を獲るから、チレンさんは本屋大賞を獲って、またここで会おう」と言ってくれて、格好よかったし、励みになった。
(ちなみに2024年の本屋大賞は「神に愛されていた」の得点は20ポイントで、私の中では過去最高点だった。三年以内にはトップ10入りできるよう、頑張りたい。応援して下さった書店員さん、心からありがとうございます。)
そして今年もハガキが来たのだが、授賞式に行くか、とても迷った。
行っても、新潮社から本が出ていないのだから、惨めな気持ちになるだけだと知っていた。でも、私の人生にはこういう負の気持ちこそ必要かもしれない。「蛍」もそういう感情から生まれた。寧ろ、惨めな気持ちになりに行こう。負けるかクソという気持ちになって帰ろう。という気持ちで、東京に住んでいることもあり、再び参戦した。
そしてスピーチ(過去の受賞者が登壇するタイミングがある)で、少しだけ(?)その気持ちをぶつけてみた。なんだか清々しい気持ちだった。これでもう悔いはない。と思えた。
もう新潮社から仕事は来ないかな。そう思ったけれど、念はぶつけてみるものである。
自分の授賞式ぶりに、始めて担当になってくれた編集者さんが話しかけてくれて、意気投合し、その方と再び本を作る運びになった。私の中ではすごく、感慨深い出来事だった。何年後になるかわからないけれど、受賞作の「溶けたらしぼんだ。」を書いたときのような、等身大の気持ちで、成長した自分だからこそ書ける小説を完成させられたらなと思っている。

そして今年は12月頃に「溶けたらしぼんだ。」を含めた短篇小説集が、発売になる予定だ。(しかし、新潮社さんからではない。笑)
受賞してから12年が経ち、これ以上、受賞作を放置させても作品が腐るだけだと感じていて、短編集が売れない世の中で「短編集を作りたい」という願いを快く受け入れて下さった出版社さんに、作品を託すことにした。
『百合という言葉では表せない、女の子が女の子に強く焦がれる気持ち』がテーマの短編集になっている。この短編集は文芸色が強めで、今、私の作品はわりと、エンタメ寄りであり、九月に発売となる長編小説はデスゲームということもあり、もう過去一でエンタメと言っても過言ではない小説になっているので、この差も楽しんで頂けたらうれしい。

そして気がつけば、東京に来て、今日で丁度、一年が経った。
やっぱり今も、東京は息が詰まるし、京都が恋しい。鴨川を歩きたいし、京都のごはんが食べたい。京都が好きだ。死ぬときは絶対に京都がいい。
でも、東京に来てよかったなと思うことがたくさんある。
まずは、仕事のし易さ。出版社はほぼ東京にあるので、編集さんとのやり取りがとてもスムーズになったし、私はネット(電話やメールも)で交流するが苦手なので、顔を合わせて打ち合わせできるのが、とても性にあっているなと感じる。編集さんはみんないい人ばかりで、救われてもいる。私の数少ない心を許せる相手だ。
それに、これは夫のおかげもあるが、沢山の作家さんとお会いすることができた。お会いした全ての作家さんと仲良くなれるようなコミュニケーション能力は私にはないし、むしろ私はどの場にいてもあまり馴染めずに浮いている存在だと思うが、それでもみんな、どんな売れている作家さんも、妙な言い方になってしまうが、ただの生きている人間なんだと確認できたことが私には大きかった。変に敬ったり、自分を卑下したりしなくてもいいんだと、そう思えた。
個人的にすごく励まされたのが、夫の本の対談企画で同行し、凪良ゆう先生のお話しを聞かせてもらったとき(あれは、私だけのトークショーのような、なんという贅沢な空間だったのだろう……)、僭越ながら、凪良ゆう先生の小説やSNSに対しての考え方や、執筆の在り方などが、とても自分と似ていて、細かくは書けないのだけれど(ぜひ対談をお読みください。)、「ああ、やっぱりそうだよな。私は間違ってないんだな。こう感じることが、小説家なんだ。」と、思えたことだった。
それは青山美智子先生とお話しさせてもらったときも、同じことを思った。
不器用だから、感じやすいから、作家になったし、心に刺さる物語が紡げるのだなと。(自分はまだまだなのだけど。)
とにかくこのnoteを書きながら、私は東京で過ごしたこの一年で、とても素晴らしい体験をさせてもらったのだと、改めて感じている。縁を繋いでくださった皆さんに感謝したい。
そして、いつも応援して下さっている読者さんに、一番に感謝している。

というわけで、文フリのことや、蛍の文庫についても書きたかったのだけれど、長くなりすぎたので、それはまた改めて記事にします。
そして37歳はどんな一年になるのか、38歳になった私が何を思っているのか、また来年の今日、noteに綴れたらと思う。
読者の皆さん、いつも作品を読んでくれて、私を小説家でいさせてくれて、ありがとう。
そして過去の私に、今日まで小説を書き続けてくれて、ありがとう。


6月20日発売「みんな蛍を殺したかった」文庫版
書影が新しくなり、本文も改稿し、あとがきが加わりました
解説:けんご

7月19日の夜に新宿紀伊国屋本店さんでトークイベント&サイン会がありますので
ぜひ予定を空けておいて頂けたらうれしいです


「花束みたいな恋をした」みたいな話書きました


アイドルをテーマに百合小説を書きました


✍️37歳の目標

乙女として:東京駅の前で、ぶわーってウエディングドレスをはためかせてもらう、例の写真を撮って(それを言うと、「そんな王道なやつやりたいん?!」とみんなから突っ込まれるのだが、私は王道が好きなのだ)SNSにあげるのが夢だったので、それを叶える。

小説家として:過去の自分を越える作品を書き続ける


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