見出し画像

Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第10章 オーソモレキュラー

 糖質制限を始めてから自分の体に様々な変化が現れた。明らかに疲れにくくなったのだ。朝起きた時の疲労の抜け具合が以前のそれとは全く変ってきた。そして、これまでは糖質の消化吸収で胃腸が疲れていたのかもしれないが、便通も明らかに改善してきた。こうした体の変化を目の当たりにしてから、ますます独自調査に熱が入ってきた。読書量も増えていきカンパニー内での私は、経営者というより栄養辞典みたいな扱いだった。インターネットも多用し研究をしていく中で一風変わったブログに出会った。記事の多くは論文を翻訳しているようだったが着眼点が面白い。言いたいことをずばっと指摘する舌鋒鋭い切り口も心地良かった。ブログの管理者はオーソモレキュラーを掲げているドクターだったが、すでに知名度のある新宿溝口クリニックの溝口徹ドクターのように書籍を出版したりテレビで解説したりなどの経歴はないようだった。気になる記事をブックマークはしたがブログリーダーには登録しなかった。
 それから一ヶ月くらい経った頃だろうか、別の調べ物をしている時に、またこのドクターの記事に出会った。怒りを込めたその記事の訴えにこのドクターの熱意と真摯な姿勢がうかがえた。
 「ナカムラクリニック中村篤史院長」
 「神戸か…。縁はないが波動だろうな。」
 すぐにスケジュールを確認し土曜日のみ実施していた中村ドクターのオーソモレキュラー診療をインターネットで予約した。
 二〇一八年九月八日、日帰りでの視察のために朝から車で羽田空港に向かった。東京羽田発大阪伊丹行きのANA便に乗り午前中に大阪に入った。場合によってはその日急遽ミーティングができるかもしれないと考えて当日最後の一七時開始の診療枠を予約しておいた。
 一七時まで時間があるが、神戸の街も久しぶりだったのですぐに伊丹から神戸へ向かった。三ノ宮は相変わらず大勢の人で賑わっている神戸一華やかな街だった。ナカムラクリニックはその隣の元町駅が最寄りだったので、三ノ宮から当てもなくふらふらと寄り道しながら元町へ向かった。昔は時間の許す限り街をふらつき景気動向などマーケットを肌で感じるようにしていたが、ビジネスを退いてから最近まですっかりそうした習慣もなくなっていた。
 そして今、街を歩いている私の目に留まる物。それはマーケットの状況を示す商業施設の繁栄ではなく、人々の”歩き方”だった。股関節痛を患っているであろう中年の女性。膝を庇って歩く家族連れの父親。腰痛があるのか立ち止まって腰をおさえる幼子を連れた母親。背中が丸まって猫背になっている若い学生。老人でもないのに背筋がピンと伸びた姿勢で颯爽と歩く人のなんと少ないことか。人々の情景を眺めて暗澹たる気持ちになる一方で、「筋肉のロック現象を必ず証明する。そして痛みから解放されて多くの人が笑顔になって欲しい。」そんなカンパニーヴィジョンを頭に思い描きながらこの後の出会いに心躍らせる自分がそこにいた。
 元町は馴染みのない街だったが予想していた風景と違い、急に人通りが途絶えはじめ静かな街並みになった。駅からさらに商店街を抜けると交通量がそこそこある道路沿いの雑居ビルにナカムラクリニックの看板を見つけた。
 「ここか…」
 自分の求めていた出会いが本当にこの何の変哲もない街にあるのか一瞬不安になりながらエレベーターでビルの七階に向かった。
 「こんにちは。こちらにご記入ください。」受付らしき女性に声をかけられ問診票を渡された。ソファーに腰掛けて院内を見回したが、簡素な室内はいわゆる病院のそれを感じさせない事務所のような趣だった。がらんとした室内の一角に作られた個室が中村ドクターの診察室だろう。問診票には相談事を適当に書いて待っていると「どうぞ。」と声がかかった。
 「失礼します。」と扉を開けて中に入ると大きなパソコンが所狭しと構えたデスクに中村が座っていた。三十代後半とのことだったが見た目は年齢より三、四歳若く、物静かな青年ドクターという第一印象だった。
 「今日は東京からですか?最近動悸がするそうですがどんな時に症状が出ますか?」
 「サプリメントを少し増やしたんです。それが影響してますか?」
 「サプリを摂取してるんですね。どれくらい摂取されていますか?」
 「えーと、結構やってます。ビタミンBはコンプレックス以外にベンフォチアミンを200mgと、先生がブログでお勧めしているロディオラも摂取しています。全部で一〇種類以上は摂取しています。」
 「ほう、すごいですね。体調不良は動悸だけですか?」
 「体調不良は全然なくて絶好調です。実は、今日は診療じゃなくて先生に会にきました。ビジネスの相談だと怪しまれるかもしれないし、説明もややこしいので診療を予約して東京から視察できました。私は東京でミオンパシーサロンという治療院を経営しています。いわゆる無資格でできる整体です。ミオンパシー整体術というのは二五年前に大阪の整体師の方が発明した徒手療法です。私は元々その整体院の客で、二年ほど通って長年患っていた腰痛がかなり良くなりました。完治はしてませんが、理論に納得できたので個人で整体サロンを経営するまでになりました。」
 「なるほど。なんかまだ全体像は見えませんが、私にどんなご相談があるんですか?」
 「この整体サロンを運営して一年ほど経ったころ栄養の重要性に気づきました。ちょうど昨年の今頃です。顧客の改善進捗にムラがあって品質管理上問題がありました。同じ施術でこうも良くなる人とすぐに元に戻ってしまう人がいるのは変だなと。体質と言えばそれまでなんでしょうが、門外漢だからこそその疑問に純粋に向き合えました。
 Jリーガーを数名サポートしてまして、ひょんなことから栄養が課題に登りました。ドーピング問題があるのでサプリメントが摂取できないんです。厳密に言うと大して効果のない国内産のサプリメントはOKです笑。中村先生もよくご存知の広島の藤川先生の発信からヒントを得ています。ATPブーストは面白いですよね。私も自分自身でサプリメントを試して体質改善にチャレンジ中です。そろそろ一年になります。三石先生の書籍も読み漁りました。溝口先生や宮澤先生の書籍ももちろん読んでます。オーソドックスにオーソモレキュラーを紹介している書籍という感じですよね。でも、会って話したいと思いませんでした。そんな中、中村先生のブログに出会いました。失礼ながら先生は奔放、歯に衣着せぬ物言いが爽快で、でも対症療法が跋扈している現代医療には鬱屈している。野心を感じたんです。私は、ミオンパシー整体術で治療のポイントにしている筋肉のロック現象を証明したい。先生は医療を変えたい。」
 「一緒に世界を変えませんか?」
 「戦略は練ってます。そう簡単なことじゃないのは分かってます。安保先生(「免疫革命」の著者で元新潟大学名誉教授。二〇一六年一二月に急逝した。)もあんなことになってしまいましたし…。私たちがしゃべってもダメです。もっと知名度があり世界的に影響力のある本物のプロアスリートに発信してもらいます。もちろん、劇的に肉体改善させて結果を出してからです!」私はいつもの調子で熱くまくし立てた。
 「面白い!!」中村は目を輝かせ笑を浮かべて話を聞いていた。この時既にこちらからのオファーを快諾してくれるのは分かっていた。
 その後の診察の時間を目一杯使ってドクターとして医学的見地に基づいたアドバイスをして欲しいことやサポート契約しているプロアスリートに栄養指導をして欲しいことを伝えた。中村自身もジムに通って筋トレをするくらいなので運動についての知見もあるようだった。一時間のオーソモレキュラー診療のうち、五〇分間はそんなビジネスプランの相談で盛り上がった。定刻はあっという間に過ぎたが話し足りないのはお互い明らかだったほど意気投合することができた。しかし、今回は患者としてきたので詳細を詰めるところまで行かず東京での再会を約束してクリニックを後にすることにした。部屋から満面の笑顔で出てきた私を見た受付の女性はきっと「あの患者も中村先生の診療に感動したんだわ!」と思ったに違いない。それくらい私は晴れやかな気持ちだった。
 中村は想像以上に”普通のドクター”とは違っていた。
 「この人ならきっと分かってくれる。」
 そう思わせる人柄はブログの文章から十二分に伝わっていたのだが、いざ本人を前にするとその感覚がずばり的中したことにワクワクし、早く正体を打ち明けたい衝動に駆られた。そして本題を切り出すのに五分とかからなかったお陰で、この日帰り視察では予想していたシナリオ以上の成果を持ち帰ることができ。
 夕方から降り始めた雨が真っ暗闇の滑走路に打ち付けていた。神戸空港発羽田行き最終便に乗りPCを開けて今後のプランを書き上げた。地位も名声もないベンチャービジネスは結果至上主義にならざるをえない側面がある。結果にこだわること、すなわち施術効果を高めるための真の栄養学がオーソモレキュラーだと確信していた。だからこそ、こうして国家資格を持った本物のドクターのサポートは本当に心強かった。

診察券
診察券2

※当時の診察券。NO.92って今思うとかなり貴重なのかな。
 
 翌日から中村とメッセージのやり取りが始まった。中村はとにかくレスポンスが早く的確だった。分野外のことにも理解が早いので、さすが天下の灘高出身の秀才、ドクターに成るような人はやっぱりどこか頭の作りが違うんだなと感心した。
 コラボレーションするに当たり、まずは一つの実績を作りたかったので月一回全社で実施している社内研修でのセミナーを依頼した。もちろん主題はオーソモレキュラーだ。神戸での初対面から二ヶ月後の一一月七日に東京調布市にあるLabにて一日研修を実施してもらった。カンパニーのセラピストたちも本物のドクターによる講義ということもあり朝から緊張の面持ちで中村を迎えた。
 「神戸から来ました。中村篤史です。今日はみなさんと一緒にオーソモレキュラー栄養療法について学んで行こうと思います。ぼくは人前で話すが得意ではないのですが、引き受けた限り一生懸命やりたいと思いますのでよろしくお願いいたします。」患者のために本当に必要な治療は何なのかと思い悩んだ末にオーソモレキュラーに辿り着いた真摯なドクターそのものの姿勢だった。具体的に栄養を教えて欲しいという目的は明確だったが、それ以上にこうした姿勢のドクターがいることをセラピストたちに知って欲しかった。

画像1

なぜ栄養が必要なのか。臨床経験が長いドクターが医学部でほとんど教わることがない栄養をメインの治療法として取り入れるに至った経緯を知ることは、セラピストたちが顧客に栄養の重要性を伝えることへの自信になる。そして施術の現場において、固定観念に囚われることなく痛み緩和のための新しい可能性を常に模索する姿勢を持ち続ける。そんな価値観をカンパニー全員のど真ん中に鎮座させる。今回の社内研修にはこうした狙いがあった。
 朝から夕方までビタミン・ミネラルの分子としての特徴及び症状別の効果や機序を説明してもらった。中村の講義で最も効果的だったのが質疑応答だった。一セラピストが業務として本物のドクターに忌憚なく質問できる機会はそうあることではない。以前より気づき始めていた事実、おそらく因果関係があるでろう体調不良と疼痛の関係について質問が飛び交った。私たちの顧客は腰痛・膝痛・股関節痛など発痛してからはじめて来店するが、長年に渡り原因不明の体調不良を抱えてきた人が多い。場合によっては大病を患ってからずっと体調不良が続いており、そのうちあちらこちらが痛み始めたなどは決して珍しくない。病院に行ったとしても、医療が細分化しドクターが専門化してしまっているのでたとえば内科を受診して、整形外科を受診して、心療内科までも受診する。こうした患者は受診疲れと投薬過多で体調が劇的に回復することは稀なようだ。
 私が中村との会話や書物から導き出した仮説は、痛みは不調の一つが顕在化したに過ぎず体調不良や不定愁訴の根本原因はほとんどが同じ、現代人の食生活の乱れからくる”質の栄養失調”によるエネルギー代謝障害(ATP産生力の低下)だ。「この飽食の時代に栄養失調?」と思われるかもしれない。もちろん、コストの安い精製糖質のおかげで摂取カロリーが極端に不足した飢餓状態の人口は減りつつある。しかしその一方で世界の肥満人口が一九億人に登ると言われている。(「果糖中毒」ロバート・H・ラスティグ著、ダイヤモンド社」より)これほど多くの人々を肥満にする精製糖質の氾濫、その結果としてタンパク質摂取の絶対量が減る。さらに精製した食物はビタミン・ミネラルが低減されているケースがほとんどという事実。中でも砂糖の弊害が最も大きいだろう。砂糖はブドウ糖と果糖から生成された人工の精製物だが、これが体内に入ると一気に血中に流れ込む。血糖値が一気に上がりインスリンが緊急出動して血糖値を下げる。緊急事態だから処置を誤って今度は血糖値を下げすぎる。すると今後はまた糖分を欲することになる。これが血糖値スパイクと言われる悪循環だ。そして、体は砂糖をエネルギー源として溜め込むどころか全力で代謝し体外に排出しようとする。この時にビタミン・ミネラルを無駄に消費してしまうのだ。農薬や地下水の汚染など環境要因にも枚挙に遑がないほど微量栄養素を減らす原因がある上に、精製糖質の氾濫には、こうした多くの体質悪化要因が混在している。これが、酵素となるタンパク質、補酵素として働くビタミン・ミネラルという最も重要な栄養素の欠如を”質の栄養失調”と呼ぶ所以だ。
 砂糖の弊害を知ってから過去のカルテを調べると甘い物が大好きな人が実に多かった。客観的事実として甘味料の摂取が多く肥満傾向にある人の疼痛改善はとても時間がかかる。そして、往々にして砂糖はやめられない。砂糖中毒には意志が弱いなどの精神論では片付けられない機序があるようだ。いわゆる依存症の一種で、砂糖の甘味に報酬系の神経伝達物質であるドーパミンが刺激されているというのだ。甘い物を食べるとさらに甘い物が欲しくなるというあれである。精神科医の中村にとって依存症はお手の物だ。ドーパミンの分泌を抑えて自律神経を整えるためには、同じく神経伝達物質で心を落ち着かせるセロトニンの分泌を増やせばいい。ではどうすればいいのか?セロトニンは必須アミノ酸のトリプトファンから生合成される。このトリプトファンにはもう一つ重要な役割があるのだが、それがナイアシン(以前はビタミンB3と呼ばれていたが、体内生成されることがわかりビタミンと呼ばれなくなった。)の生合成だ。ナイアシンは約五〇〇の酵素反応に関わる最重要栄養素の一つだ。これが欠如すると体に多くの不調が現れるためトリプトファンはナイアシン合成に利用されやすい。つまり、ナイアシンが充足していないとセロトニンの欠乏を助長してしまうのだ。それなら、ナイアシン自体の摂取量をサプリメントで増やせば、トリプトファンからの生合成を必要とせずに、トリプトファンはセロトニン分泌に使われる。なんとも分かりやすく合理的な解なのだろうか。
 さらに、ミネラルならマグネシウムだ。マグネシウムには七〇〇の酵素反応があると言われ、この数は年々増えているミネラルの王様だ。マグネシウムにも色々種類があるが最も効果が期待できるのが天然の塩。海水から塩をつくる際にでるにがり(苦汁)こそが吸収力抜群の塩化マグネシウムだ。砂糖を欲するのは質の栄養失調によってエネルギー代謝が機能していない事が原因。特に足りなくなる栄養素が様々な代謝で利用されて出番の多いマグネシウムなので、これをサプリメント(リキッドタイプがお勧め)で摂取すると体調が上向く人が多いのも事実だ。
 オーソモレキュラーにはこうした機序がたくさん存在する。整体サロンでは栄養指導はできないが、中村のブログやオーソモレキュラー書籍の紹介、セラピストの実証体験を元にアドバイスすることはできる。中村の知識と経験は私たちにとって最高の贈り物となる。そう確信した一日研修だった。(つづく)



 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?