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そんな8月へのはなむけに


夏が好きです。
だから8月が嫌いです。


8月もあまり写真を撮っていません。


8月は夏が衰えていく月。

それなのに「夏だ!わっしょい!」とノーテンキに盛り上がっている世間。その空回り感がますます寂しさをつのらせます。


何を見ても「それっぽい写真」を撮るためのパターンだけが思い浮かんでしまいます。


8月を「夏真っ盛り」と思ってしまうのは、8月がまるまる夏休みだったこどもの頃の記憶のせいもあるでしょう。

もし、学校の夏休みが7月までだったら、8月は残暑の中で静かに秋の気配を見つけていく季節だったかもしれません。

それこそが正しい8月のような気がします。


イメージ通りに撮れた「それっぽい写真」になんの意味もありません。


勝手に「夏の絶頂期」にされている8月。
悲しいピエロの1ヶ月。


そうやってなにもかもが「撮る価値のないもの」に思えてくるのです。


でも、もしかすると、「実際の季節感」と「イメージの中の季節感」にギャップがあるからこそ、8月は輝いているのかもしれません。


悪いのは世界ではありません。


もちろん、8月はわかってます。
自分が衰えゆく季節であることを。

本当はみんな気づいているのです。
「大いなる夏」の悲しみに。

その寂しさが8月を輝かせているのです。


意識を超えられない自分が悪いのです。


寂しさと悲しさのないところに高揚感はありません。


夏に対する切実さの欠如。


そんな感覚について書き始めて2週間。
うまく言葉にできないままに、9月になってしまいました。


2024年の夏が終わります。


8月の背中が見えているうちに、これだけは言っておかないと。


ありがとう。
本当は大好きです。


「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。