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気づいたら、泣いていた。 - 休学生活(日本編)を経て

5月1日から、1ヶ月の、期間限定で始めた毎日note。気づいたら、もう、ここまで来ていた。そんな今回は、ここまでの振り返りを、書きたいと思う。休学をはじめて、アメリカ留学までの、日本での2ヶ月間のこと。

今の気持ちは、不安が8割。楽しみとその他、2割。日本で予定していた全ての旅を終え、一応、行ける!という手続きは、終えた。そして、今、出国までのラストスパートに入っている。残りの予定を楽しみつつ、ギリギリすぎる用意や残りの手続きをこなしているところだ。(毎度のことながら、本当に自分のギリギリさには、ヒヤヒヤする。)

ここまで、毎週、ジャーナリングをし、自分の気持ちに向き合っていたので、そこを、ぐっとまとめたり、抽象化したりして、改めて、ここに整理したい。

「ニートになりたい!」と願っていた日々から

4月1日。世間は、新学期。その時の私は、思いっきり、熱を出してダウンしていた。思い描いていた休学初日とは、違うぞ….なんだこれ…..と思いつつも、今までの自分のデトックスを、がっつり、できた。

「次、mtg、あるから!」とかじゃなくて、気が済むまで、くつろいだり、本を読んだり、ぺちゃくちゃと雑談したり…..。おしりの時間を気にせずに、自然と何かする気が起こるまで、「何もしない」ということを、選んだ。

ただ、自分の身体と、目の前にいる人と、目の前にあることと、向き合った日々だったなあ、と思う。

この時間から、余白をつくることが、楽しくて仕方なかった。カレンダーは、空白の方が増えた。全ての予定を、決めないことが増えた。

その中で生まれる偶発性に身を委ねることで、考えられなかった世界線に、気づいたら、辿り着いている。

あの日に出会えた写真も、トルコ料理も、おばちゃんも、晴天だった昼下がりのビールも、澄んだ空気と深呼吸も、朝焼けも、涙も。

何もかもだ。

バトンを渡された、東京

毎日noteを始めることになったきっかけも、VISA取得と人に会うために向かった5日間の東京滞在だった。(詳しくは、このnoteに書いている。)

その中で、この短い人生で、そしてこの年で、出会えたことが奇跡だと感じるような友人、先輩、大人の方々と、会った。

その中で、毎日noteをやると決めたのは、「書く練習をしたかった」というよりは、とにかく、今の私が、誰かのために、何かのために、精一杯、できることをやりたかったのだったなあと、今になって思う。

周りの人たちと、また再会したり、深まったりと、コミュニケーションを取るきっかけにもなった。2ヶ月間、自分の想像以上に、いろんな人と時間を共にした。でもそれは、「新しい出会い」よりも、「再会」が、主だったし、どうしても今じゃないものは、ちゃんと今じゃない、と言えた。

あと、気づいたら、noteは、自分と、もう一度、向き合うきっかけになった。ここまでの30回のnoteは、ある一つの出来事に対する日記というよりは、今まで感じてきた沢山のことを、ある事象から派生させて書いている。これで、渡米する前までの自分の考えを、30日という時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり、整理できたと思う。

「分かりやすい」と「分かりにくい」のあいだで生きるを、問う

私は、ある人達に、どうしたら、「分かりやすさ」と「分かりにくさ」の間の中で自己表現できるのかと、必死に聞いた夜が、何度かあった。

というのも、私の大切にしたいところは、「分かりにくい」が多い。

安易に切り取られてしまうことで、こぼれ落ちてしまう沢山のものたちに、目をむける、というところに美しさを感じているからだ。

でも、それを、ただ、自己満でやるのは、ちがうなあ、と思っている。でも、そこの折り合いをつけるのが難しいなあ、とも思っている。

結局、その夜、ピンッとくるものは、見つからなかった。そして、この2ヶ月の中でも、「これだ!」というのは、なかった。

だけど、一つ、その中で、自分の中で、3つの試みがあった。

1.食べるマガジン「KUKUMU」のライターとして、エッセイを中心とした記事をかくこと。

これは、5月から、バトンズの学校の仲間とはじめた、スタートした取り組みだ。「いつかは….. !」と思っていたが、まさかこんなにも早く、バトンズの仲間と活動できるなんて、思っても、いなかった。

ここでは、「ひとくち、ひとやすみ。」をコンセプトとし、食にまつわる、さまざまな記事(エッセイ、インタビュー、レシピ、小説など…..)を、毎週水曜21:00~に、公開している。

実際に、編集者・ライターなどで活躍している真希さんに、私がおいしそうに食べる姿をみて誘われた、KUKUMU。本当に、何がどこで、繋がるか、分からないもんだ。(他にも、理由は、あるけどね!)

そして、はじめて5月に寄稿したエッセイがこれ。

編集者の真希さんの、愛たっぷりのフィードバッグが入って出したエッセイ。ただ思考をつらつらと好きなだけ書いている、いつものnoteとは違い、周りの反応も、自分の中での感覚も、いつもとはまた少し違ったものが、あった。

今はただ、自分の感覚と、社会のなかで生きる、が、少しずつ両立できたらいいなと思って、書いている。なので、これは、アメリカに行っても続けて、観察していきたい。

これからも、ぜひ、読んでくれたら、うれしいな。

2.誰かのために、時間をつくること。

この3年間で、「大切な時間を、今、私と過ごすことに使ってくれたんだ…..」と、思わず居てもたってもいられなくなるような瞬間が、いくつも、あった。

だから、私も「話したいです!」と言ってくれた人たちと、時間を、共有した。

もちろん、こちらが無理したら、相手にも無理をさせてしまうから、肩の力が抜けており、心にも体にも余裕があるときだけだ。(体か心が無理だった時に連絡をくれた人は、ごめんなさい。)

もちろん「する-される」の関係とは、また違う。そこで、何かを「してあげる」のは、違う。ただ、私がやることは、「その時間をつくる」ということだけ。

人対話を重ねる中で、自分の輪郭は常に揺れ動き、私は、自分だけで、意思決定できているわけじゃない。

それは、12月の渋谷で、「自分はみんなの思いを背負った乗り物だ」と言っている人に出会ったあの日から、この休学期間の中で「バトンを受け取る瞬間」をいくつか経験をして、少しずつ、腑に落ちてきていることだ。

3.小さな音に耳を、傾けること。

大切な瞬間は、SNSも写真にも、手は、のびなかった。その瞬間は、感情は、きっと、いつかは、忘れてしまうかもしれない。

だけれど、その、感覚を、色を、においを、いつまででもはない今、残しておきたいという、気持ち。

自分のコップからこぼれ落ちたものを、言葉として少しでも拾っていきたいと気持ち。

10月頃から少しずつ、自信を持って、そうだと思うとのたちが、この2ヶ月(特に5月)、私を、つき動かしてきたなあ、と思う。

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「分かりやすさ」と「分かりにくさ」のなかで、もがくこと。

そのために、私は、上にあげた3つを、やっていた。別に最初に決めたわけじゃないけど、気づいたら、やっていた。

この3つは、短い2ヶ月というなかで、何かが見つかったり、完結したりした訳じゃなかった。

むしろ、この3つは、私の中でも、何に繋がってるかも分からない。そもそも、まだまだなところも、いっぱい、ある。

だけれど、今、自分の何かに触れたこれらが、いつか答え合わせになればいいな、と思って、ここに記しておく。

2ヶ月を経て、気づいたら、よく泣くようになっていた

「なんか、肩の力がぬけた気がするね」

いつの日だったか。ふと、母に言われた。
それは、なんだか、すごく、すごく、嬉しいことだった。

そう言われると、この2ヶ月で、ハッとした日があった。

4月中旬のある日に、気づいた。
よくケタケタと笑っていた。崩れ落ちるほど笑っていた。

5月中旬のある日に、気づいた。
感情が溢れてきてしまって、すぐに、泣いていた。我慢せずに泣ける人の前で、たくさん泣いていた。 

そして、昨日、気づいた。
とても幸せそうな顔をしている自分が、そこには、うつっていた。

もちろん、今までも私をつくるベースはこれだったと思うが、どこにハッとしたかというと、この1年の自分の顔を、あんまり思い出せてないからだ。それは、写真にうつらない顔のこと。

ここまでの「楽しい」や「やりがい」は、すべて「本当」だったけど、どこか、ずっと、追い続けられることに構えていた、ような気も、する。

だけれど、やっぱり、この自分は、いつも、近くに居たのだ。ちょっとだけどこかに隠れていたけど、この2ヶ月で、前に出てきてくれたのだった。

それができたのは、私の力じゃなかった。「幸せでいてほしい」と心からそう言ってくれる人たちが、そばにいる、ということに気づいたのだ。

見返りを求めないその気持ちは、言葉は、表情は、目を瞑ると、今でも、ありありと思い出すことが、できる。

それらに触れ、受け取った日。
私は、毎回、気づいたら、泣いていた。

これが、日本での2ヶ月の休学をふりかえって、の話。

明日は、いよいよ、毎日noteラストです。
手直ししたら、深夜3時。気づいたら、3500字オーバー。

こんなんで、明日は、何を書くのか….. そして、書き切れるのか…..!どうにか、なんとか、やっていきたいと思います。

今日も、読んでくれて、ありがとうございました!おやすみなさい!

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いつも、応援、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、6月から約8ヶ月間のアメリカの留学費に全額使い、その体験を、言葉にして、より多くの人に、お返しできたらな、と思っています。