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【『百人一首』と人生と】何もかも嫌になった。どこかへ消えてしまいたい……(藤原俊成)

世の中よ 道こそなけれ 思い入る
 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる          

藤原俊成

(意訳)
 ああ! この世には、苦しみから逃れられる道は、どこにもないのだ。
 思い詰めて入った山奥にも、やはり、つらいことがあるようだ。シカが悲しそうに鳴いているではないか。

「何もかも嫌になった。どこかへ消えてしまいたい……」こんな気持ちがわいてきても、なかなか、人には言えません。ところが藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)は、ストレートに、この歌で告白しているのです。27歳頃のことでした。

 俊成は、父親が早くに亡くなったため、他家の養子となりました。
 和歌を学び、名声を得ようとしますが、うまくいきません。出世もできず、つらいことが続きました。
 将来に絶望した彼は、人間関係も、世間のつきあいも、すべて嫌になり、現実から逃げ出そうとします。誰もいない山奥へ身を隠す決意をしたのでした。仙人のような生活をすれば、苦しみはなくなると思ったのかもしれません。

 ところが、独りで山奥へ入った彼の耳に、どこからともなく、悲しそうに鳴くシカの声が聞こえてきたのです。
「ああ! 山奥にも、苦しいこと、つらいことがあるんだな……」
 そう感じた時、俊成は、自分の心を見つめずにおれなかったのでした。

 この体さえ、別の場所へ移せば、心が安らかになるのか?

 答えは、否。「歌の道で成功したい」「あの人がうらやましい」「理不尽なことばかりだ」「なぜ自分だけが……」
 こんな思いが消えることはありません。それが人間なのです。

 俊成は、叫ぶように、
「世の中よ 道こそなけれ」
と詠んでいます。

「ああ! この世には、苦しみから逃れられる道は、どこにもないのだ」と言い切っているのです。

 歌の後半、
「思い入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」
では、
「思い詰めて入った山奥にも、やはり、つらいことがあるようだ。シカが悲しそうに鳴いているではないか」
と、自分の心の変化を、シカの声に託して描いています。

 俊成は、目の前に広がる雄大な山野、世界の広さに比べたら、自分の悩みなんて、ちっぽけなものだと気づいたのでしょう。
「逃げずに、生きよう!」と心を切り替え、和歌の道に励んだ俊成は、次第に高い評価を受けるようになりました。

 70歳過ぎで『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』の選者となり、歌壇の大御所としての地位を確立します。91歳で亡くなるまで若手の歌人の育成に尽くしました。『百人一首』は、俊成の息子・定家(ていか)が選んだ歌集です。

藤原俊成(1114~1204)……平安時代後期・鎌倉時代前期の歌人。
和歌の出典……『千載和歌集』


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