見出し画像

写真集を買う意味

写真集は高価です。
一般的な小説の数倍の値段がつけられています。
なのに、ぱらぱらとめくっていたら数分で見終わってしまいますし、得られる感動や、読み終えたあとに残る印象も小説の方が大きい気がします。

写真集に値段ほどの価値はあるのでしょうか?

いやいや、写真集は宇宙だ。その中に小説数冊分の物語があるんだよ。そう言う人もいるでしょう。時代背景や写真表現の文脈、その写真家の過去の作品、そういったものを念頭に読み解いていけば、より深くその内容を知ることができますし、そんなふうに写真集を「読む」ことの楽しさは多くの人に語られています。

わたしもどちらかと言うと写真集を楽しめる側の人間だと思います。100冊はないかもしれませんが、50冊以上の写真集を持っているはずです。

でも、わたしは写真集を「読む」ことができません。「書籍」という枠組みだけで判断するなら、値段ほどの価値のある写真集はほとんどないと思っています。

では、なぜ写真集を買うのか。
写真集は内容を読むだけの「書籍」ではないからです。

---

観光地で買うキーホルダーを思い浮かべてください。
(木彫りのクマでもマグカップでもかまいません)
機能的に優れているからという理由でそれを買う人はあまりいないでしょう。それは記念の品。「ある時、そこに行って、それに惹かれた」ことの証です。

写真集もそれに似ています。
「ある時、それにめぐり合い、それに惹かれた」ことの証です。

多くの写真集の中から「惹かれるもの」を探し出す必要はありません。本屋でふと手にとったり、ネットでだれかが紹介しているのを見たり、そういう「偶然」にも意味があります。そして、ぱらぱらとめくるだけで、あるいはそこに含まれる何枚かの写真を見るだけで、それが「惹かれるもの」であるかどうかわかるはずです。

どんな写真集に「惹かれる」のか、それは自分の表面的な好みだけでは決まりません。思想や経験や知識、いろんなものによって見え方が変わってきます。だからこそ「ある時」の自分を強く反映します。

写真集は「ある時」の自分を知るタイムカプセルです。
あとで見返した時に、それに惹かれた時の自分を懐かしく思い出すかもしれませんし、「どうしてこれがよかったんだろう?」と不思議に思うかもしれません。

写真集は「ある時」の自分と今の自分の差を知るためのものさしです。
一冊の写真集に抱く印象は変わっていきます。成長したり、なにかを失ったり、見るたびに変化している自分に気づくはずです。

もし、心惹かれる写真集に出会ったら、自分のもとに迎え入れましょう。今はすぐに見終わってしまったとしても、その一冊は本棚の片隅からあなたを静かに見守りつづけるでしょう。そして、あとになってその中に「自分の変化」や「過去の記憶」、そして「新しい何か」を見つけられるかもしれません。

少し思い切って買った写真集、それは未来の自分への贈り物です。

この記事が参加している募集

「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。