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作品を楽しめる人

今日、2月5日、数ヶ月ぶりに映画館に足を運んだ。
見たのは劇場版「ヴァイオレットエヴァーガーデン」だ。

最初にこの作品に出会ったのは、アニメが放映された約3年前だったか。
きっかけはこの作品が京アニさんによって作られたというシンプルなものだった。というのも、同スタジオ制作の氷菓というアニメが自分の中でのトップ3に入る作品だからだ。高校2年生の時に氷菓に出会って、普段見ているジャンプ作品とはまた違った雰囲気や圧倒的な映像美で「なんかいいじゃん」と思ったことを今でも覚えている。そんなことがあったから、この「ヴァイオレットエヴァーガーデン」も多分面白いんだろうな、くらいの気持ちで見始めた。

その頃は大学生になったばかりで、高校の頃とは全く違う環境に身を置き、忙しいながらも楽しい生活を送っていたと思う。そして、多分あの頃が大学生活で1番輝いていたとも思う。だから、中学生の頃からの習慣だったアニメ鑑賞も、たちまち途絶えていった。

「ヴァイオレットエヴァーガーデン」も、確か10話あたりで見るのをやめたと思う。
10話といえば、それこそ涙腺崩壊する話として知られているが、その時は多分泣かなかった。いや、覚えてないけれど、覚えていないってことは泣いてないってことだろう。結局最終回を残したまま、気づけば大学3回になっていた。


ある日、友人が「ヴァイオレットエヴァーガーデン」の話題を出してきた。それがきっかけで、そういえば全話見ていなかったなということを思い出した。Netflixで全話見れるということだったので一から全て見直そうと決めた。

おかしい。各回毎に涙腺が緩んだ。有名な10話では、涙が止まらず隣の部屋にいた母親に気づかれまいと必死だった。嬉しさとか悲しさとか、そういう感情で自分の顔面がぐちゃぐちゃになった。水分補給をしながら、そのままスペシャルエピソード、外伝と、流れるように視聴した。

そして昨日、もう終了しただろうと思い諦めかけていた劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンが近所で未だに放映されているという情報が入ったので急いでチケットを予約した。映画館で思いっきり泣かないだろうか、とかそんな不安を抱えていたから少し寝付きが悪かった。

当日。映画が始まる。あ、やばい、やばいやばい。待って無理これ待って待って。

泣いた。初めて映画館で泣いた。1人で行ったから良かったけど、友達と行ってたら多分恥ずかしいやらなんやらでちゃんと作品を楽しめなかったんじゃないかと思うくらいには泣いた。後ろから聞こえてくる鼻を啜る音とかも相まって余計に泣いた。
それと同時に、「泣ける自分」が嬉しかった。高校生までは何事にもあまり涙を流した記憶はなかったし、泣きたいと思っても涙が出ない、そういう人間だった。しかし、大学2回の頃からか、涙腺が少し緩くなってきたなと感じるようになり、この作品で一生分の涙を使い切ったんじゃないかってくらい涙を流したのである。

映画館の帰り道。余韻に浸りながらふと気づいたことがあった。
中学生の頃からずっとアニメを見たり漫画を読んだりしてきたけれど、最近はさらに楽しめるようになった、ということだ。

ある日、こんな文章をどこかで見たのを覚えている。

「涙脆い人は、色々経験してきた人なのだ。」と。

思い返せば、大学生になって本当に色んなことを体験した。特にやりたいことも無く、流れに身を任せて過ごした高校生活とは対照的に、これだけは絶対やるんだというモノをみつけ、ひたむきに走り続けた大学生活は色鮮やかだった。それに加えて、高校生までは出来なかった、許されなかったことができるようになって、成人を迎えてさらにできることが増えて。その度に何かを感じ、考えてきたように思う。たかが大学生として過ごした3年、短いけれど、自分にとってはその3年がすごく濃いものだった。だからこそ、その時に感じたり考えたりしたことが、作中の心理描写と繋がって、自分の中で溢れたんだと思う。


今、私は人生における重要な局面にいる。色々と考えてしまうために、時折、自分というものを見失いそうになるけれども、それでも絶対に忘れたくない気持ちがある。

私は、色んな作品を見て、読んで、聞いて、その時に感動できる、涙を流せる人でありたいと思う。おじさんになっても、アニメを見て、漫画を読んで、人の話を聞いて、泣ける人でありたいと、強く思う。

そのためにも色々と経験しないといけないんだな。そう強く感じる。ヴァイオレットエヴァーガーデンのアニメ、映画を見て強く感じたこの思いを忘れないためにここに書き残しておきたいと思う。


ヴァイオレットエヴァーガーデンの制作に携わってくださった皆さま、素晴らしい作品をありがとうございました。

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